第13話 【無能】で【不良】な王子様 その一
「……くぁぁ……」
ルトの大きな欠伸が、宛てがわれた賓客用の天幕の中にこだまする。その後、酷く緩慢な動きでベットから起き上がったルトは、のそのそと天幕の中を移動し、机の上に置かれていた水差しから水をごくごくと飲んでいく。尚、注ぐのを面倒に思ったのか、コップすら使わずに口へと直接水を注いでいくスタイルである。
その光景は色んな意味で異質だ。一見するとうだつの上がらない下級生市民の朝の光景であるのだが、実際のルトの立場は庶子とは言え王族。更に言えば、大陸の二大巨頭の片割れたる帝国軍から賓客用の天幕を与えられる『個人』である。そんな超がつく重要人物の筈なのに、その動作の一つ一つがあまりにも俗っぽい。そして何故かそれが異様な程にサマになっており、違和感が全く感じないのだから余計に異質だ。
「……ふう。全く理想の日々だなこりゃ」
だが、当の本人は『これぞ幸せ』とばかりに清々しい表情で目を細めているのだから、色んな意味で手遅れだと言えるだろう。なにせ、ルトが部下たちと今後についての話し合いを行ってから現在で七日の時が経つにも関わらず、これまでの間殆ど天幕から出ずに過ごしていたのだから。
因みに、最初の方ではあまりにもルトが天幕から出てこなかった為に、話し合いから三日後ぐらいにわざわざクラウスが生存&逃走の確認の為に顔を出したこともある。その時ルトは、魔法で生み出した氷を彫刻へと加工して暇を潰していた。『秘匿の必要性が無くなったし、これで堂々と魔法を使った暇潰しができる』とはルトの談である。
そんな訳で、貪れるだけ惰眠を貪り、気が向いたら適当な暇潰しで時間を浪費するという、怠惰の極みのような日々をルトは過ごしているのである。これにはルトと近しい部下たちはもとより、クラウスたち侵攻軍側の人間も呆れるしかなかった。普段からこんな様子で居たのなら、当然無能と呼ばれる筈だとクラウスが変な納得をした程だ。
『……ルト様、ご起床ですか?』
「アズール殿か。ああ、今起きたところだよ」
今日も今日とて、日が登りきった頃に起床するという駄目人間ムーブをルトが行っていると、物音に気付いたのか天幕の外から声が掛かる。
『入室してよろしいでしょうか?』
「ああ」
「では失礼致します」
そう断りながら天幕へと入ってきたのは、艶のある赤毛を靡かせる一人の女性、いやまだ少女と呼べるようなあどけなさを残した娘であった。
彼女の名はアズール・ミルヒ・レンブラント。今回の一件に伴い、侵攻軍側からルトへと付けられた監視兼世話係だ。アズールは数々の有能な武官を輩出してきた名門貴族の娘であり、本人もまた女性ながらに名門の名に恥じぬ優秀さを発揮している才女だ。また、皇女を始めとしたやんごとなき立場の姫たちが軍籍を持った場合に、その身の回りの世話をする為に軍人でありながらメイド顔負けの奉仕技術を身に付けている。
そうした能力の高さから、他国の王族であり魔神格の魔法使いという最重要人物であるルトの監視兼世話係に任命されたのがアズールだ。……因みに、ルトは最初アズールを紹介された時に『いきなり女を宛てがってきたか?』と身構えたのだが、その直ぐ後に目の前でクラウスが『ルト殿の動向を逐一……でなくとも良いから必ず報告しろ。幾らハインリヒ殿たちからの報告はあっても、あの三日間は心臓に悪過ぎた』と念押しされたことで、『あ、これマジで帝国側の監視を増やすのがメインの奴だ』と思い直した経緯があったりする。
「毎度悪いな。こんな駄目人間の世話なんかさせて」
「いえ、これは任務ですのでお気遣いなく」
そしてそんな経緯があったからか、ルトはアズールに思いの外気を許していた。命令されていないからかルトに『女』として取り入ろうとしてくることなく、ただの世話係として接し、それ以上深入りしてこないアズールの距離感がルトには心地よいのだ。なにせ一切の面倒を感じさせずに、ルトの生活を快適なものへと変えてくれるのだから、怠惰を標榜するルトが『使用人』としてアズールを気に入るのもある意味で当然である。
「それにルト様の場合、変わっていらっしゃるのは起床時間が不定期なことと、天幕から殆ど出ないことだけですので。それ以外はほぼ問題がございませんので、特段苦でもありません。大抵のことはご自身で済ませてしまうので、むしろお世話のしがいがないぐらいです」
「いやいやいや。着替えやら片付けやらは普通自分でやるもんだろうよ」
「それは一般的な市民の考え方でございます。普通の王族の方は、そうした行為はご自身でなさりません」
そう言って苦笑を浮かべながら、アズールがパッと天幕の中を見回した。ルトの言葉通り、ルトの天幕の中は程々に綺麗だ。勿論、準本職とも言えるアズール視点ではまだまだ甘いところがあるが、それでも世話されることに慣れてる王族が一人で過ごしていたと考えれば、ルトの天幕の中はかなり整頓されている方だろう。少なくとも、七日間ほぼ天幕にこもりっきりで、天幕を訪ねるのはルトの部下たちかクラウスぐらい。掃除を行う人物などアズールしかおらず、そのアズール自身もルトが頻繁に惰眠を貪るせいで長時間天幕の中に留まってはいない。そんな状況でこれだけ清潔感を保っているのだから、地味にルトの生活能力の高さが伺える。
「ま、頻繁に城を抜け出してたからな。いやでも庶民っぽくなるさ」
「ハインリヒ殿が嘆かれますよ」
「今更だろ」
実際、ルトが衝撃的なカミングアウトをかましたあの日から、度々思い出したように溜息を吐くハインリヒの姿が目撃されていたりする。なにせハインリヒは、内心では畏れ多いと感じつつもルトのことを孫のように思っていたのだ。そんな相手が城を抜け出し、場末の娼館やら飲み屋やらに顔を出していたとなれば、護衛役としても一人の保護者代わりとしても頭を抱えたくもなる。
まあ、当の本人がその嘆きを全く気にも止めていないのだが。
「さて。アズール殿、取り敢えず朝食……いやもう昼食か。兎も角、飯の用意をお願いできるか?」
「かしこまりました。何かご希望はございますでしょうか?」
「乾燥果実だけで良い」
「……ルト様。毎度申しておりますが、賓客である貴方様にそのような粗雑なお食事をお出しすることはできかねます」
「アレはアレで美味いと思うがね」
そう言って肩を竦めるルトに、アズールはなんとも言えない表情を浮かべながら、内心でハインリヒに対して強い共感を覚えていた。
『何故この方はここまで王族らしくないのだろう?』と、この短期間で何度疑問に思ったのかアズールには最早分からない。身の回りのことを自身で行う部分もそうだが、ルトは食事に対する拘りもあまりないのである。例え行軍中であったとしても、普通は王族ならもう少しマトモな食事を要求するものだし、そもそも『乾燥果実だけ』など下級兵の食事未満の内容である。補給線が絶たれているような状況ならまだ分かるが、現状でそのような食事をわざわざ選択する意味がない。
「パッと食べられるから個人的には結構好きなんだが」
「もう少しお食事に拘りを持って頂けると……」
「いや、拘りがない訳でもないんだが。……あ」
アズールの言葉に苦笑いを浮かべるルトであったが、ふと何かを思い付いたかのような声を零す。
そんなルトの様子にアズールは一瞬だけ身構える。短い付き合いではあるが、既にアズールはルトの性格をある程度把握していた。要所要所では恐ろしい程に冷徹かつ合理的な思考をするルトであるが、日常では極めて怠惰かつ奔放。ハインリヒを筆頭とした部下たちが頭を抱えるような素行不良な面も見られ、突拍子もない暇つぶしという思い付きで周りを振り回す。結論を言うと、ルトはとても『猫っぽい』のだ。獲物を仕留める時だけは恐ろしいハンターとなるが、それ以外の場面では自由かつ自堕落。『人に慣れている厄介な野良猫』というのが、アズールが密かに抱いているルトへの印象であった。
そんな野良猫が何かを思い付いたのだから、『また突拍子もないことで周りを振り回すに違いない』とアズールが警戒するのも当然である。そして事実として、その予想は当たっていた。
「なら今日は飯でも作るか」
「……お食事でしたらこちらでご用意致しますが?」
「いや、自分で作りたい気分だ。別に変なことはしないから安心してくれ」
「……左様ですか」
遠回しに『止めて欲しい』とアズールは言ったのだが、残念ながらルトには伝わらなかった。含みが伝わっていても無視されたというのが正解であるのだが。
そしてこうなってしまっては、世話係でしかないアズールにルトを止める術はない。立場的にはルトの方が圧倒的に上である以上、侵攻軍に不利益を与えかねない行為でもなければアズールには何もできないのである。嗚呼、地位の差というのは無常である。
そんな訳で、ルトは久々に天幕の外に出た。向かう先は侵攻軍の調理班のいる天幕……ではなく、ルトの部下たちの天幕であった。
「……あの、ルト様? お料理を為さるなら向こうの天幕なのですが」
「あー、料理って言ってもそんな洒落たもんじゃないからな。取り敢えず、アズール殿は薪と塩だけ持ってきてくれ」
「はぁ……?」
『何故に薪と塩だけ? 食器は? 食材は?』とアズールは内心で疑問符を浮かべるが、指示された以上は世話係として行動しなければならない。今の状況でルトから目を離すのは不安であったが、ハインリヒを筆頭に常識人の多いルトの部下たちもいるので、酷いことにはならないだろうと自身を無理矢理納得させ、薪の調達へと向かった。
そして件のルトは、そんな風にアズールが葛藤していたとはいざ知らず、我が物顔で部下たちの天幕へと入っていく。
「あれ? 殿下じゃないっすか。外にいるなんて珍しいっすね」
「今度は何思い付いたんですか? デカい氷の彫像でも造るつもりです?」
唐突に天幕に入ってきたルトに対して、中で談笑していた部下たちが目を丸くし、口々に訪問の理由を尋ねてくる。近くの天幕に顔出しただけでこんな言葉を投げかけられるあたり、部下たちからのルトへの評価が伺える。
「彫像はまた今度な。今から飯作るんだよ」
「飯? アズール殿にでも作って貰うつもりですか?」
「いや自分で作る」
「……え? 殿下って飯作れるんですか?」
「前まで兵士でもあったんだから当たり前だろ」
「いや、確かに兵士なら食料調達の一環で一通りの調理技術は叩き込まれますが……」
「王族もそうだったか……?」
ルトの言葉に、はてと首を傾げる部下一同。『食』は生命に直結する重大要素である以上、どんな場所でも最低限『食べられる物』を作れる技術と知識は兵士にとって必須なものだ。だからルトの言葉は間違っていない。間違ってはいないのだが、地味に歴戦の兵士たちが多いルトの部下たちは『うちの軍って王族にまでそんな教育徹底してたのか?』と、首を捻らずにはいられない。限りなく違う気がするのだが、残念なことに王族を始めとした高位貴族の子息用の指導カリキュラムを把握している者がこの場にいなかった為に、断定することはできなかった。……尚、この場に元軍の高官のハインリヒがいれば、『いやそんな教育要項はありませんが!? また妙なところに出入りして学んだでしょう殿下!!』と声を上げていたことだろう。だが残念なことに、ハインリヒは身体が鈍らないようにと一部の部下たちと外に出て自主訓練中であった。
「ま、そんな訳でだ。経験のある奴は手伝え。流石に経験は多い方じゃねえから助言が欲しい」
「なるほど……? それならこの場にいる全員、一通りの調理技術は備えていますが」
「いや、調理に関しては俺もある程度、普通に一人で生活できる程度にはやれるから問題無いんだよ。どっちかというと狩猟経験がある奴が欲しいな。鳥捌くから」
「「「「……は?」」」」
ーーーー
あとがき
……今回はちょっとした箸休め兼、今後出てくるであろう日常パート的な話。あとはルトの性格(特に駄目な部分)の掘り下げ。猫云々は作者が書いてる内に『こいつ勝手に他人の家上がって寛いで、ちゃっかり餌だけ貰って速攻消え去るタイプの野良猫では?』と思ったから記入。
あとそろそろ女性キャラをだそうかなということで、新キャラのアズールちゃん。ヒロインというよりルトの使用人兼部下って感じで、そんなに媚びません。現状のスタンス的には上司(ルトではなくクラウス)に命令され、実家からOKが出たら肉体関係を持つのかな程度のリアルさばさば系キャラです。
あと、コメントで段落つけて的な奴があったので、試験的に導入してみた……は良いんですけど、なんかプレビュー見る限り反映されてるのか微妙なんですよね。どうなってんだろこれ?
……それはそれとして、なんかランキング一位になってるってマですか? いや、なってたんでけどもね。嬉しい反面マジで?ってなってる私がいます。こんな誤字脱字だらけで、ヒロインらしいヒロインどころか、女性キャラすら漸く出てきたようなレベルなのに!? これまで出てきてるの不良(主人公)と、ジジイ(苦労人)と、兄貴系(皇子)と腹黒メガネ系(従者)とツッコミ担当ガヤ(部下たち)だけだぞ!? 良いのかコレで!?
……あとさ、前に私の書いてるもう一つの方もチラッと話したじゃないですか。アレも何か地味にフォロー増えてて戦々恐々としてるんですが。これもランキング一位効果……?
ちょっと修正。食器の調達を『薪』の調達に変えました。頭で流れ考えてたのに何で食器って書いたんだ私は……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます