第10話 魔神と皇子の停戦交渉 その三

「……王、王族、貴族が何か、だと?」


 重たい沈黙の中、唐突に投げられたルトの問い。

 それに対して、クラウスは即座に答えを返すことができなかった。

 なにせ状況が状況だ。問い自体の脈絡のなさもあるが、答え次第でルトがどのような反応をするのかが分からない故に迂闊な言葉を吐けない。

 この張り詰めた空気の中で、わざわざルトが投げ掛けてきた問いが無意味なものである筈がないのだから。

 故にクラウスは熟考する。ルトの希望に沿った答えを、できる限り最速で導き出す為に。

 しかし、その反応こそルトの望むものではなかった。


「……はぁ。そこまで警戒しなくていいぞ、クラウス殿下。これは俺の考えを説明する為の導入みたいなもんだ。というか、そもそもさっきの件は別に怒ってない。あの程度でキレる程短気じゃねぇぞ俺は」

「ぬ、そうなのか?」

「……最初の脅しが効き過ぎたかねぇ」


 意外だと言いたげな表情を浮かべるクラウスに、ルトは思わず頬を引き攣らせる。

 進行軍の面々に、一体俺はどんな暴君の印象を持たれているのかと。

 むしろ感覚的には庶民寄りの親しさが売りの王子なんだぞと、小一時間クラウスたちに説明したくなった程だ。


「マジで安心してくれ。俺の臣下を名乗る馬鹿者どもの方が、よっぽど失礼なことを普段から言っている。なあハインリヒ?」

「ハッハッハ! そんなことはありませんぞ殿下。我ら臣下一同、常にルト殿下に最大の敬意をもって接しておりますれば」

「……とまあ、こんな感じだ。俺の臣下はどういう訳か、いけしゃあしゃあと思ってもないことを宣うオヤジどもの集まりでなぁ。お陰で忍耐力が鍛えられてしょうがないんだ」


 そう言って半眼になるルトを見て、クラウスは自然と肩の力が抜けていくのを感じた。

 背後からの満面の笑みを背負うルトの姿は、なるほど確かに嘘を感じさせない説得力がある。

 なにせその姿は王子、ましてや魔神格の魔法使いではなく、帝国の兵舎で頻繁に見かけるやさぐれた若い一般兵のソレを連想させたからである。


「ま、質問に答え難いというのなら、聞き方を変えようか。クラウス殿下にとって、皇帝とは何だ? 自分たち皇族とは何だ? 自国の貴族たちとは何だ?」

「皇帝陛下は『フロイセル帝国』そのものである。その威光によって帝国全土を遍く照らし、秩序と安寧をもたらす絶対の象徴だ。我ら皇族はその血と地位をもって国家に安寧を与える、皇帝陛下の手足である。そして貴族とは、偉大なる皇帝陛下に代わり、与えられた領地を運営する忠実な臣下である」


 改めてルトから投げ掛けられた問い。それに対してクラウスは、一切悩む素振りを見せずに答えてみせる。

 ルトが予想以上に寛容だったのも要因の一つではあるが、それ以上にルトの問いはクラウスが幼少の頃から叩き込まれた教えであったが故に。


「今度は随分と早いんだな」

「当たり前だ。皇帝陛下を敬い、皇族の一人として、臣下の一人としてかくあれかしとこの魂に刻んでいるのだ。悩むことなどあってはならぬ」



 断言するクラウスにルトは満足そうに頷き、



「──それだ。それが俺と殿下の違いだよ」



 そう続けるのだった。



「……どういう意味だ?」

「単純なことさ。殿下にとっては『皇帝』も『王族』も『貴族』も特別なんだよ。それぞれに役割を与えている。それぞれに独立した意味を見出している。その特別視が俺との決定的な違いだ」

「ルト殿は違うと?」

「ああ。権威や権限、のしかかる責任の大きさなどを抜きにすれば、俺の中では全てが同じだ。いや、更に付け加えれば、そこらの村の村長だろうが本質的には同じ分類なんだよ」


 その言葉に、クラウスは脳をハンマーで直接殴られたかのような錯覚を覚えた。

 実力主義が浸透している帝国ですら、ルトが語るそれはとんでもない暴論であり、社会制度批判として拘束されてもおかしくない爆弾発言だ。

 実際、ルトの正体を知らなければクラウスも激高したであろう程だ。


「皇帝陛下がそこらの村長と同じ、だと……!? 何を根拠にそんなことを語るのだルト殿!」

「あー、改めて言うが『本質的な部分』の話だからな? 似たようなことをやっているだけで、流石に全てが『等しい』とは言わんよ」


 詰め寄るクラウスにそう前置きした上で、ルトは自身の認識を語り始めた。


「『村』を例に出そうか。何も無い荒野に十数名の人がいた。その中の一人がたまたま人の意見を纏めることが上手かったが故に、代表者として他の者たちの意見を取り纏めて全体の方針を決めていた。その代表者の方針に従っていたら、やがて衣食住が安定して生活が潤いだした。荒野は村となった。その代表者は村長と呼ばれるようになり、他の村人たちより一段上の扱いとなった。……これと王や王族、貴族は何処が違うんだ?」

「いや、いやいやいや! 国を統治する者たちと村の代表者だぞ!? 明らかに違うだろうが!」

「何故? やっていることは同じだろ? 自身の属するコミュニティ、集団の方針を決めた。そして何も無い荒野を発展させ、村と呼べる規模まで富ませた。その過程で外敵の襲来もあっただろう。飢饉や寒波などの天災もあっただろう。それを乗り越えて村人たちの生活を豊かにした。……この村人を貴族の領民、王や王族なら国民に置き換えても違うと言うか?」

「っ……!?」


 ルトの一言。その指摘はあまりにも鋭く、クラウスの常識に明確な罅を生じさせた。


「全て本質的には同じなんだよ。村の長も、領地の長も、国の長も。彼らは指導者であり、自身が率いる集団を導き、生活を守り富ませることを使命とする。違うのは集団の数、背負う命の重さのみ。極論言ってしまえば、判断を間違えずに国民の生活を維持できるなら誰が玉座に座ろうが変わりはない。そこらの貧民がその席に腰掛けていたとしても、その下に優秀な専門家たちが居て、そんな彼らの声に耳を傾け正しい判断ができるなら、そいつは貧民だろうが立派な『王』なんだよクラウス殿下」


 ルトの語るそれは暴論である。クラウスはもとより、後ろで控えるランバートもハインリヒも、身分社会の根底を揺るがしかねないルトの論説は受け入れ難いと感じていた。……だが、それでも何故か否定はできなかった。

 なにせルトの語るそれは、決して論理的に破綻はしていない。暴論というよりも『極論』であるとこの場の全員が感じてしまっていたから。


「……いや、だが……っ!」

「勿論、現実は違うさ。これはあくまで『政治とはなんぞや』って話だ。なにせ知識のない貧民にはそんな判断はできないし、村長には国家、領地レベルの規模の、広大な領土を見渡せるような政治的視野は無い。だからこそ、それができる王侯貴族は貴いんだ。『血』の尊さはしっかりと理解している」


 それでも尚食い下がろうとするクラウスに、ルトは苦笑とともに補足を付け加えた。

 別にルトとて王侯貴族の存在を全否定している訳ではないのだ。彼らの間で連綿と受け継がれる血が纏う『権威』も、血とともに継承される『知識』も統治においては極めて重要な要素なのだから。

 権威があるから人は従い、知識があるから領地を運営できるのだ。

 だからこそ王侯貴族と村長は本質的には同じであっても、実際は全く違うのである。治める規模が違えば、その為に要求される権威と知識が跳ね上がるのだから。


「……だが、全員少しばかり頭が固いんじゃねえか? この程度の話で何をそこまで動揺してんだ」

「皇帝陛下と村長を同列に語るなど、普通は動揺するに決まっとろうが!」

「いや、そうは言うがな。何処の王族も系譜を辿れば結構な確率で平民だろう。建国記ちゃんと読んでるか? 確か帝国の建国の祖は古代の国の羊飼いだろ?」

「んぐっ……!?」


 ルトの正論に思わずクラウスは言葉を詰まらせ、ランバートやハインリヒは言われてみれば納得の反応を見せた。

 ルトの言う通り、建国の祖が現代で言うところの平民であった国は割と多い。場合によって奴隷だったりする国もあるのだ。

 そこから何かしら特別な経験を経て、紆余曲折の果てに建国という流れはある意味で定番である。

 そういう意味では、血が纏う権威を抜きにすれば、王侯貴族の多くが平民の血統と言えるのかもしれない。


「ま、だからさ。俺は『王』、『王族』、『貴族』はただの指導者と思っている訳だ。素晴らしいとは思っている。敬意だって抱いている。だが絶対視はしていないんだ。──それは思考を曇らせ、現実を夢へと変えてしまう『毒』を飲むに等しい愚行だよ」


 ルトにとって、王侯貴族は権威という『服』を纏ったただの人だ。

 偉大ではあるが特別ではない。敬いはすれど崇めはしない。何故なら彼らは『人』だから。間違えもするし、過ちも犯す人なのだから。

 だからルトは、王侯貴族を集団の指導者としか認識していないのだ。『権威』は極めて重要なものであるが、過剰な特別視は判断を鈍らせる。

 彼らを正しく評価し信用する為には、統治という誤魔化しの効かない『指導者としての成果』を重要視しなければならない。その為に過剰な権威は邪魔なのである。


「何度も言うが、領民を、国民の全ての命を背負うその覚悟は素晴らしいと思っている。たまに貴族を羨ましいと宣う阿呆を見かけるが、とんでもない。多くの人間から縋られる立場が羨ましいものかよ。ましてや見栄と礼儀を骨の髄まで叩き込まれ、利権やら派閥やらで雁字搦めになってるんだぞ? 平民より贅沢な暮らしができるってだけで割に合うかってんだ」


 そんなのただの生き地獄だろうと、『怠惰』を人生の格言として掲げるルトは断言する。

 年がら年中仕事と義務に追われ『自由』なんてものはない。怠れば数多の民の命が喪われる重圧は、ルトにとっては背負う気すら起こさせないものだ。

 たまにその義務から逃れて放蕩の限りを尽くす愚者もいるが、その場合は『下』か『上』から刃を振るわれて物理的に首が飛ぶので、結局義務から逃れることはできない。

 怠慢の対価が自身と、場合によっては親類縁者の命なのだ。やはりそんな地位など就くものではない。


「だからこそ、それを理解した上で領地を、国を背負う覚悟を宿した者は『統治者』としての資格がある。殿下とてそうだろう?」

「……ああ。それに対しては否定はせぬよ。玉座に座る気は毛頭無いが、オレとて皇族。愛する祖国と民の為にこの身を捧げる覚悟はある」

「躊躇いの無い見事な返答だ。実に素晴らしい。どうしてもそんな覚悟を宿すことができなかった俺には眩しいぐらいだ」


『祖国に尽くす』と迷いなく断言してみせたクラウスに対して、ルトは本心からの賞賛を贈った。

 果てなき苦行に挑み、生涯を通して数多の命を背負うという偉業を成さんとしているクラウスは、ルトにとっては紛れもない英雄の一人であった。



 故に、



「──だからこそさ、資格無き者に治められた国ってのはあってはならない。そう思わないか?」



 ルトは極めて冷ややかな声音でもって、新たな問いをクラウスへと投げ掛けた。









 ーーーー

 あとがき

 ……いや本当に凄いアクセス数で。PVが増えるたびに心臓が止まるかと思います。いや本当にありがとうございます。これからも応援と評価を宜しくお願いします。

 えー、あとちょっとした御報告が。できる限り早めの投稿を心掛けてはいますが、明日から五・六日程仕事で地獄が始まります故、この期間だけ更新が滞るかもしれません。いやまあ、できる限り頑張って書きますけどね? ただ一応、その辺りはご了承ください。


 PS.前の話で書いた大人の黒歴史を知りたいという方がいたので、簡単に説明します。……いやまあ、約五十対一万の兵力差を二十倍って書いてただけなんですが。因みに正解は二百倍です。誤字とかじゃなくて素で間違えたんだよなぁ。

 もう一人の僕)電卓っていう文明の力知ってるぼくぅ? 異世界系の戦記擬き書いてるからって脳まで退化しなくて良いんだよぉ?

 もう一人の僕)……っ(恥)!!!

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