第6話 無能王子と将たる皇子 その二

 伝令兵から告げられた予想外の内容に、クラウスとランバートは揃って顔を見合わせた。


「……どう思う?」

「……いえ、どうもこうも。この状況で停戦交渉など有り得ないでしょう。考慮にすら値しません。何せ我が軍が停戦することで得られる利益が一切無い」

「だよなぁ……」


 停戦とは双方それぞれが抱える理由によって、『戦争をするよりもしない方が都合が良い』と判断が為された時に結ばれるものだ。

 お互いに消耗が激しければ痛み分けとして停戦するし、負けている側が損切りとして何らかの賠償を提案し、内容に納得した相手側がそれを飲んで停戦となることもある。

 場合によっては、勝っている側が何らかの理由から戦争を続けられなくなり、停戦の申し込みを行う場合も存在する。

 だが、そうして結ばれてきた歴史上の数々の『停戦』とは、損益計算の末に双方の天秤が釣り合ったが故に合意されたものである。

 間違っても、現在のフロイセル帝国とランド王国の状況で合意に至るものではない。

 なにせ、帝国はこのまま進めばランド王国の全てが手に入る。ランド王国の特徴とも言える恵まれた自然資源と肥沃な土地が丸々得られるのだ。

 技術大国として常に資源を欲している帝国が、何故わざわざその絶好の機会を不意にするというのか。現皇帝の崩御や、国を揺るがす規模のクーデターの勃発、法国との全面戦争など、そのレベルの非常事態が起きない限りはまず有り得ないのだ。


「どうやら状況把握すらマトモにできないようで。やはりランド王国は無能の集まりですか」

「そう思うか」

「思うも何も事実でございますれば。我が軍が交渉の席に着く訳がないのは明白。遠回しな挑発とすら思えます」

「……ふむ」


 ランバートの台詞は、恐らく今回の侵攻軍の大半の気持ちを代弁するものであった。

 なにせ停戦交渉を申し込むということは、即ち侵攻軍を納得させる為の材料があるということだ。

 だが、現在のランド王国が提示できるであろう材料に、帝国側が納得できる代物など存在しないのは誰が見ても明らかなのだ。

 その上で交渉を申し訳んできたということは、ランド王国側は『自分たちが差し出せる程度の代物で侵攻軍が止まる』と考えているからであり、それはつまり侵攻軍ひいてはフロイセル帝国そのものを軽く見ていることになる。

 当然ながら、自国を軽んじられて気分の良い兵士など存在しない。ましてや、その相手が自分たちによって喉元に刃を突きつけられているとなれば尚更だ。


「さっさと拒否の言葉を伝えて、そのまま制圧するべきでしょう。こうして話題に挙げていることすら時間の無駄でございます」

「……しかし、相手が交渉旗を掲げている以上、戦闘再開は返答後から一定時間を置いてからというのが慣例だ。最低でも一時間は待たねばならぬ」

「それは状況にもよります。慣例を逆手にとって時間稼ぎを企む者もいる為、戦闘開始は受ける側に決定権があるのですから。確かに最低でも一時間というのが定石ですが、今回なら五分だろうが何処からも文句は飛んでこないでしょう。万を越す軍に対して、たった五十名強の兵士と貧弱な砦。どれだけ準備に時間を掛けたところで結果など分かりきっています」

「……そう、か……」

「クラウス殿下?」


 長々と状況を語っていたランバートであったが、先程から妙に煮え切らない態度のクラウスに対してついに疑問の声を上げた。


「なにやら即時制圧がご不満のようですが、一体どうなされたのです? 先程伝令兵に煮え切らない態度を改めよと怒鳴った方とは思えませんが」

「……いや、実は胸騒ぎがするのだ」


 そう言ったクラウスの眉間には、かつてない程の皺が寄っていた。


「まず大前提として、現状ではランバートの意見こそが正しい。なんなら、随分舐められたものだとオレの腸も煮えくり返っている。……だが、何故か異常なまでに落ち着かぬ。この感覚をオレは知っている。戦場の潮目、それも選択次第でこちらが敗走しかねない時の座りの悪さと同じだ」

「……なんと」


 クラウスの言葉にランバートは小さく呻いた。だが、その小さな言葉に込められた意味は大きい。

 反応が小さいのは、あくまで伝令兵が側にいるからであり、そうでなければもっと分かりやすく驚愕の反応を浮かべていただろう。

 戦場におけるクラウスの直感は極めて鋭い。

 クラウスの唐突な指揮によって、敵軍の狙いを完璧に潰したことは何度もあるのだ。

 戦場の空気感を正確に感じ取り、本能的に最適解を導き出すことをランバートは良く知っている。

 その直感力は下手すれば未来視にすら届きかねない理不尽なものということも。

 そんなクラウスが、敗走の可能性を言葉にした。そこに一切の合理性は無い。状況的に考えれば一笑に附される妄言だ。

 だが、ランバートを筆頭としたクラウスを良く識る者たちは、その言葉に合理を超越した説得力が宿っていることを理解していた。


「取り敢えず、総員は砦が視認できる位置まで進軍したのち、その場に待機せよと伝えよ。交渉の返答にはオレが向かう。他の者は余計なことをせぬように念押しを忘れるな」

「ハッ! 砦が視認できるまで進軍した後、総員待機! 交渉の返答はクラウス殿下が! しかと伝えて参ります!」


 そうクラウスの指示を復唱した伝令兵は、素早い動きで去っていく。


「……宜しいので? 彼我の戦力差を踏まえるに、クラウス殿下が返答を述べるのは問題があるかと」


 その後ろ姿を眺めながら、ランバートがクラウスへと尋ねる。

 クラウスは侵攻軍の総指揮官にして帝国の皇子だ。それほどの格を持つ者が、わざわざ五十名強の武装集団に対する返答を行うなど、普通に考えれば有り得ないことだ。

 総指揮官自らで自軍の名を貶めているのと同義な蛮行である。

 それを理解した上で、クラウスは先程の指示を下したのである。


「確かにな。普通なら適当な佐官にでも伝えさせれば良い。……が、今回ばかりは話が別だ。オレの勘が警告している以上、余計な奴を通して変に状況が拗れる方が困る」

「しかし……。戦における殿下の勘は恐ろしく当たりますが、必中という訳ではありますまい。外れる時は外れるのです。面倒な輩が騒ぎ立てる口実を与えかねない行動は慎むべきでは?」

「何も無いならそれで構わん。その程度の失態などどうとでもなる。それより重要なのはこの違和感の正体を突き止めること。ひいては最悪の結果を避けることだ」


『敗走』という最悪の展開が避けれるのなら、自身の面子などどうでも良いとクラウスは断じる。

 最悪さえ回避できるのなら、この戦争以降の戦場で幾らでも挽回できる自信と実力がクラウスにはあるからだ。

 精々がその程度の失態。対して、最悪が起こった場合に失われるのは大陸の覇者たる国家の面子だ。

 そんなものは天秤に載せるまでもないだろう。


「兎も角、さっさと出るぞ。幾ら命令を出したとはいえ、先走った者が出ないとも限らん」

「更に言えば、命令に納得しなかった高官たちが説明を求めにやってきそうですしね」

「……それもあったな。ならば余計に急ぐか。ランバート、移動しながらで良いから相手の情報をくれ。代表は王子なのだろう? 木っ端の兵は兎も角、王子なら最低限の情報ぐらいはある筈だ」

「ハッ」


 そうしてクラウスに命じられたランバートは、早足で進みながら自身の中にある第四王子ルト・ランドの情報を語り始める。


「第四王子ルト・ランド。王位継承権は第六位。現国王が城のメイドに手を出して産まれた庶子でございます」

「側室ですらない者が母親か。難儀な出だな」

「そこは否定できませんね。ランド王国の当時の情勢の関係で産むことが許されましたが、場合によっては母子ともに闇に葬られてもおかしくありません。……まあ、母親の方は結局、第四王子が物心ついた時ぐらいに修道院送りになったようですが」

「小国とてその辺は変わらぬか」


 特権階級特有のドロドロとした内情に、クラウスはなんとも言えない表情を浮かべる。

 ありふれた話ではあるし、自身もまたそうした世界に身を置く立場ではあるが、やはりそうした話は聞いていて気持ちの良いものではない。

 回りくどいことは好みではない、どちらかと単純な方が好みなクラウスとしては余計にそう感じてしまう。


「そうした背景があるからか、件の第四王子の評判はあまりよろしくないようですね。王族としての仕事は最低限しかこなさず、基本的には怠惰な日々を送っているようで。それでいて性格は尊大。働かない癖に口だけは立派に動くことから、影で【無能王子】などと呼ばれているそうです」

「……ランド王国の中で尚、無能と言われる程か」


 ただでさえ評判の悪いランド王国の上層部からも無能と蔑まれる王子。

 それはまた随分と大物が出てきたものだと、クラウスは余計に表情が微妙なモノになるのを感じた。

 ランバートの持つ情報は、外務省の人間が集めた噂や公にされている事実などの『表』から回されてきたものと、諜報部の人間が集めた公にされていない事実などの『裏』から回されてきたものである。

 故に表では『○○』とされているが実際は『✕✕』であるなど、二つの資料を見比べていけばそうした事情の乖離が自然と浮き彫りになる。

 ……が、件の第四王子は、そんな表と裏の情報網で一切の差異が存在しないようだ。

 それ即ち【無能】という評判が紛れもない事実ということであり、下手をするとクラウスの想像を超える愚者が飛び出してくる可能性があるということだ。


「となると、代表の第四王子とやらはただの神輿かもしれんな。裏に余程キレる部下がいるかもしれん」

「私としては、あまりにも愚かな王子の突拍子もない思い付きに、殿下の勘が過剰反応した説を推しますがね」

「それは相手を見れば分かることだ」

「……左様ですか」


 決して警戒を緩めないクラウスの様子に、付き従うランバートは密かに溜め息を吐いた。

 クラウスの姿勢は、軍を率いる者としては決して間違ってはいない。

 どんなに格下の相手だろうが油断せずに手持ちの戦力で勝利を求めるその姿は、むしろ指揮官としては理想的ですらあるだろう。……しかし、理想は理想であり、現実は現実だ。

 如何にクラウスの勘が根拠に値するものであったとしても、今回は無駄に終わるだろうというのがランバートの予想であった。

 なにせ相手は帝国内において最低評価を受けているランド王国、ひいてはその一部隊なのだ。

 大陸に覇を唱える大国を運営する帝国上層部が、声を揃えて『敵国が総力を挙げても勝利は揺るがぬ』と宣言する程に隔絶した戦力差があるというのに、一体どうしてただの部隊を警戒する必要があるというのか。


「部下の辛いところですな」

「何か言ったか?」

「いえ。戦場で湧き出る無意味な独り言でございます」

「なんだ。いつもの皮肉か」


 それでも主人たるクラウスが警戒している以上、ランバートはそれに付き従うしかないのだ。

 近しい距離感に基づいたあからさまな独り言をこぼしはしたが、結局それ以上の行動は起こさなかった。

 まあ、何度も言うがランバートは、クラウスの戦場における勘の理不尽さを良く知っている。

 だからこそ、今回もまた外れることなく、状況によっては脅威となったであろう『ナニカ』が、それこそ歴史に名を残すような傑物が飛び出してくるかもしれぬとは思っていた。

 だからこそ無理矢理にでもクラウスを止めようとはせず、クラウスの蛮行も半ば黙認する形で従っているのである。



 ──そしてそれを目にした時、ランバートは納得した。


「……ほう?」

「……なんと」


 進軍を指示し、説明を求めにやってきた進行軍の高官たちを黙らせ、漸く目的地であった砦と、件の交渉旗を掲げた一団を目にした瞬間、自然と二人からは感嘆の声が漏れた。



 砦の前で一糸乱れぬ整列を行う、一目で精強であると分かる兵士たち。


 そしてそんな精鋭たちを従え、堂々と侵攻軍を睥睨する【無能王子】と呼ばれていた筈の少年。無能と呼ぶにはあまりにも重厚な『王威』を纏う君臨者。



「……これは一度、外務省と諜報部の人間に抗議した方が良さそうだな」

「……全くもって同感です」


 あの者の何処が無能なのだ!と、クラウスもランバートも声を大にして叫びたかった。

 あそこにいるのは、明らかに歴史に名を残しかねない傑物であり、国内において英雄と呼ばれる類の人種であろうがと!



 ランド王国第四王子ルト・ランド。彼の王子は、クラウスの勘が騒ぐのも納得の英傑であった。

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