第9話 魔神と皇子の停戦交渉 その二

「とは言えだ。交渉と言っても、これで決まるのは短期間の停戦のみだろうし、そこまで畏まる必要も無いと俺は考える。なにせ今回のコレは極めて特殊な事例。この後に待っている『ランド王国』との正式な停戦条約の締結は、戦争ではなく『政治』の領分だ。クラウス殿下とてそこまでの権限は持ってないだろう?」

「うむ。その辺りを理解して貰えているのはありがたい」


 ルトの確認にクラウスは頷く。侵攻軍の総指揮官である以上は開戦から終戦、そしてある程度の戦後処理まで権限が及ぶ。

 勿論、停戦の判断とてクラウスに与えられた権限の内ではあるが、今回の一件はあまりにも特殊。

 なにせ魔神格の魔法使いなどという正真正銘の【戦略兵器】の取り扱いなど皇帝の領分であり、クラウスの一存でどうこうできる事柄ではないのだ。

 故に、この交渉の席で決められるのは皇帝フリードリヒに上奏する内容と、最終的な判断が下るまでの仮の停戦についてのみ。

 ルトという対国家戦力の規格外が相手な為に格式張った交渉の場となっているが、その実態は戦場におけるルト率いる部隊との現場判断での話し合いに過ぎないのである。


「という訳で、まあ肩肘張らずにお互い気楽にいこうと提案したい。ま、お互い一人称やらを取り繕ってない時点で察してるだろうが、敢えて言葉にって奴だな」

「そうか。では遠慮のない話し合いをしようではないか」

「助かる。個人的にすげぇ疲れるんだ、畏まった口調ってのは」


 本来ならば、正式な交渉の場では相応しい言葉遣いが求められる。貴族と平民など圧倒的な地位の違いがあるのなら兎も角、ルトとクラウスのように他国の王族同士が公式に話し合うなら言葉遣いとて気を遣わねばならない。

 つまり、両者揃って普段通りの口調を使っていた時点で、この交渉の場が言外に非公式なものであると主張していたことになる。そして今、ルトがそれを言葉にしたことで、正式にこの交渉は非公式のものになった。


「全くアレだな。ルト殿程に前情報が当てにならない者は初めてだよ。社交の場など殆ど姿を見せないと言われながら、実に抜け目ない」

「そりゃ俺も王族だからな。相応の教育は受けているんだよ。……まあ、この国の演じた醜態的に信じ難いだろうが」


『施された教育はまあマトモな部類だった筈なんだがなぁ』と遠い目をするルトに、クラウスはなんとも言えない気分になった。

 敵国が愚かなのは実にありがたいことではあるが、その尻拭いの為に魔神が渋々立ち上がったことを考えると、極めて反応に困るのである。


「まあ、過ぎてしまったことはしょうがないさ。という訳で、さっさと現実に向き合うとしよう」


 そう肩を竦めてから、ルトは本格的に本題へと踏み込むことにした。


「まずは条件の再確認からだ。俺が、ランド王国ではなく俺個人が帝国に求めるのは、この国でのこれ以上の進軍と武力行使の停止。つまるところ停戦だ。その対価として、俺と五十三名の部下全員は直ちに降伏し捕虜となる。勿論、我々全員の身の安全と生活は保証して貰うがな」

「……ふむ。先の話し合いの場とほぼ変わりは無しか」

「当たり前だろう。先に提示した条件を後からホイホイ変えるものかよ。そりゃただの詐欺だろう。交渉しようって相手に武力をチラつかせた上でそんなことしたら、信用もへったくれもないだろうに」

「なるほど。尤もだな」


 ルトの言葉に重々しく頷きながら、クラウスは内心で胸を撫で下ろしていた。

 クラウスの、いや侵攻軍全体でのルトの印象は『極めて恐ろしい人物』で固定されている。なにせルトがその気になれば、一瞬で侵攻軍の全てが凍死させられるのである。

 魔神格に対抗できる戦力が侵攻軍に存在しない以上、余程の暴挙が行われない限りこの場でルトに逆らえる者は存在しないのだ。

 なにせ万に近い兵士とその装備、物資はもとより、第二皇子クラウスという戦力的にも政治的にも替えのきかない帝国の最重要人物の一角がこの場にはいるのだから。想定される損失が大き過ぎるが故に、程度にもよるがルトの要望に沿わざる得ないというのが侵攻軍側の実情である。

 だからこそ、ルトの言葉はクラウスには朗報以外のなにものでもなかった。

 なにせ交渉の席についた途端、全く異なる条件を叩き付けられるという最悪の想定もしていたのだから。

 ルトが交渉相手として信用できそうであることが分かっただけでも、クラウスは一気に肩の荷が降りた気分であった。


「……では、その方向で話を続けよう。そしてルト殿の出した条件であるが、十分に検討の余地があると言えるだろう。ランド王国の領土が得られぬのは少々痛いが、魔神格の魔法使いはそれを補って余りある価値がある故な」

「それは良かった。ま、土地の方はもう暫く我慢してくれ。知っての通りランドの上は平和ボケで脳が蕩けた阿呆が多い。適当に策略でも巡らせてれば、また攻め入る口実など手に入るだろうよ。その時まで待ってくれ」

「……は?」


 ルトから飛び出した信じられない台詞に、思わずクラウスは唖然としてしまう。言葉は伝わるが意味が伝わらない。そんな表現が浮かんでくる程に、ルトの言葉はクラウスにとって想定外のものであった。


「……その言い方だと、まるで我が国が再びランド王国を攻めるのを黙認しているように感じるのだが」

「してるが?」

「待て待て待て待て!? ランド王国を救う為にルト殿は立ち上がったのだろう!? これはその為の交渉だろうが!?」

「違う」


 クラウスの問い。それに対するルトの応えは、極めて冷たいものであった。交渉の席である筈なのに、当事者であるクラウスと傍に控えたランバートの背筋が凍りついたと錯覚した程だ。

 恐ろしいまでの冷気を放つルト。何故なら、それはルトにとって譲れない一線であったが故に。


「……クラウス殿下は誤解してるようだが、俺が交渉を求めたのは俺に尽くし死地へと残った馬鹿たちの為だ。アイツらの命と名誉を守る為だ。決してこの国を、あの救いようのない愚か者どもの為では断じてない。そこは間違えるんじゃねぇ」


 ルトが正体を晒したのは、こんな馬鹿らしい戦争で自身の忠臣を、愛すべき馬鹿者どもの命を散らせて堪るかという覚悟からだ。彼らに『国を守れなかった兵士』という不名誉な烙印を背負わせまいという決意からだ。

 ルトの意思は終始一貫して臣下を守ること、それだけに注がれている。

 だからこそ、クラウスの誤解はルトにとって見過ごせないものであった。

『国を救う為に立ち上がった』ということは、極論言ってしまえば国を治める王と貴族たちを救うという意味に繋がる。転じてそれは、ルトの中では彼らの特権を守るという意味になる。

 ルトはそれが我慢ならない。なにせこの国を治めるのは、極めて度し難い理由で帝国に喧嘩を売り、必要な判断を怠ったが故に国家を滅亡へと導いた愚か者たちなのだから。


「だから俺が求めるのは『今回の戦争』の停止と、俺とアイツらの身の安全と生活の保証なんだよ。捕虜の身に堕ちこそすれ、代わりに国が残ればそれは勇敢な兵士たちの献身と伝わる。そう伝えることができる。それで奴らの名誉は守られる。後は帝国で不自由なく暮らせれば、こっちとしては他の全てがどうでも良いんだ。……ま、強いて要望があるとすれば、どのような展開になるにしろ、ランドの民に余計な負担や出血を強いらないで欲しいぐらいか」


 その辺りに気を遣ってくれるのならば、侵略でもなんでも好きにしてくれとルトは語る。むしろわざわざ自分たちから国を滅亡へと導く愚か者どもなど、さっさと始末した方が世のためではないかと吐き捨てる程だ。

 その言動はあまりにも異質。ルトとて末端とは言え王族。国を治める一族に生まれた存在の筈だ。そうでありながら愛国心を全く見せないルトの思考は、クラウスには全く理解できないものであった。


「……何故だ。何故なのだ。最初から疑問ではあったが、何故そこまでルト殿は国を蔑ろにできるのだ!? 生まれ育った故郷なのだろう!? 故郷が滅びることが辛くはないのか!? 魔神格の力があれば、我らを退け帝国とも互角に戦うことすらできるのだぞ! 何故戦うことをしないのだ!?」

「っ、殿下!!」


 クラウスの叫び。ルトを責め、戦争の再開を促すような内容に、従者に徹していたランバートが慌てて割って入る。

 確かにクラウスの疑問は尤もだ。後ろで控えていたランバートも同じ感想を抱いてはいたぐらいなのだから。

 皇族として国家を背負う宿命の下に生まれたクラウスならば、余計にルトの思考は理解を拒むものであろう。

 だが、それを言葉にしてしまうのはマズイのだ。もし万が一、その言葉によってルトがその気になってしまった場合、この場にいるクラウスとランバートはもとより、侵攻軍全体が凍死してしまうのだから。


「っ、……!」


『やってしまった』と、数瞬遅れてクラウスが己の失態を自覚する。が、残念ながらもう遅い。吐き出してしまった言葉は既に大気を震わせ、虚空に溶けた。

 クラウスが打ってしまった悪手により、先程までの気安さに満ちていた空間は一転して重たい沈黙に包まれる。もし今のでルトの顰蹙を買ってしまったらと、クラウスとランバートは内心で大いに焦っていた。



 一秒が永遠にすら感じる程の沈黙の中、ついにルトが口を開く。



「──なあ、クラウス殿下。王と王族、果ては貴族ってなんだと思う?」





 ーーー


 あとがき

 三月二九日現在、この話まで改行をメインとした多少の改稿を行っております。内容はそのままです。

以降の話との雰囲気に差異が発生するとは思いますが、ご了承ください。

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