第17話 幼き白銀の姫君
幼き白銀の姫君──リーゼロッテと名乗った少女は、皇族直々の出迎えに呆気に取られるルトたちに言った。
『湯を沸かしておりますので、まずは旅の汚れを落としましょう。その後はお茶などいかかでしょうか? お疲れではあると思いますが、是非お付き合い頂けると幸いでございます』
皇帝のお膝元たる王城で告げられた、皇族からの誘い。それがただの思い付きではなく、真意は不明ながら政治的な意味が含まれているのは明らか。なればこそ、ルトたちにその誘いを断る選択肢などありはしなかった。
そんな訳で、ルトは国賓用の浴場へ、ハインリヒは従者用の浴場へとそれぞれ案内され。
「……ふぅ」
「……むむ」
浴場から出てくると、明らかに見違える姿となった二人がいた。
「随分と上品になったなハインリヒ。何処ぞの大貴族の執事みたいだぞ」
「そういう殿下こそ。本物の王子のようですぞ」
片や正真正銘の王族。片やそんな王族の腹心たる護衛兼付き人。二人の立場を知っている者ならば、今の会話は皮肉混じりの冗談であると思うだろう。だが残念なことに、二人とも至って真面目に先程の言葉を口にしていた。本人たちからすると、それ程までに今の姿は違和感があるのである。
戦争に参加していた二人は、当然ながら今まで戦装束に身を包んでいた。旅の間もできる限り、それこそルトの『状態凍結』の魔法を使ってまで身綺麗にしていたが、それでも元から薄汚れ気味である以上は限度があった。故にこそ、リーゼロッテも入浴を進めたのだろうが……。
「ランドと比べると悲しくなってくるな……。用意された全てが明らかに最高級の代物だった」
「こちらもでございます。最高級とは言いませぬが、全てが臣下の扱える品質の中で最上位のものでございました」
入浴に伴って用意されていた品の全てが、ランド王国で扱っていた物よりも遥かに上等な物だったが故に、二人は落ち着かない様子であった。
香油などの入浴用品も、戦装束の代わりに用意されていた着替えも。これまで小国相応の品を扱っていた二人にとっては、大陸の二大巨頭たる帝国が賓客用に用意した品は過剰としか思えない品質であった。
「いやはや。以前皮肉で言ったが、冗談抜きでランドの王族、帝国では裕福な市民ぐらいの生活水準かもしれんぞ?」
「少しばかり否定できませんなぁ……」
衣服の生地の質感を肌で確かめながら、二人は揃って苦笑いを浮かべる。もとより自身の出自に拘りなど持っていないルトであっても、ここまでの生活水準の差を見せ付けられたら乾いた笑みが零れるというもの。
「んで、これからこの品質の衣服が参加条件のお茶会が待っていると……」
「否が応でも緊張してしまいますな」
「……お前は真顔で後ろに控えてるだけだろうが。何を緊張することがあるってんだ」
「いやいやいや。殿下が妙なことを口走らないかと戦々恐々でございます」
「主に向けて余計なことを口走ってるお前が言うなジジイ」
いけしゃあしゃあと自身を棚上げするハインリヒに、ルトは大きく溜息を吐く。ついでに内心の憂鬱も一緒に吐き出し、一気に気持ちを切り替えた。
「──さて。お喋りはこのくらいにしておくか」
その言葉と同時に、ルトはこれまで一切主張することなく壁際に控えていた者、任を解かれたアズールに代わり、ルトに付けられたメイドたちへと視線を向ける。
「待たせたな。それでは案内を頼む」
「「畏まりました」」
主従とは思えぬ二人のやり取りを見せられても、一切の感情の乱れを感じさせぬメイドたち。必要な時以外は背景に徹する使用人の鑑のような彼女たちは、一度だけルトに向けて腰を折った後、衣擦れの音一つ立てることなく先導を始めた。
メイドたちの後を追い、空間の隅々から格式の高さを感じさせる廊下を暫く歩き。
「「──こちらでございます」」
辿り着いたのは緑が見事に調和した庭園。落ち着いた色合いの花々と、青々とした葉を茂らせる木々が空間を彩る美しき庭であった。
そして、そんな美しき庭の最も良い場所、柔らかな木漏れ日が差し込む場所に設置された椅子に腰掛け、静かに微笑む白銀の姫。
リーゼロッテの姿を目にしたルトは即座に後ろに控えるハインリヒに目配せし、その後素早く、されど慌てることなく歩を進め、彼女の前に膝を着いた。
「本日はこのような場にお誘い頂き、誠にありがとうございます。また、先程はまともな挨拶を返せなかったこと、深くお詫び申し上げます。偉大なる皇帝フリードリヒ陛下の御息女、リーゼロッテ様に拝謁が叶いましたこと、望外の喜びでございます」
「まあっ……」
ルトが貴人に対する礼を取ったのが予想外だったのか、リーゼロッテは口に手を当てて驚きの声を上げる。だが、そこは帝国の姫君。すぐに戸惑いを隠し、淑やかな微笑みを浮かべて跪くルトへと語り掛ける。
「ルト様、顔を上げてくださいまし。確かに私はこの国の姫ではありますが、貴方様と比べれば肩書きだけの小娘でしかありません。魔神格の魔法使いたるルト様の方が、遥かに『格』としては上でございます。ですので、そのように畏まられると私も困ってしまいますわ。ささ、どうかお座りくださいな」
「……では、失礼して」
如何に捻くれた性格を自覚するルトといえど、幼い少女に『困る』と言われてしまえば折れるしかなかった。
そうしてリーゼロッテに促されるままにルトが席に付くと、彼女の傍に控えていたメイドが手早く茶器を用意を始める。
「お茶の種類は如何致しますか? 本日御用意した茶葉はこちらの六種となっております。必要でしたら御説明も致しますが」
「済まないが、私は茶には詳しくなくてな。差し障りなければ、皇女殿下と同じものを頼む」
「畏まりました。では『レズノール』を御用意致します」
そしてルトの目の前に紅茶、茶に拘りなど全くないルトが聞いたこともない、だが間違いなく最高級の一杯が注がれたことで、色々な意味で高貴な『お茶会』が始まった。
最初に話題を切り出したのはリーゼロッテである。
「それにしても驚きました。私が伺っていた話だと、ルト様はクラウス御兄様とも対等に語り合っていたとか。そうでありながら、妹である私にあそこまで礼を尽くして頂けるとは」
「あれは言葉よりも武が尊重される戦場故でございます。本来なれば、私程度の身分ではクラウス殿下にお声掛けすることすら畏れ多く」
「そんなことはございません。他国の出であるルト様はあまり想像し難いことだと思いますが、帝国における『魔神格』という称号は極めて重いのです。【炎神】ハイゼンベルク夫人が築き上げた魔神への畏れ、いや最早信仰とも言えるそれは、そのままルト様にも当てはまるのです」
リーゼロッテは厳かに告げる。帝国における『魔神』の称号に宿る権威を。それは強大なる帝国を支える太き柱たる【公爵位】にすら匹敵、または凌駕する格を備えているという。あくまで『権威』だけで『権力』は存在しないが、国家を滅ぼしうる武力がある以上はそれも誤差だと。
その言葉をルトは静かに聞いていた。自身が帝国において公爵家当主以上の権威を備えていることに驚くことも、他人が築き上げた功績に便乗する形になったことに思うところを見せることもなく。ただ、そういうものなのかと頷くだけであった。
それに対して、意外そうな反応をしたのはリーゼロッテである。
「……驚かれないのですか?」
「ええ、まあ。明確に言葉にされたことはありませんでしたが、予想はしていましたので。魔神格は国家を滅ぼしうる個人。排除できぬのなら、できることは一択でございますれば」
排除できぬのなら、せめて敵に渡らぬよう全力で抱えるだけであり、そのついでに利益が得られるなら万々歳。魔神格とはよく言ったもので、神に等しき力を持つ存在ならば、崇め奉り、御魂を鎮め、厄災と化すのを封じる。そして偶に神の恵みを施して貰うのが、最も効果的で効率的な対応だろう。
だからこそ、公爵以上の権威が魔神格の称号に宿っていても不思議ではないのだ。
「ふふっ。お伺いしていた通り、聡明な方なのですね。ですが、そこまでご理解頂けているのなら話は早いですわ。ルト様、もう少しだけ、いえ普段のルト様の姿を私に見せて頂けませんか?」
「……それはどういう意味で?」
「言葉の通りでございますわ。私が伺った限りでは、ルト様はもっと自由なお方であると。であるのならば、です。今は折角のお茶会でございますし、もっと肩の力を抜いて頂けたらと、茶会の主として願わずにはいられないのです」
そう語りながら僅かに目を伏せるリーゼロッテに、ルトは思わず言葉を詰まらせる。
リーゼロッテの可憐な仕草に胸を打たれた──訳ではない。ただこれまで交わしてきた言葉の数々に、彼女の仕草。その端々から感じていた感覚が、今この瞬間に漸く形となったのだ。
──やりづらい、と。
別にリーゼロッテの言動が不快という訳ではない。美しき白銀の髪と、琥珀色の瞳が特徴のリーゼロッテ。雪の精もかくやという神秘的な美貌を備えた彼女は、その言葉や仕草の全てに『可憐』という形容詞が当てはまる程だ。それでいて深窓の令嬢、馬鹿正直に言ってしまえば箱入り娘特有の世間知らずな雰囲気は微塵も無く、その瞳からは幼き見た目に似合わぬ程の聡明さと気高さを感じさせる。
美貌と知性を兼ね備えた少女。それこそがリーゼロッテ・クラム・フロイセルという姫君であり、『皇女』という肩書きがこれ程までに似合う乙女はそうはいないとルトは断言できる。
……だが、いやだからこそと言うべきか。そんな才気に溢れる姫であるが故に、ルトは言い現せぬ底知れ無さのようなものを感じているのである。
「……お気持ちは嬉しいですが、皇女殿下の御前にて、そのような無礼な振る舞いなど……」
「ルト様。今さっき申し上げたではございませんか。格ではルト様が上で、私が下であると。皇女である私を立てて頂けるのは大変嬉しく思いますが、目上の者が下の者に畏まってはなりません。……それとも、ルト様は私を困らせて楽しんでいらっしゃるのですか?」
「……」
困ったような声音から一転し、茶目っ気に溢れながらも何処か蠱惑的な気配の混じるリーゼロッテの笑み。
そこから覗くナニカの『片鱗』に、ルトは内心で盛大に頬を引き攣らせた。
「っ、……はぁ。了解。俺の負けだ。これでよろしいですか皇女殿下?」
「私の願いを聞き入れて頂き感謝致します。ですが、まだ少々固く感じますわ。──どうか私のことはリーゼロッテと、もしくはリーゼとお呼びくださいませ」
「……あー、それは流石に……」
「リーゼと」
「……完敗だよリーゼロッテ。あとサラッと愛称一択にするな」
「あら。ルト様は意地悪でございます」
最初の淑やかさから一転、いや僅かに茶目っ気が滲むようになったリーゼロッテに、ルトはなんとなくであるが彼女の本質を察した。そして理解した。『どうりでやりづらい訳だ』と。
想定以上に目の前の姫君が曲者であると気付いてしまったルトは、最早遠慮することなく盛大に溜息を吐いた。
「全く……。見た目の割に随分とイイ性格をしているな。一体何歳だキミ?」
「ルト様。まだ私は幼き身でありますが、それでも乙女に歳を尋ねるのは如何なものかと苦言を呈させて頂きます」
「その辺りは否定はせんがな。ただキミの場合はどうせ調べれば分かることだろ?」
「やはりルト様は意地悪でございますね。つい最近、十二歳になりましたわ」
「……なるほど。帝国は優れた教育を行っているようだ」
齢十二で既にコレかと、ルトは本気で頭が痛くなった気がした。躊躇いなく年齢を告げる辺り、本当にやりづらい。
「可愛らしい見た目と裏腹に、恐ろしいまでの才気を感じさせる姫君だよキミは」
「お褒め頂き光栄でございます。ですが見た目、いえ周囲の評価と実態が釣り合わないという意味では、ルト様も大概であると私は思いますわ」
「何言ってるんだ。色々と俺の情報は伝わってるんだろ? 報告通りの怠け者の駄目人間だよ俺は」
「そう振舞って魔神格の力を隠し続けた御方が、謙遜などなさらないでくださいませ」
それはリーゼロッテの偽りのない本心であった。確かに報告では、ルトの言動はお世辞にも褒められものではない。特に侵攻軍の陣中での振る舞いは、リーゼロッテですら呆れさせたものだ。だが、ルトはその振る舞いによって帝国の諜報部すら欺き、最高のタイミングでその力を帝国へと突き付けたのである。
駄目人間そのものといえる振る舞いに関しては目を覆いたくなるものであるが、力の秘匿という一点に関しては本気でリーゼロッテは尊敬の念を抱いていた。
「ルト様の掴みどころのなさは、私はとても尊敬しているのですよ? 今回だって、事前に伺っていたような砕けた様子で接して頂けるとばかり思っていたのですから」
「何を言うか。流石に俺もそれぐらいの礼節はあるが?」
「それはそうなのでしょうけども……。私と致しましては、是非普段通りのルト様とお話したかったのです」
「……だからあんなに食い下がってきたのか」
「ええ。私はルト様と仲良くなりたいのです。ですので、飾らぬ貴方様とどうしてもお話したかったのですわ」
「……左様で……」
そう言って嫋やかに微笑むリーゼロッテに、ルトは力なく返した。もう既にルトは彼女の相手をすることに疲れていた。
「──さあ、ルト様。楽しいお茶会を続けましょう?」
しかし、幼き白銀の姫君は蠱惑的に笑うのだった。
ーーー
あとがき
ちくせう! またや、 また一分オーバーした! 何でこの一分が届かないんや!!
……まあ、それはそれとして皇女様です。多分現状で1番喋った女性キャラ。 それにしても、リーゼロッテちゃん出てからコメントが一気に増えて笑いました。やっぱりヒロインって大事なのね。
因みにこのお姫様、キャラ属性で言えば帝国だから『皇女』。他の王国とかなら『王女』になる。お姫様キャラでは断じてない。
えー、それはそうと、活動報告では書きましたが、念の為こちらでも宣伝を。作者のうさぎはTwitterのアカウントにて、無謀にもセルフ締切を設定しております。この締切は、フォロワーの数が増えれば増えれる程(精神的)拘束力が増していきます。うさぎのケツを蹴りたい、さっさと次の話を読みたいという方はアカウントのフォローを。作者ページにアカウントは載ってるので。
……では、うさぎは一段落したので馬を育てきますね。昨日までログイン勢だったんですけど、色々あって沼に落ちかけてるんで。
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