第8話 魔神と皇子の停戦交渉 その一
ルトによる事実上の脅迫により、ルトたちと帝国軍による交渉の席が晴れて設けられることになった。
そして現在、侵攻軍によって大急ぎで交渉用の天幕が建設されている。
一応、すぐ目の前には貴賓室(小国相応)を備えた砦が存在するが、ルトたちは事実上ランド王国から独立した戦力となっている為に使用は見送られた。というよりルトがそうさせた。
こうした要望があっさり通るあたり、やはり魔神格というのは恐ろしい程の影響力を備えているなと、ルトはしみじみと感じていた。
「やっぱりこの力は劇薬だな。こういう状況でもなけりゃ使う気にもならん」
「……劇薬という言葉ですら生ぬるいかと。まさか殿下が魔神格の魔法使いだったとは」
「驚いたか?」
「ええ。腰が抜けるかと思う程に」
「護衛が腰を抜かしてちゃ世話ないだろうに」
ハインリヒの苦言混じりの返答についルトは笑いを零した。
と言っても、ルトとて仕事の上司が実は対国家戦力ですとカミングアウトされたら相応に驚くだろうが。
「ま、このような状況でもなければ一生秘め続けるつもりだった力だ。隠してたことは許せよ」
「臣下が主の決断に不満を零すなど。……敢えて言うなら、せめて交渉の方針ぐらいは伝えて欲しかったものですが。帝国相手にあそこまでの挑発は流石に肝が冷えました故」
「不満を零してるじゃねえか。まあ、悪かったとは思ってるがな。だが、あれも必要だったことだ」
ルトも自分の言動が如何に非常識なものであったかは理解している。
クラウスに言われた通り、あれは交渉という名の宣戦布告だ。口が悪く性格が捻くれ者の自覚のあるルトであっても、普通ならあんなことはしない。
それでも尚あの暴挙に出たのは、それが必要なことだったからだ。
「あれぐらいの挑発でもしないと、一度進行軍全てを凍結させるなんて流れにもってけなかったからな。勿論、懇切丁寧に説明した上で証明することもできただろうが、それだとどうしても弱腰ととられかねない。ただでさえランド王国は滅亡間近なんだ。弱腰の姿勢なんか見せたら不利になる。魔神格という脅威を最も効果的に叩き付けるには、一旦敵対一歩手前まで敢えてもってく必要があった」
結果として、ルトの挑発にクラウスたちが乗ったことで、侵攻軍全体が立場の逆転を理解した。『滅亡間際の王子との交渉』から、『自分たちを滅ぼしえる強者との交渉』に内容が変化したのだ。
交渉の席での主導権にも関わることでもある以上、この違いは実に重要だ。
事実、侵攻軍の兵士たちからルトに向けられる視線は、圧倒的なまでの畏怖一色。
滅亡間近の小国の王子に向けられるものにては、侮りの気配など一切無い異質なものである。
「……なるほど。そのようなお考えが」
「お陰様でこの後の交渉は比較的に楽なものになるだろうよ。俺の考えてる交渉内容なら、多少の擦り合わせこそ必要だがパァになることは無い筈だ」
そう言って肩を竦めるルトに、ハインリヒは言葉にできぬ畏怖を覚えた。
それだけで国すら支配できる力を持ちながらも、最も効果的な使い方を模索する姿勢。
必要とあらば大国すらも挑発してみせる胆力。
なによりそれら全ての要素を利用して望みの結果までの道筋を構築する計画性。
嗚呼、強さと強かさを兼ね備えたルトのなんと畏ろしく、頼もしいことだろうか。
もし、この方に王としての野心が備わっていたのなら、帝国、法国に並ぶ第三の大国すら打ち立ててみせただろうに。
「いやはや、実に恐ろしいものですな。これだけでも十分以上というのに、更に殿下にはもう一つの切り札もあるという。帝国も運が悪いものです」
「阿呆。どう考えても不運なのはこっち、てか俺だろうが。何が悲しくて帝国なんていう化け物国家と交渉なんかせにゃならんのだ。こちとら食っちゃ寝の生活してりゃ満足の小心者だぞ」
「殿下が小心者ならば、我らなど者にもなれぬ虫でございますな!」
「……ったく。うるさい年寄りだ」
呵々と笑うハインリヒに、ルトは大きくため息を零す。それでいて内心では感心していた。
国を滅ぼす力を見せて尚、以前と変わらぬ態度を取るその姿勢。
『如何なる力を持ってしても主は主である』という言葉無き覚悟と忠義は、無能の仮面を脱ぎ捨てるに値するものであったと、ルトはこっそりと笑みを浮かべる。
「──さて」
そして直ちに表情を改めた。視線の先で、キビキビとした所作でこちらに向かってくるランバートを捉えた為に。
「天幕の用意ができた為、お迎えに上がりました。ルト王子」
「王子は駄目だ、ランバート殿。ここにいるのは、国王の意向無く他国と条約を交わそうとしている謀叛人。王族の地位などはもうありはしない」
「では、魔神ルト殿と」
ルトの言葉も尤もだった為、ランバートはすぐさま代わりとなる呼び名を提案してみせた。
いきなりの要望に迷いもなく応えてみせるあたり、やはり第二皇子の側近をやっているだけあって優秀なのだろうなと、ルトは密かに関心していた。
尚、今回の場合では滅亡間際の小国の【王子】よりも、個人で国すら滅ぼせる【魔神】の方が国際社会における影響力は大きいので、帝国側たるランバートとしても願ったりの提案であったりする。
「それでは改めて、ご案内致します」
「ああ。いくぞハインリヒ」
「ハッ」
ランバートの案内のもと、ルトとハインリヒは侵攻軍の後方へと進んでいく。
通常では野外におけるこうした交渉の席は、公平の意味も込めて両陣営から丁度真ん中になるような位置に立てられるものだが、今回は様々な思惑の下に進行軍の中心で行われることになった。
ルトとしては、可能性は限りなくゼロに近いがランド王国側に自分たちの狙いが伝わらないように。
もしランド王国側の誰かにこの光景を見られたとしても、ただの捕虜として降ったかのように思わせる為に。
クラウスたち帝国側としては、一瞬で侵攻軍全体を凍結させることのできるルトを敢えて懐に入れることで、最大限の敬意と歓待の意志を表す為に。
そんな両者の思惑が一致した結果、停戦交渉の席の癖して片方の陣営の軍の心臓部に天幕が用意されるという、歴史上でも中々に異例な場が完成したのである。
「クラウス殿下! 魔神ルト殿、護衛のハインリヒ殿をお連れしました!」
『入れ』
「ハッ! では、此方でございます」
ランバートに促される形で、天幕の中に入っていくルトとハインリヒ。
「へぇ……」
「これは……」
そしてほぼ同時に感嘆の声を上げた。天幕の中は、ここが戦場の、ましてや急造の代物とは思えない程に豪奢であったからだ。
精緻かつ繊細な刺繍がいたる所に施された内部に、一目見て高級品だと理解できる机や椅子など家具の数々。
更に目を走らせれば、如何に快適に過ごせるようにを追求した工夫の数々が伺える。
「外から見ただけでデカい天幕だとは思っていたが、まさかここまでとはな。流石は天下の帝国。備品からして違う」
「フッ。これは賓客ようの特別な天幕だ。普段使いしてるものはここまででは無い」
「ほう。つまり俺は帝国からしても賓客に当たると、そういう認識で構わんのか?」
「ああ。魔神格の魔法使いを無碍に扱えるものかよ。元々我が国は実力主義を掲げている。優れた者、力ある者には相応の敬意を払うのが慣わしだ。それが魔神格の魔法使いともなれば尚更。ルト殿は知らぬかもしれんが、陛下とて我が国の炎神殿には気を遣っておるのだぞ?」
「おいおい。そういう内情を他国の人間に話して良いのか?」
「なに、これは割と有名な話だから問題無い。というのも、知っての通り炎神ことアクシア・ウィル・ハイゼンベルク夫人は、六代に渡り帝国に仕えるとんでもないお方でな。曲がりなりにも人の身でありながら、別大陸の秘境の奥地に住まうとされる【エルフ】を超える寿命を持つ。故に、陛下を含めた殆どの皇族・貴族が幼い頃から世話になっておるのだ。御本人のお力も然ることながら、そうした背景もある為に帝国の重鎮の多くがあの方に頭を上がらんのだよ」
「ああ。そういや魔神格二人は揃って長寿だったな」
クラウスの台詞にルトは納得の声を上げる。
帝国の【炎神】、法国の【使徒】。この二人は極めて長く、それこそ定命から逸脱する程に長い期間それぞれの国に仕えているとされる。
伝え聞く話でも、帝国の炎神アクシアは最低でも三百年以上、法国の使徒スタークは百五十以上の年月を生きてるそうだ。
それでいながら、両者は未だに肉体が全盛期の若々しさを保っているという。魔神格の魔法使いが【神】の仲間に例えられる要因の一つである。
因みに、同じ魔神格たるルトはなんとなくこの長寿のカラクリを理解している。
魔神格の領域に立つと何故か概念すらも掌握できるようになる為、肉体が通常の物理法則から外れ始めるのである。
老化が極めて緩やかになったり、病に一切掛からなくなったり、毒の類が極めて効きにくくなったりなど、本当に色々な変化が訪れるのだ。
更に魔神格の概念操作は相当に柔軟、悪く言えば適当に適応される為に、使い方によっては擬似的な不老不死すら実現させてしまう。
ルトの場合なら、肉体に対する『老い』という現象を凍結させることで、常に十代の肉体でいることが可能だ。というよりももうやっている。
そんな訳で、大陸では有名な話でもある為、帝国の炎神が非常に長寿なことに驚きはない。
そして長寿故の権力とは違った種類の立場の強さと言われてしまえば、ルトも納得するしかなかった。
「子供の頃から世話になってれば、そりゃそっちの皇帝陛下も頭が上がらんし気も遣うか」
「うむ。特に皇族の殆どがあの方から魔術の手解きも受けるからな。師の立場でもあるのだ」
「ああ、そりゃ余計に無理だわな」
普通ならば、強大過ぎる力の持ち主は何処かしらの勢力から煙たがれて迫害……は魔神格の場合反撃が恐ろし過ぎるので無理だとしても、中々に重宝され難いものの筈。
そうでありながら、帝国ではよくもまああそこまで重宝されているなとルトは密かに疑問に思っていたのだが、そういう立場にいたのならば納得である。
「うん。これは良い情報を聞けたな」
そしてそれは、ルトとしても実に朗報であった。なにせ帝国が、如何に上手く魔神格の魔法使いと付き合ってきたのかを理解できたからだ。
「さて、クラウス殿下。雑談はここまでにして、そろそろ本題に入ろうか」
さあ、楽しい楽しい停戦交渉のお時間だと、ニヤリとルトは笑ってみせた。
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