第23話 皇帝と、神と神 その三
ルトたちの会話に苦言を呈したのは、謁見の場における唯一の婦女子であるアクシアだった。
「……はぁ。陛下にも困ったものですわ。発言には気を付けて頂かなくては」
そう言いながら頬に手を当て溜め息を吐くアクシアは、その神秘的な外見も相まって、憂いを浮かべる女神のような印象を見た者に抱かせる。実際、初めて彼女の姿を見たルトはその美しさに感心していた。
だが、それはあくまで外見の印象のみだ。語り継がれる彼女の逸話を挙げていけば、彼女の本質が『可憐な女神』ではなく『苛烈にして勇猛な戦女神』であることは間違いない。人外の美を備えていようが、纏わる逸話もまた人外の『武』による代物である以上、外見に油断するなどできる筈がない。
「……アクシアよ。既にこやつは我が国に属したものと見なす。故にその話し方は止めよ。気色悪くて叶わん」
「何を仰るのですか陛下? 私はこの場に相応しき作法に則っているだけにございます。それを気色悪いなどとは、この私も悲しくなってしまいますわ……」
「──此度の謁見はルト・ランドが我が国への臣従を認めるかどうか、ひいてはそれに伴う条件を決めるのが目的だ。故に謁見は終わった。繰り返す。謁見は終わりだ! ここから先は我々の私的な会談の場とする!」
一向に態度を崩さぬアクシアに痺れを切らしたかのように、フリードリヒは場を『非公式』とする為の号令を発した。
「……」
フリードリヒの突然の言葉に、無言でルトは思案した。一見すればなし崩し的に始まった会談であるが、ルトを除いた参列する面々に一切の動揺は見受けられない。それ即ち、この流れは予定調和の証明である。
となれば、この状況には必ず意味がある。それも間違いなくルト自身が重要な、それこそ状況の中心に据えられているのは明らかだ。
一体何が起きる? と、内心でルトが警戒していると。
「ふっ。薄気味悪い茶番に巻き込んで悪いのうルト殿。こうでもせんと妾も素を出せなんだ」
──来た。先程までの淑女然とした態度は何処へやら。高貴な老人のような、それでいて僅かに獣のような獰猛さを漂わせながら、アクシアが無造作にルトへと近づいて来る。
「まずは自己紹介じゃな。ま、察しはついておるだろうが、アクシア・ウィル・ハイゼンベルクじゃ。【炎神】などという大層な二つ名で通っているババアじゃよ。他の者からはハイゼンベルク夫人、大公閣下、炎神様など様々な呼び名で呼ばれておる。お主も好きに呼べ。……因みにあそこで偉そうに座っているクソガキからは、生意気にも婆さんなどと呼ばれている」
「……では、私もハイゼンベルク夫人と呼ばせて頂きます」
「堅い堅い! そんな風に畏まるな! この場は非公式の場だとあのクソガキが保証したのだ! 普段の口調に戻せ戻せ!」
「いや、流石にそれは……」
予想以上に破天荒なアクシアに、流石のルトも怯んだ。クラウスから帝国のトップ全員がアクシアには頭が上がらないとは聞いていたが、あまりにも無茶苦茶が過ぎる。まさか非公式の場とはいえ皇帝をクソガキ呼びするとは誰が想像できるというのか。……あと、ノリが完全に酒場の酔っ払いのソレであった。無礼講を強要する類の絡み酒である。
「如何に非公式の場と言えど、私はこの場では最も若輩でございますので……」
「──ならんのぅ。それじゃあいかんよルト殿」
ゾクリと、ルトの背中に怖気が走った。
アクシアは苦笑しただけだ。そこには敵意など欠片も存在していない。むしろ出来の悪い生徒を窘める、師のような雰囲気であった。
だがルトは一瞬にして臨戦態勢を取っていた。青の髪は淡く輝き、誰もが膝を着く圧倒的な覇気を纏う。人の領域から、神の領域へと。敵意すら浮かべていない目の前の神に対抗する為に、ルトもまた人であることを辞めたのだ。
「……敵意は無いようですが、それでも敢えて言わせて頂きたい。随分と物騒では?」
「クククッ。済まん済まん。じゃがこれも必要なことよ。この場もこの為に用意したのじゃからな」
「……どういう意味でしょう?」
「周りを見よ。まずはそこからじゃ」
アクシアにそう促され、怪訝な表情を浮かべながらルトは玉座の間を見回した。
そこにあったのは畏れである。大陸屈指の力を誇る帝国、その最上位に位置する要人たちが、二柱の魔神に圧倒されていた。二種の覇気がぶつかり、絡まり合って形成される神域。そこには人界の役職など無意味でしかなく、彼らはただ荒ぶる神威に晒され身体を強ばらせるばかり。唯一フリードリヒだけが、なんとか平静さを取り繕っていたが、それだけである。
その光景にルトは迷う。曲がりなりにも臣従を申し出た身で、フリードリヒを始めとした彼らを威圧するなどよろしくない。……だが、現実として不可能でもあった。魔神格としての側面を全面に押し出しているアクシアと対峙し続けるには、人の領域に戻ることはできない。
「──理解したか? これが我ら魔神格の魔法使いよ。ひとたび力を解放すればこの有様。地位も、富も、力も。我らの前で何も意味はない。誰もが等しくか弱い只人よ」
「……理解したので、そろそろ止めた方がよろしいのでは?」
「ならん。ルト殿、ならんよ。お主は真に理解していない。いや、理解はしておるのだろうが、まだ足りない。お主の態度は頂けない」
人の領域に戻ろうとするルトに、アクシアは駄目だと首を振る。その瞳に宿るのは叡智の光。この帝国そのものを威圧する凶行が、伊達や酔狂の類で行われている訳ではない証明。
「妾がこの場を設けたのは、二つのことをお主に教える為じゃ。一つは帝国における魔神格の振る舞い方。お主のそれはなっとらん」
「……何か問題がありましたでしょうか?」
「それよ。傲慢さが足りぬ。尊大さが足りぬ。お主の振る舞いには、神としての在り方が足りぬ」
アクシアは語る。ルトの礼儀作法に則った言動は、帝国に属する魔神としてはあまりにも不適切だと。人が求められる作法に、神が縛られてはならないのだと。
「お主の報告は聞いていた。お主の普段の態度こそが魔神としての在り方よ。何者の前でも尊大であれ。礼を尽くすな。お主は礼を尽くされる立場にいることを忘れるな。それはこの国の基盤を揺るがす」
「……なるほど。力を持つ者が謙るなと」
漸くルトも理解した。魔神格とは文字通り、個人で国を滅ぼす超戦力。そんな規格外が礼儀に気を配り、爵位や役職に左右されてはならないのだ。それが例え一般的な常識に則った行動であったとしても、それは致命的な認識の齟齬を引き起こす。魔神という規格外が、自身の命に従う『格下』だと勘違いしてしまう。
そんな『もしも』が起こった場合、待っているのは混乱だ。例え魔神側にその気がなかったとしても、一度下における可能性があると認識されてしまえば、愚者は必ず湧いて出る。そうして引き起こる混乱は僅かであっても国力を削ぎ、帝国の支配体制に罅を入れるだろう。
だからこそ、魔神は傲慢でなければならない。尊大でなければならない。無知蒙昧な人の子に、愚かな幻想を与えてはならない。
「──つまりコレで良いんだな? ハイゼンベルク夫人、いやアクシア殿」
「……うむ。飲み込みが早くて大変結構。我ら魔神はそれで良い。皇族だろうが遠慮はするな。それこそ余計な混乱を、最悪内乱にまで繋がりかねん」
例え皇族であろうとも、魔神を御する資格はない。魔神を帝位争いの札に変えぬ為にも、皇族であっても下に着くようにな行為をしてはならない。
「妾が大公位に就いているのもそういうことじゃ。妾の所領は精々が伯爵相応のものであるし、その運営も殆ど一族の者に投げている。言ってしまえば隠居の身よ。それでも大公の地位にいるのは、妾個人が国家に比肩する戦力であるから。そして大公に命を下せるのは『皇帝』だけだからじゃ」
帝国に属する魔神が唯一従う存在。それは帝国の象徴たる皇帝、フリードリヒなどの個人ではない、地位としての『皇帝』のみだ。
「お主も近いうちに大公位を与えられる筈じゃ。我ら魔神格の魔法使いは、『皇帝陛下』にのみ従うという証明の為に。そうでなければ余計な混乱が起こる故な。そしてなにより、これによって帝国の支配体制はより磐石なものとなる!」
誰もが従えられぬ魔神が、唯一従う皇帝。圧倒的な武力を皇帝が手にするだけでなく、その権威もまた果てしなく高めることことができる一手。帝国最古の忠臣たるアクシアが、生涯を掛けて構築した魔神の立ち位置。一種の神殿。
「──なるほど。素晴らしいな」
その見事なまでの仕組みには、ルトも感嘆の声を零した。ルトも一挙一動に意味を持たせて行動はしている。だが、流石にアクシア程の深みはない。説明を受けた今ならば、彼女の立ち振る舞いに秘められた意味の多くを理解できた。
一例を挙げれば、フリードリヒへの『クソガキ』呼びなど。アレは単純に親密さ故の呼び方ではなく、しっかりとした意味のある戒めの類だ。魔神は皇帝に従い、公式の場では臣下の作法を取る。だが、それはアクシアが『皇帝』に従っているのであり、フリードリヒ個人には従っていないという言外の主張。非公式の場となった途端に発せられた、フリードリヒを下に見るような発言の数々は、皇帝に相応しくない人間となった瞬間にすげ替えるという意思の証明。
魔神としての圧倒的な武力だけでなく、老獪という言葉では生温い政治力。流石は遥か時を生きる政界の最古の怪物。事実上の帝国の支配者。
「今後、ルト殿がどのような振る舞いをするかは知らぬがな。少なくとも、今説明した在り方は貫くと誓って貰う。構わぬな?」
それは問い掛けであったが、先達からの事実上の命令であった。
例え同格の魔神であっても、帝国における基盤はもとより、政治手腕は今の説明だけでアクシアの方が遥か上であることは明らか。新参であり、守るべき部下たちもいるルトの選択肢など一択だ。
「──勿論。拒否する理由もない」
「それは重畳じゃ。お主が帝国に加わったことで、まず間違いなく大陸の情勢は大きく動く。未然に国内の混乱の芽を潰せるのは実に有難い」
ルトの答えに、アクシアは満足そうに頷く。国家の繁栄が約束されたことを純粋に喜ぶその姿は、正しく帝国最古の忠臣のそれであった。
「さて。一つ目はコレで終わりじゃ。なので次に移ろうかの」
「……もう一つ、か。魔神の在り方の説明は納得できたし、素直にタメになったと思うが……。他に何か説明が必要なことなどあるのか? また心構えの類か?」
「いや、二つ目はもうちと現実的な話での。一つ目のような政治的な話でない」
そう一度断りを入れてから、アクシアは次なる教育へと踏み出した。
「さっきも言ったように、今後は大陸の情勢は大きく動く。特に注目すべきは、帝国の最大の敵国であるロマス法国の動向じゃ。そこまでは理解できるな?」
「ああ。国家としての特色こそ違えど、最終的な国力、戦力はほぼ拮抗していた。そこに俺、新たな魔神格という劇薬が加わった訳だ。その状態で何もしないなどありえない」
この二国が拮抗していたのは、互いに魔神格という超戦力を同数保持していたからだ。その結果として、お互いに敵国として相対するも、大規模な衝突が起こることはなかった。二国の国力基準で小競り合い程度のものしか起こらなかったのだ。互いに喉元に刃を突き付け合った状態で、抑止が完成していたという訳だ。
だが、今回の一件で帝国にはルトという新たな魔神が加わり、その天秤は大きく傾いた。故にこそ、法国は必ず何かしらのアクションを起こす。
「そうじゃ。近いうちに死にものぐるいで法国は何かしらの手を打つであろう。大規模衝突も想定される。となれば、まず間違いなくあやつ、法国の魔神格たる【使徒】スタークも動く」
挙げられたのは法国の最高戦力。ルトが現れるまでは、アクシアと唯一の同格と見なされていた最強の一角。ただの人間を神兵、戦術級の魔術師に匹敵する戦力へと変貌させる『群』の極地。
「当然ながら、そうなればルト殿も戦場に出ることになる。状況次第ではスタークと直接戦うこともあるかもしれん」
「……だろうな」
魔神と戦えるのは同格たる魔神だけ。それはこの大陸における絶対の法則である。故にこそ、ルトとその可能性は否定しなかった。
──その仮定を否定しておけば良かったと、後にルトは溜め息混じり悔いたという。
「故にこそ、妾はお主に魔神格との戦い方を教授せねばならんのじゃよ」
その言葉と同時に、ルトの視界は『赤』に塗りつぶされた。
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