第22話 皇帝と、神と神 その二

 何を望むか。ルトのその答えによって帝国の、ひいては大陸の未来すらも決定するだろう。己の存在を正しく認識しているルトであるからこそ、そんな常人ならば自意識過剰と笑われかねない事実を正確に把握していた。

 ともすれば人類史すら分岐しかねない重要な局面。しかしながら、ルトは迷わない。自身の影響力をしかと理解した上で、決して揺るがぬ信念をもってして答えてみせた。


「私の望みは二つ。一つ目は、帝国における私と部下たちの命と生活の保証を。二つ目は、【無能】と呼ばれた私に命を捧げたあの愛すべき馬鹿者たち──我が忠臣たちに『救国の英雄』という誉れを」


 全ては部下たちの為に。ルトの中にあるのはそれだけだ。


「……迷うことなく部下の名誉を願うか。話には聞いていたが、随分と無欲な──いや、それも当然であるか」


 ルトの答えに、フリードリヒは興味深そうに言葉を零すも、直ぐに納得したように頷いた。

 実際、ルトはその手の欲など無いに等しい。富も要らない。名誉も要らない。そんなものはわざわざ望まずとも、ルトの力があれば幾らでも手に入るのだから。そしてルトは、そんな栄光を蹴っとばして魔神の力を秘匿してきたのだ。自身に関する望みが、新天地における生活の保証というのも当然だろう。


「うむ。本心からの言葉のようではあるか。ひとまず良しとしよう。部下を想うその心根も好ましく思う。……ちと情が深過ぎる気もするがな」

「まあ、そこは否定致しませぬ。わざわざ部下たちの為に、帝国と交渉をするなど正気ではないでしょう。ですが、忠臣とは何者にも代え難い宝。【無能】で通っていた私には、持っている財など彼らぐらいしかおりませぬ故。そこは大目に見て頂きたく」


 反論することなどできぐらいの正論であった為に、ルトは返す言葉もないと苦笑した。


「ふむ……これは皇帝ではなく、個人的な忠告だがな。あまり部下に執着するものではないぞ? 部下を粗雑に扱うのは論外だが、かといって情を掛け過ぎればそれは明確な弱味となる。ましてやお主の部下たちは文官ではなく兵士だ。命を落とすこともある。そこは理解しておるのか?」

「御心遣い感謝致します。ですが御心配なく。それらは勿論承知の上でございますれば。私が彼らを宝と言ったのは、私の為に命すら惜しまぬ忠義を宿した兵であるからこそ。なればこそ、その宝が最も輝ける場に出すことになんの躊躇いもありませぬ」


 幾ら目を掛けていようとも、ルトがハインリヒたちの命を惜しむことは無い。兵士は戦いの中でこそ最も輝くのだから。お気に入りだからといって後生大事に抱え込んでは、その輝きを無駄に曇らせるだけ。宝石にわざわざ傷を付けるが如き愚行だ。

 なによりその選択は、彼らの忠義に対する最大の侮辱でもある。無駄死にさせることは論外だが、必要な場面で彼らの命を惜しむことなどあってはならない。それは彼らの忠義を、ただの道化の所業へと貶める最悪な所行である。


「臣従を申し出たのも、あくまで私の『宝』の価値を貶めたくなかったからに過ぎませぬ。今回の戦争はあまりにも馬鹿らし過ぎる。あんな不名誉な戦いで、私の『宝』が失われるのも、不名誉な烙印故に価値を落とされるのも我慢ならなかった。それだけでございますれば」

「ほう? では、名誉ある戦いならば、部下は死んでも構わぬと?」

「ええ。勿論、生き残ることが最上ではございます。ですが、力及ばず命を落としたとしても、その忠義の証たる『死』もまた私の宝。故に必要とあらば迷うことなく死ねと命じますとも。そして忠義を果たして散ったのならば、私は胸を張ってその者に誉れを与えましょう」

「……っ、クハハハッ!!! 若い癖に良く分かっておるではないか!! 報告では甘ったれた餓鬼としか思えなかったが、中々どうして見事な将器よ!!」


 ルトの迷いのない言葉に、フリードリヒは呵呵大笑して評価を跳ね上げた。

 フリードリヒの中では、最初のルトの評価は『そこそこ』であった。魔神格の力という破格の才はある。政治的な才覚も中々のものだろう。だが、どうにも部下に対して甘い。そもそもが部下の命と名誉を守る為に正体を晒しているし、部下の為に祖国よりも遥かに格上の帝国と交渉するなど、幾ら彼らが忠臣でも度が過ぎている。

 その為、ルトに関する全ての報告を聞いた上で、フリードリヒは『将来性には期待できるが、部下に対して非情になりきれない未熟者』と結論を下していた。

 それが蓋を開けて見ればどうだ。部下を『宝』と称し、今回の交渉は己が宝の価値を守る為と言い切っただけでなく、部下の死を忠義の証として一切の迷いなくその死もまた『宝』と断じてみせた。

 それが口先だけのでまかせでないことは、フリードリヒの感覚が真っ先に見抜いていた。つまり、ルトの言葉は正真正銘の本心からのものということ。

 部下に、それも目を掛けている忠臣にすら迷いなく『死ね』と命じられる者は中々いない。それができる者は、その殆どが血反吐を吐いて経験を重ねた歴戦の指揮官だ。対してルトは、まだ年若く、戦争など今回が初。そうでありながらこの境地に達しているということは、即ちルトのそれが天性の将器であることに他ならない。

 魔神格としての圧倒的な力。ただの個人として帝国と交渉を実現させた政治の才。自身の財産、忠臣という誇りの為ならば、国家すら相手取ってみせるという王侯貴族に相応しい傲慢さ。部下を思い遣りながらも、必要とあらば犠牲を厭わず命を下してみせる将器。

 なるほど。これ程の才を宿していれば、如何に【無能】を演じようとも惹かれる者が出る筈だ。特に死すら名誉と断ずるその心意気は、忠義深い者である程に惹かれるだろう。五十を超える忠臣が生まれるのも納得であった。


「良いだろう! そこまで分かっているのなら文句は無い。お主の臣従を条件に、その望みを叶えてみせようとも!」

「……有り難き幸せにございます」

「なに、もとよりこれは確定事項だ。魔神格の魔法使いを逃すなど有り得ぬからな。法国にでも流れられたら目も当てられぬ」

「いえいえ。そこについては御安心下さいませ。この身は怠惰が芯にまで染み込んだ駄目人間であれば。戒律だらけの法国での暮らしは難しゅうございます。なにより修道女を見て『有り難み』よりも『女』を感じるような愚か者、私が望めど彼の国の信仰する神が許してはくれませぬ」

「クハハハッ!! 随分とあけすけに語るではないか!! いやだが、確かにあの法衣に包まれた乙女は良いものだ。若い癖に中々分かっているのお主!」


 ルトの遠慮のない物言いに、フリードリヒは腹を抱えて笑い出した挙句、堂々と肯定するという暴挙に出た。謁見の最中に挙げる話題としてはあまりにも品が無い

 が、これもまたルトにとっては必要なこと。なにせ『法国は帝国よりも優先度は低いとは言え、扱い次第では色仕掛けでコロッと靡くから気を付けろ』という忠告なのだから。

 そして勿論、フリードリヒもその含みは正確に読み取っていた。その上での肯定。つまり『委細承知』という言外の返答である。これによって、ルトたちの帝国での生活は完全に保証されたことになる。ルトが最大の敵国たる法国に流れないように、皇帝の名のもとに様々な便宜が計られるだろう。

 ルトが当初の評価通りの未熟者であったのなら、先の忠告から問答やら何やらに移行し、帝国に利となる交換条件を追加で設けようかとフリードリヒも狙っていたのだが、残念──いや幸いなことにそのような隙はルトに存在しなかった。これ程までの人材ならば、余計な交換条件など付けずとも、ただ取り込むだけで将来的にはプラスだ。むしろ、変に付け入る隙がない分、皇帝としては安心できるというもの。

 そうした計算の下に、フリードリヒはルトの臣従を正式に認めたのだった。



 ──皇帝の仕事はこれにて終わった。



「──陛下。このような公式の場で、ましてや乙女の前でそのような会話はお止めください」



 故に、ここから先は魔神の領域である。




 ーーー

 あとがき

 今回も少し短めです。このままジワジワと熱を上げていきまっせ。

 ……それはそうと、皆さんコメントで怠惰な生活を予想してましたけども。これアレですから。クラウスとの話し合いの延長、というか本番ですから。あの時の主人公を思い出して。部下の為に全てを仮面を脱ぎ捨てたカッコイイ主人公を!……不良描写のアクが強すぎたのかしら?

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