第11話 魔神と皇子の停戦交渉 その四
永久凍土を思わせるかのような声音で投げ掛けられたルトの問い。
その問いが言外に何を指しているのかは、クラウスも自然と理解した。
「……それはランド王国のことを言っているのか?」
「当然。この流れで全く関係のない第三国の名前が挙がるとでも?」
「まあ、だろうな」
念の為の確認に対して皮肉混じりの即答が返ってきたことで、クラウスはなんとも言い難い表情を浮かべる。
統治者としての資格云々というのは、実のところクラウスも割と耳にする話である。
皇帝の地位や貴族の当主の座を求めて、継承権を持つ者たちが大義名分の一つに掲げたりするからだ。
『○○には統治者としての資格は無く、私こそが君主/当主に相応しい』などといった主張は、歴史を紐解けばそれこそ腐るほどに存在している。
が、ルトの語るそれはそうした過去の例とは明らかに異なるものだ。
かつての者たちの主張には、他者を貶め己を持ち上げるという意図があった。人を蹴落とし長に成り代わろうという野心があった。
だがルトにはそれがない。己を持ち上げることも、長に成り代わろうとする訳でもなく。
ただ純然たる事実として祖国の王を、王と共に在るべき貴族たちに対して『統治者としての資格無し』と断言してみせたのだ。
「言いたいことは分かるがなぁ……」
クラウスとて同様の考え自体は抱いている。自ら戦禍を、負け戦を招く上層部など国に、国民とって害そのものだ。
存在してはならないというのなら、確かにその通りであろう。
何万、何十万の命が自身の意思決定一つで左右されることを理解せず、軽々に悪手を打ち、挽回すらマトモにできない者たちがのさばっているというのなら、いっそのこと滅んでしまえと見限りたくなる気持ちも痛いほど分かる。
だが、それでも腑に落ちないというのがクラウスの正直な感想だ。
何故ならルトはそこらの木っ端貴族や平民ではなく、低いと言えどもれっきとした王位継承権を所持する王族なのだ。
その気になれば国王の席に腰掛けることができる立場にいる者が、何故自国を見限れるのかがクラウスには分からないのだ。
「なあ、ルト殿。そこまで上層部を批判するのなら、そなたが王を目指せばよかろう? これまでの話し合いで分かるが、少なくとも現国王よりルト殿は遥かに為政者としては上だ。なにより魔神格としての力もある。そなたがその気になれば、継承権など容易く覆し玉座に座ることも叶う筈だ」
何故それをしない?と、クラウスは不思議そうに首を傾げる。これはルトに対する批判ではなく、クラウスの本気の疑問であった。
批判するのは分かる。だがルトが改善の為に行動しないのが分からないのだ。
事態を悪化させる無能なら兎も角、ルトは有能だ。それも『智』と『武』の両方に秀でた傑物である。
事態を改善する権利と力を持つ者が、行動を起こさないのはただの怠慢。それこそルトが批判している上層部と同類と言えるだろう。
それをルトが分からない筈がないのに、何故行動を起こさないのだろうかと、クラウスには不思議でならなかった。
そんなクラウスの疑問に対して、ルトは空虚な瞳で静かに返した。
「……しょうがないだろ。上層部は優秀な部類ではないとは思ってたが、まさかあそこまでとち狂ってるとは思わなかったんだから……」
「ぬ?」
しみじみと。全てを諦め天災を受け入れた民草の如く、ルトはポツポツと語っていく。
「こういうと言い訳みたいに聞こえるだろうが、何だかんだ言って俺も目が曇ってたんだよ……。流石にそんなことはしないだろって。だから判断を誤った。結果として、俺がどうこうしようと悩む前にランドは詰んだ」
何もしないのではない。ルトが何かをすると決意する前には全てが終わっていたのだ。
「帝国とランドの国力差は絶望的だ。武力は勿論、経済力でも足元に及ばない。ランドの周辺諸国は大半が帝国の属国だ。やろうとすれば経済制裁など容易い。帝国がランドと取引のある属国に声を掛ければ、それだけで我が国の物価は上昇し、経済そのものが停滞する。新たに他の第三国と取引するにも、帝国と敵対中というのは非常に不利な要素となる。いつ消えるかも分からない国など取引相手としては下の下だからな」
「……それはそうだな」
「つまりだ。帝国に敵対の大義名分を与えた時点で、遅かれ早かれランドは滅びる運命にある訳だ。武力で即刻潰されるか、経済で真綿で締め上げるように衰退させられるかの違いでしかない。……俺はそれを皆が理解している前提で考えてたんだよ」
「ああ……」
その結果が一人の愚者の暴走。そして優柔不断な国王と役人たちが見事に国家を『詰ませた』訳だ。
『如何に帝国と敵対しないか』を目的とした外交戦が展開されると予想していたルトにとって、正にそれは晴天の霹靂。
対応策を用意する前に詰んだのだから、もうどうしようもないのである。
「こうなったらもう駄目だ。帝国と交戦状態の中、俺が玉座を手にせんと立ち上がったところで意味は無い。現国王はもとより、継承権上位の兄上叔父上たちも存命してる以上、俺が立ち上がったとしても始まるのは王位を掛けた内乱だ。帝国は内乱が勃発した敵対国、それも圧倒的国力差のある小国を無視するのか?」
「これ幸いと潰しにいくだろう」
「ではもし俺が魔神格の力を明かしたとしたら?」
「……武力制圧から内乱を激化させる裏工作に切り替えるだろうな」
「そういうことだよ。この状況で下手に立ち上がったところで余計な地獄を作るだけだ。だったらさっさと俺は臣下を連れて泥舟を降りるし、残された国民の為にも上の連中全員をすげ替えさせる。多分それが比較的マシな結果に繋がる」
「ぬぅ……」
ルトの言葉にクラウスが唸る。想定される被害を考えた場合、確かにルトの判断は間違っていない。
帝国と敵対した時点で、自身が王位に就くという選択肢が無いというのは納得できる。
残された国民の為を思えば、現在の上層部よりも帝国の役人を上に据えた方がマシという判断も正しいと思う。
だが、その代償として祖国の名が地図から消えることになる。それを許容するというのは、クラウスとしては受け入れ難い考えであった。
「結果として祖国が滅びるのだぞ? それは構わんのか?」
「俺と臣下たちの命と生活が保証されていれば別にだな」
「……それはルト殿個人の考えであろう? 平民は故郷の名が消え、貴族は生活基盤そのものが潰えることになるのだぞ? そこについて、王族として思うところは無いのか?」
王族である以上、国民の安寧を守るのは義務である。如何に国が詰んだとしても、そこは足掻くべきではないのかというのが、クラウスの価値観であった。
それに対してルトは苦笑を浮かべる。クラウスの語るそれは、根本的な部分で彼が皇族であるということを如実に語っていたからだ。
「クラウス殿下は民に夢を見すぎているな」
「なんだと?」
「彼らはそんな柔じゃないってことさ。平民が求めているのは日々の安寧だ。それが保証されれば国が変わったところで大して気にしない。多少の物寂しさを感じるのが精々だし、それも次第に忘れて適応していくだろうよ」
クラウスの視点は皇族のもの。即ち国家を運営し、民草の生活を守る者の視点だ。
平民たちはクラウスにとって、庇護すべきか弱い存在なのだろう。
対してルトは、王族でありながらも平民たちの図太さと逞しさを知っている。
様々な技術はもとより、人々の価値観も発展途上の世界に生きる彼ら。
安定した生活を送っていようと、本質的には不安定な、それこそ数日後に路頭に迷い路地裏で転がっていてもおかしくないような環境で生きる彼らが、そんなか弱い訳がないのである。
貧困の代名詞の一つとして語られる田舎の農家ですら、その本質は恐るべき肉体労働者。
自然を相手に土を耕し、場合によっては自ら害獣や賊とも戦う屈強な戦士なのだ。
はっきり言って、衣食住が保証された生活を送っている貴族などより、そこらの平民の方が余程生命力に溢れているのが現実である。
「彼らが国が変わるかもと戦々恐々とするのは、これまで以上に税金が高くなるかとか、戦争の際の略奪とか、元敵国ということで粗雑な扱いを受けるかもとか、そうした不安要素があるからだ。そうした不安要素が許容範囲に収まると分かれば、まあそりゃ見事に適応してみせるだろうよ」
「……帝国の統治に不安は無いと何故断言できる?」
「そりゃ勿論、これまでの帝国の情勢を多少なりとも掴んでいれば自ずと分かることだろうよ。帝国はこれまで幾つもの国を呑んできたんだ。内乱の種などそこかしこに埋まってる筈だ。そして帝国の宿敵は、民衆を扇動することに掛けては最上の武器となる『宗教』を握っている法国。そんな状況で内乱が起きたという話はごく稀にしか聞こえてこないんだ。それだけ上手い統治を敷いているというなによりの証拠だろう?」
「……なるほど。良い着眼点だ」
ルトの理論に、クラウスは鷹揚に頷いてみせる。だが、その内心では僅かに冷や汗を流していた。
ルトの語るそれは、帝国の拡大政策の中でも要訣の一つとして数えられているものであったが故に。
それをただの噂話による内乱の有無で見透かされ、更には要訣たる理由すらも看破されてしまったのだから、政治分野には足を踏み入れないと誓ったクラウスでも流石に動揺してしまう。
勿論、兄であるライオネルを含め、帝国の頭脳たる役人や領主たちならルトと同じことをしてみせるだろう。
だがここで問題なのは、ルトには魔神格としての力が備わっていることである。
それ即ち、帝国の頭脳たちと同等の政治的視野でもって、戦略級の武力を軸にした交渉が行えるということに他ならない。
事実として、クラウスたち侵攻軍は見事にルトの思惑通りに交渉の席へと着かされているのだから。
これはなんとしても上手いこと交渉を終えなければと、クラウスは再び決意を新たにした。
「ふむ。民については理解した。では貴族はどうなのだ? ある意味、民よりも国が滅んだ時の影響は大きいだろう?」
「それについては自己責任だろ。貴族なら財はもとより、教養や経験は豊富な筈だ。それを活用すれば生活なんてどうとでもなる。というより、曲がりなりにも領民の命と生活を背負ってた者が、自身と身内の命や生活すら満足に維持できないなど論外だろ」
「それもそうだな……」
クラウスとしてもぐうの音もでない正論であったが為に、それ以上の言葉を続けることはできなかった。
「……なるほど。ルト殿の考えは分かった。確かにそういう理由があるのなら、帝国に降り祖国への侵攻を黙認するのも頷ける」
「納得して貰えたなら重畳だ。ついでに補足しておくと、俺が以前から力を隠してたのは、余計な混乱を祖国と周辺諸国に起こさせない為だったりする。なにせ我が国の王は治世ならばギリギリ凡君、乱世なら暗君と呼ばれる類の輩だからな。下手に自国に魔神格の魔法使いがいると分かれば、変な野心が芽生えて後先考えずに、それこそ木の枝を拾った幼子の如く振り回すのが目に見えたからだ」
「……そこに関しては英断であると賞賛を送ろう」
それはクラウスの偽りの無い本心からの言葉であった。
過ぎた力を手にした君主が、世に混乱を齎した例は歴史を紐解けば幾らでも存在する。ましてやそれが魔神格の魔法使いとなれば、正しく阿鼻叫喚の地獄が大陸に現れたことであろう。
勿論、ルトの力が有れば王命に逆らうことも容易くはあるが、それをすればまず間違いなく内乱まで一直線。
更にその隙を帝国を含めた周辺諸国が政治介入してくるのは目に見えていたので、そういう意味でもルトは本気で正体を隠していたのである。
「いやはや。こうして改めて言葉にすると実感するが、実に面倒な人生だったよ。魔神格の力なんて持ったところで、妙な選択肢と縛りだけが増えてくんだ。その癖マトモに力は振るえないんだから、やってらんないよマジで。『無能』でいる必要があるのに、色々と考えなきゃならないとか何の冗談だ」
「なるほど。自身の持つ力と真剣に向き合ってきたが故に、ルト殿の思慮深さはあるのだな」
「それも理由の一つではあるかな」
クラウスの納得の声に、ルトは肩を竦めて苦笑を浮かべる。
どちらかと言えばルトの性格や思考回路は生来のものというか、その生い立ちが大半の要因であるのだが、わざわざそれを語る必要性は存在しない。
故に曖昧な返事で結論を濁したのだった。
「ま、そんな面倒な日々もコレでおさらばとなって欲しいところだがな。そういう意味では、帝国には期待している。なにせ愚かな我が祖国とは比べものにならない優秀な人材が揃っているんだ。となれば、俺の扱いも具合の良いものにしてくれる筈だ」
「そこまで期待されると困る部分もあるのだがな」
「おいおい。その為に交渉や擦り合わせって行為があるんだ。不安ならばお互いに納得のいく着地点って奴を、ちゃんと見極めていこうじゃないか」
「ふむ。正論だな」
その言葉とともに、ルトとクラウスは具体的な話し合いへと移っていった。
──こうして自身の価値観をぶつけ合い、語り合った魔神と皇子は、やがて互いに満足のいく条件を生み出すことに成功するのであった。
ーーー
あとがき
どうも。何日かぶりです。モノクロウサギで……相変わらず凄いPVに戦々恐々としている作者でございます。
漸くまとまった時間が取れたので更新です。
それはそれとして。えー、誠にありがたいことなのですが、本作品は読者の皆様から多大な評価を頂いており、それに伴い徐々にコメント等も増えております。私としても大変に嬉しいことなのですが、何分数が多くなっているので、全てのコメントへの反応は難しくなっているのが現実でございます。特に反応したくてもできないのが誤字報告です。ちゃんと読んで頂いているのが分かって凄い嬉しく、また作品の粗が無くなるので大変助かっているのですが……何分私の誤字が多くてですねぇ……! 結構な量になっちゃてるのですよハイ。時間を見つけて頑張って直してはいるのですが、まあ直ぐには対応できないこともしばしばあります。ですがそれは指摘を無視しているという訳ではないということだけを、この場を借りてお伝えさせてください。
改めて述べますが、コメントや星、ハートは私の励みになりますので、これからも宜しくお願いします。
……因みに何故そんなに誤字が多いのかと言うと、私の学力は勿論なのですが、それ以上に書き上げたテンションで大した添削もなく投稿しているのが恐らく一番の原因です。……だってできるだけ早く投稿して読んで貰いたいじゃないですか!! 評価欲しいし(ぶっちゃけ)!!
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