第18話 帝国を支えし柱たち

 茜色の光が指し込む廊下を、フロイセル帝国が第三皇女、リーゼロッテが進んでいく。


「思った以上に掛かってしまいましたわ……」


 ガラス窓からは夕日が覗いている。リーゼロッテの予定では、今この時間にはとっくに目的地へと到着している筈であった。

 しかし、思いの他ルトとの会話が弾んでしまい、茶会の切り上げ時を逃してしまったのだ。ルトの応対が本日の最重要案件ではあったので、それ自体は悪いことではないのだが、リーゼロッテからすればそれはあまり褒められた結果ではなかった。

 本来の茶会、いや社交の場というものは、主催者が場の主導権を握り、流れを掌握しなければならない。有利な立場から参加者を意のままに操るとかそういう意味ではなく、全体を把握した上で適宜話の種を投入したり、不穏な気配が立ち込めた際には話題を変えたり、状況次第では大事が起こる前に場を切り上げたりなど、場を円滑に回し無事に舞台を締めくくる為にそうした技術が求められるのである。

 そういう意味では、自らで設定していた時間をオーバーしてしまった今回の茶会は、間違いなく要反省の代物である。ましてやルトは帝国の未来を左右する重要人物。ミスをした訳ではないと言えど、重要人物を招いた茶会で反省点を生み出してしまうのは論外でしかない。


「……欲を掻き過ぎたのでしょうね」


 足を止めることなく、リーゼロッテは茶会の内容を頭の中で反芻させる。そして導き出した反省点を、敢えて言葉に出して戒めとする。

 本来リーゼロッテはこうした独り言の類は吐かない。絶対に吐かないとは言わないが、少なくとも誰の耳があるかも分からぬ場では、例えそれがどうでも良い内容であったとしても零すことはしない。わざわざ隙をつくるような行為であるし、余計な癖が付いたら困るからだ。

 そうした教えを曲げてまで、リーゼロッテが呟く理由。それだけ今回の反省点を重要視している面もあるが、それ以上に早急に『今』の喋り方を定着させる必要があるからだ。


「──着きましたわね。アメリ」

「畏まりました」


 故に、目的地に到着してもリーゼロッテは言葉を紡ぐ。本来ならば必要のない声掛けも敢えて行う。

 そしてアメリと呼ばれたメイドは、自らの職務を全うする為に目的地、皇帝フリードリヒの執務室の扉をノックした。


『──誰だ』


 扉越しに響く、壮年の男の声。それはただの一言でありながら、凄まじき覇気に満ちていた。

 並の者なら今の一言だけでも気圧されかねない。しかし、リーゼロッテは動揺することなく言葉を発する。


「リーゼロッテでございます、陛下」

『──入れ』


 入室の許可が下りる。それに合わせて、メイドのアメリが静かに執務室の扉を開ける。

 執務室の中には、三人の人物がいた。



 ──癖のある金髪と朗らかな笑顔が特徴的な、応接用のソファに腰掛ける美男子。フロイセル帝国が王太子、【天秤】ライオネル・グラン・フロイセル。



 ──短く切り揃えられた淡く輝く真紅の髪と、緋色の瞳、圧倒的な存在感という人外の特徴を宿した、ワインを片手に壁に寄りかかる少女。十五歳程度の外見ながら、その実態は六代に渡り帝国に仕えた最古の忠臣。現状唯一『大公』を名乗ることが許された帝国の最高戦力、【炎神】アクシア・ウィル・ハイゼンベルク。



 片や次代を担う帝国の新たな星。片や古くから帝国を守護する絶対にして無敗の守護神。過去と未来から帝国を支える太き柱の二人。

 そして最後の一人にして、今の帝国を支える最も太き柱の一人。



 ──刈り上げた錆色の髪と巌のような肉体、なにより誰もが膝を着く覇気が特徴的な、この執務室の主のみが許される椅子に腰掛ける壮年の男。大陸の二大巨頭、フロイセル帝国を治める偉大なる皇帝。数多の貴族たちに忠誠を誓わせ、心酔させる指導者。戦場における常勝無敗の怪物。数多の策謀を見透かす恐ろしき政治家。【天龍帝】フリードリヒ・ゼル・フロイセル。



 執務室にいたのは、そんなこの国の最重要人物たち。過去、現在、未来の三点から帝国を支える、正真正銘の怪物たちだ。

 新たな魔神と直接言葉を交わしたリーゼロッテは、ルトの人となりを報告する為に彼ら下に呼ばれていた。


「失礼致します」


 錚々たる顔ぶれを前にしても、リーゼロッテは揺るがない。淑女としての振る舞いを忘れない。何故ならリーゼロッテもまた、眼前の怪物たち程ではないにしろ才気に溢れた乙女。帝国を支える柱となることを誓いし貴き姫君なのだから。

 リーゼロッテが一歩前に出る。それと同時に扉が音も無く閉じられた。ここから先はメイド如きが立ち入ってよい場所では無いが故に。共は無く、リーゼロッテ一人で偉大なる怪物たちと対峙するのだ。


「遅れて申し訳ありません、陛下」

「クハハハッ! 構わん構わん。我はその程度で愛娘を叱責するような、冷たい父ではないぞ?」

「勿論存じておりますわ」


 手始めにリーゼロッテが謝罪の言葉を口にすると、皇帝フリードリヒは問題ないと哄笑した。その姿は正しく豪放磊落。些事に拘らぬ懐の広さがありありと伝わってくる。

 そしてリーゼロッテもまた、その程度のことで叱責されることはない理解していた。皇帝としても父としてもフリードリヒはそういう性格であるし、そもそもルトとの茶会を最優先とせよと命じたのが他ならぬ彼なのだから。

 故にこれはただの前口上。会話の切っ掛けの為に投げた一石でしかない。


「さあ、可愛いリーゼよ。陛下などと堅苦しい呼び方は止めよ。ここには身内しかおらぬ故な」

「おいこらクソガキ。妾を勝手に貴様の娘にするな、気色悪い」

「婆さん……。長生きし過ぎて遂に耄碌したか? 我が乳飲み子の時よりババアだったアンタが、どうやって我の娘になれると言うのだ。幾ら出鱈目なアンタでも、過去を改変することなどできぬだろうに……。あと、アンタみたいな嫌味ったらしい性格の娘とか素直にヤダ」

「ハッハッハっ。燃やすぞクソガキ」


 ……会話を円滑化させる為に投じた筈の一石であったが、どうやら予想外の形の波紋を生み出してしまったようだ。

 一瞬にして皇帝の執務室が場末の酒場に。帝国に君臨せし偉大な皇帝と、守護神として崇拝される炎の女神は、酒場で騒ぎ立てる客と女将へと変貌していた。

 帝国の象徴とも言える二人の醜態。普通の者なら愕然として言葉を失うか、度胸ある者なら二人の態度に苦言を呈するであろう光景。

 そんな光景を前にしても、リーゼロッテは一切の動揺を浮かべなかった。


「……相変わらずでございますね」


 何故ならこの皇帝と魔神のやりとり、公の場でなければそれなりの頻度で行われているからである。

 天龍帝フリードリヒ。多方面で凄まじい才を発揮する偉大な皇帝であるが、その性格は良く言えば豪放磊落、悪く言えばがさつ又は大雑把。そのため似た性格の、それでいて自分よりも破天荒なアクシアとは同類故か頻繁に衝突する。

 炎神アクシア。帝国において守護神と崇められ、永き時を生きて尚衰えぬ美貌を宿す永遠の乙女であるが、それはあくまで見た目だけ。恐ろしい程の長寿故にその性格は荒んでおり、淑女然とした外見に反してその中身は破天荒そのもの。その経歴と立場故に吐き出す言葉に遠慮がなく、非公式の場であれば皇帝にすら平然と暴言を吐く。幼少の頃から接点がある為に、皇帝フリードリヒを頻繁におちょくっている。

 ……因みに余談であるが、アクシアはその絶大な力故に、かつての皇族の男児と婚姻関係にあった。何代も前のできごとではあるが、当の本人が存命しているので、立場的にはれっきとした皇族の一員であり、フリードリヒの身内発言は全く間違っていなかったりする。勿論、二人ともそれは承知の上ではあるが。

 結局のところ、今リーゼロッテの目の前で行われているのは、ひねくれた祖母が孫たちにちょっかいを掛けているのと似た光景なのである。故にリーゼロッテも、口を挟むのは無粋であるとし、苦笑を浮かべて応接用のソファの方へと向かった。……部屋の主の案内無しに着席するなど、本来ならば非常識極まりない行為ではある。が、身内の話し合いという言質は取っているので、その辺の作法には目を瞑ったリーゼロッテである。

 そうしてソファへと腰を下ろすと、同じように苦笑を浮かべていたライオネルが語り掛けてくる。


「ははっ。ハイゼンベルク夫人は本当に寂しがり屋だよね」

「それがあの方の素敵なところですわ。永遠を生きて尚、人としての感性を忘れない。不老不死が人を腐らせると古くからの物語で語られている中、今尚若々しく在るあの方の強さには、一人の女として尊敬致します」


 永き時を生きる者が、離別の運命に苦しみ続ける。古典文学から何度も描かれた物語で、それを実際に経験しているのがアクシアだ。愛した夫も、腹を痛めて産んだ子供も、その子供の子供たちも。親類縁者以外にも、数多の友人知人の死を見送ってきたのがアクシアだ。

 それでも尚、彼女は人と関わる道を選んだ。帝国に仕え、その臣民を守ることを選んだ。それが『強さ』と言わずになんという。『愛』と呼ばずになんという。

 それを誰もが理解しているからこそ、彼女は帝国において守護神として崇められているのである。


「『ハイゼンベルク夫人のようになりなさい』と、貴族の子女は幼い頃から両親に言い聞かされます。あの方は帝国淑女の目標ですもの」

「偶に在り方じゃなくて、態度の方を真似しちゃうお転婆な娘もいるけどね」

「それもまた風物詩ですわ。大抵は直ぐに矯正されるのですから、人生における話の種でございましょう?」


 帝国特有の淑女教育事情を例に挙げ、リーゼロッテはクスクスと茶目っ気溢れる笑いを零す。

 そんなリーゼロッテの姿に、ライオネルは小首を傾げる。


「リーゼがそんな風に笑うなんて珍しいね。どんな気持ちの変化だい?」

「……相変わらずライオネル御兄様は鋭いですわね」


 僅かな会話で違和感を見抜いたライオネルに、流石のリーゼロッテも苦笑を浮かべる。

 この王太子を前に、隠し事は難しい。恐ろしい程の観察力と洞察力でもって察知される。だからこその【天秤】の二つ名。相手の思惑を察し、その上でこれ以上ない落とし所を用意するが故に。


「うむ。それは我も気になっておった」

「はぁぁ……。お主らは無粋だのぅ。乙女の態度が変わるとなれば、それは男に決まっておろう」

「…………本当に恐ろしい方々ですね」


 更にしれっとフリードリヒとアクシアにまで同意され、リーゼロッテは淑女らしからぬ乾いた笑いを零す。

 面と向かって言葉を交わしたライオネルは兎も角、交わしたのはほぼ挨拶程度で、その後は二人ともリーゼロッテをそっちのけで煽り合っていたというのに、どうして察することができたのかと。聞き耳を立てていたにしても、出鱈目が過ぎるだろうと恐怖を通り越して呆れてしまう。

 流石は【天龍帝】と【炎神】。片や帝国が誇る二大皇子の父にして、ライオネルの政の才を『父親譲り』と言わしめる怪物。片や権謀術数の渦巻く宮廷に、六代に掛けてその身を浸けた古強者。その能力はリーゼロッテの想像の遥か上を行く。


「して、何故そんな風になった? もしや新たな魔神に惚れたか?」

「いえ。素敵な方ではありましたが、残念ながら虜となるにはまだ時間が足りませんわ」


 炎神と崇められても乙女は乙女というべきか。ワクワクと分かりやすく声を弾ませるアクシアに、リーゼロッテは苦笑を浮かべて首を横に振る。

 まだルトとは一度しか顔を合わせていないのだ。それで恋に落ちる程、リーゼロッテは幸せな頭を持っていない。勿論、フリードリヒに命じられれば、リーゼロッテは躊躇うことなくルトに嫁ぎ、妻としての役目を全うするだろう。ルトを愛し、子を成すことにも抵抗を感じない。だが、逆に言えばそれだけだ。何故ならリーゼロッテは『皇女』なのだから。


「ほう? では普段の話し方を止めたのだ? あの者の好みか?」

「好み、という訳ではないと思うのですが……。私の普段の話し方では、ルト様は一向に心を開いてくださらなかったのです。社交の経験が少ないという割には、見事な貴公子ぶりではありましたが……。通常の茶会としては及第点ですが、私の目的としては些か外れておりましたので」

「だから、リーゼの方から態度を崩したのか」

「ええ。それで漸く報告通りの口調になって頂けました。継続しているのは念の為ですわね」


 可能性はかなり低いが、普段の完璧な淑女然としたキャラに戻して、縮まった距離感が再び開いてしまっても困る。それに態度を崩してからの方が、ルトも気楽そうにしていたのだ。そういう異性が好みなのかはさておき、それで心を開いて貰えるのならそうするべきだと、リーゼロッテは判断した。


「なるほどのぅ。手強いのは報告通りか。……うむ。では、茶番も終わりにして本題に入るとするか。婆さんも構わんな?」

「そうじゃの。そろそろ真面目に仕事といこう。折角わざわざ領地から出てきたのだからな」


 かくして帝国を支える太き柱たちによる『魔神ルトについて』の会議が始まったのであった。





 ーーー

 あとがき

 今度こそセーフ! ついにやったぜ!……それはそうと、予想以上に長くなって本来書きたかった箇所が書けなかったという。……後編書くか悩むなぁ。このまま切っても問題ない終わり方にしちゃったし。……まあ気分で決めますん。


 という訳で、遂に出てきた帝国トップ。名前だけ出てきたキャラたちの登場!

 コイツらのキャラ掘り下げたせいで長くなったんだよなぁ!!……因みに、私の中のコイツらはビジュアルモチーフがいます。

 イ

 プ

 ノ

 この頭文字だけで分かる人いるかな?


 さて、それじゃあ作者はクリスマス気分で妖精の國に身投げしてきます。……ツラいのよあそこ。

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