第5話 無能王子と将たる皇子 その一
「……つまらぬな」
フロイセル帝国第二皇子にして、此度のランド王国侵攻軍の総指揮官たるクラウス・ユリウス・フロイセルは退屈を持て余していた。
勿論、戦争中の軍隊とは忙しないものであり、ましてや一万を越す人間の管理となれば、発生する仕事量は膨大なものとなる。
総指揮官たるクラウスもまた、役職に相応しい仕事量が存在しており、なんならクラウスの仕事は停滞気味であった。
事実として、クラウスの側近として傍に侍る長身痩躯の青年、ランバートはクラウスの呟きに対して眉を顰めていた。
「クラウス殿下。つまらぬという割には、事務仕事が滞っておるようですが?」
「……そう意味では無いぞランバートよ。いや、確かに書類仕事もつまらぬし、なんならお主が代わりにやってしまえとぶん投げたいぐらいだが。オレが言いたいのは、この戦争そのものがつまらぬということだ」
「私には殿下の書類を処理する権限は無いので、そのような妄想は実現不可能でございます。そして今回の戦に何を不満に思うことがございますか? こちらの損害はほぼ皆無でありながら、このまま進めば我が国は新たな版図を獲得できるのです。良いことづくめではありませんか」
「そうではあるのだがなぁ……」
慇懃無礼という言葉を体現するかの如きランバートの物言いに対して、クラウスは怒るでもなくただただ言葉を濁した。
ランバートとクラウスは幼少の頃からの付き合いであり、非公式の場ではこの程度のやり取りは日常茶飯事であったからだ。
「なんというか、あまりにも歯応えがなさ過ぎるのだ。ただ着実に兵を進める。恐らくこの戦はそれだけで勝てる。損害も極めて少ないもので勝利を得られる。……だがどうなのだコレは? 進行作戦だぞ? 補給線を絶たれでもしたら我らは敵国内で孤立してしまうというのに、そんな緊張感すら一切無い。本当に『戦争』と言って良いのかコレは?」
「……まあ、言いたいことは分かりますが。それに関してはランド王国だからとしか言いようがないですね」
戸惑いがおおいに宿った表情を浮かべるクラウスに対して、ランバートもまた苦笑混じりの言葉を返した。
その言葉は敵国を評するには大変辛辣なものであったが。
「はっきり言って、ランド王国は我々の想定を遥かに下回る弱小国家です。そもそも開戦の切っ掛けからして論外ですし。まさか挨拶代わりの挑発に引っ掛かるとは思いもしなかったと、外務省の人間が逆に慌ててたぐらいですから」
ランバートが耳にした限りでは、帝国外務省の役人が仕掛けたのは実に粗雑な、それこそ本当に挨拶程度の意味しか持ち合わせていない策謀未満の代物であった。
なにせギルセの元高官を補佐に引き連れた上で、外交上無礼にならない言い回しでランド王国とライズ辺境伯領に対する皮肉を述べ、最終的には『ランド王国よりもギルセ地方の方が今後遥かに発展するであろう』的な内容で会談が終わるように話題を操作しただけ。
その結果がまさかのライズ辺境伯の武力行使。外務省だけでなく、帝国役人の多くが唖然とした珍事件であった。
「更にはその後の対応もお粗末極まりない。決断を躊躇い侵攻を許しただけでなく、実に稚拙な戦術未満の指揮で我が軍と衝突。数はもとより装備でも劣っているにも関わらず、まさか戦力を二分してくるなど呆れてものが言えません」
尚、その時のランド王国側の兵力は最大限大きく見積もっても八千。
装備は金属製のヘルムに胸当て、武器は剣と弓が大半で火器の類が僅かという小国相応のものである。
「一応、伏兵で相手の側面を突くのは戦術としては間違ってないがなぁ……」
「クラウス殿下。相手があまりにお粗末だからといって、貴方様が擁護してどうするのですか……」
「擁護はしておらぬぞ? あくまで戦術を語ったまでだ」
ランバートに半目で睨まれるが、クラウスは肩を竦めることで誤魔化してみせる。
「……ま、兎も角です。こうした現実の数々を見る限り、ランド王国の上層部は極めて無能なのでしょう。諜報部から回ってきた情報では、発展性のないことなかれ主義者の集まりとのことですし。悪政こそしいてないものの、それは税率等を代々そのまま続けていたに過ぎません。旧ギルセ公国とは毎年の如く小競り合いはしていましたが、恒例行事となるぐらい続けていた為に半ばなあなあの衝突でお茶を濁していたようです。それ以外では先王の時代から戦争らしい戦争はなかったようで。結果としてご覧の有様という訳ですね」
「平和が続いたことで脳が蕩けたか。戦が無いのも考えものだな」
「単に無能の集まり故に危機感が欠如してただけですよ」
ランバートによって導き出された結論を聞き、クラウスもならば仕方のないことかと小さく溜息を吐いた。
「となれば、ここまでの兵力を動員する必要はなかったのではないか? 装備は勿論、戦に対する意識も低いとなれば、寡兵であっても問題無く勝てたであろう? なにせあの辺境伯がこの国で最も戦に慣れていたのだから」
「上層部は勝利後の統治も既に視野に入れているのですよ。占領統治に移行するとなれば、むしろ頭数は足りないくらいです」
首を傾げるクラウスに対して、ランバートはため息混じりに答えを返した。
クラウスの言う通り、ランド王国に勝つだけならば現在の半分の戦力だけでも全く問題無い。しかし、勝利後に統治作業が待っているとなれば話は別だ。
侵攻軍全員が問題無く休息できる拠点確保は勿論のこと、治安維持、復興作業など挙げていけばキリがない。
ここに派遣されてくるであろう文官に対する行政関係の引き継ぎ等、様々な事務仕事が追加されるので、決して一万という頭数も過剰という訳ではないのだ。
「……殿下。貴方様も今後は本格的に国政に携わるのです。軍事ばかりにかまけてないで、もう少し政治にも意識を向けてくださいませ」
「ハハッ。政治は兄上に任せておけば良いのだ。オレにはそっちの才は無い。なにより下手に政治の分野に足を踏み込めば、それだけで騒がしくなる者共がいるからな」
「……まあ、確かにそれはそうなのですが」
苦言に対して正論を返されたことで、ランバートもそれ以上の追求は止めた。
クラウスは第二皇子であり、その立場故に本人の意思とは関係なく政争の旗頭としての役割を担っている。
現皇太子にして実の兄たるライオネル・グラン・フロイセルとの関係は良好であり、本人も玉座より将軍の椅子こそが相応しいと公式に宣言しているのだが、残念なことに周囲がそれを許さないのだ。
それは偏に、二人の皇子がそれぞれの分野で突出した才を見せているからだ。皇太子ライオネルは政治分野において。第二皇子クラウスは軍事分野において類稀なる天稟を宿していた。
皇太子ライオネルは確かな政治的視野と、分析能力と決断力。特に政治的なバランス感覚が異常に優れており、交渉や根回しという分野では『狸』と呼ばれるような帝国のお歴々ですら舌を巻き、彼らから【天秤】と称される程である。
天性の直感力と圧倒的なカリスマで帝国を牽引した現皇帝フリードリヒとは異なるタイプではあるが、ライオネルもまた皇帝に相応しい資質を備えている。その才から主に文官からの支持が篤い。
対して、クラウスは『武』という一点において圧倒的な才を秘めていた。個人としては優れた剣と弓のセンス、なにより『強化』の魔術に対する異常な適性を。
その剣撃は大岩を切り裂き、放たれる矢は防壁を貫き、拳は大地を砕く。それでいて『強化』が施された肉体は銃弾は勿論、大抵の魔術攻撃をものともしない頑強さを誇る。
【炎神】を除けばその個人戦闘力は帝国一であり、個人で戦局を左右しかねない戦術級の術士の一人なのだ。そしてこれ程の武を備えておきながら、軍を率いる素質にも優れているのだから手に負えない。
生来から人を率いるカリスマを宿していたクラウスは、本人に宿った『武』の天稟によって本能で戦場の流れを読み、論理的思考を超越した指揮能力で敵の思惑を粉砕する。
その戦場における理不尽さから周辺諸国では【轟龍】の名で畏れられている程だ。その強さ故に武官たちからの支持は圧倒的である。
『政』と『武』。国家運営において欠かせない才を持ってしまったが為に、二人の皇子は玉座を望まれているのだ。
ライオネルを推す者たちは、ライオネルの治世でクラウスが最強の剣となればと安泰だと。
クラウスを推す者たちは、戦に強き皇帝を旗頭にライオネルと自分たちで国を回せば良いと。それぞれの思想に基づいて派閥を作ってしまっている。
……当人たちにとって、特にクラウスにとって迷惑極まりないのだが。
「特にタチが悪いのが、騒がしくなる者たちの半数が打算無しなのがなぁ……。利権目当ての奴らの方がまだマシとか何の冗談だ? 変に放っておくと暴走しそうで目が離せないとか厄介過ぎるぞ」
「愛国者が多いのは良いことではありませんか」
「結果として国が揺れているのだが……?」
当然ながら、次代の皇帝を巡る政争が起きている以上は国政に影響が出る。
皇子たちの関係が良好かつ、支持者の多くが帝国という大船を操舵する理性ある者たち故に国を割るような混乱は起こっていないが、関係各所でクラウス目線からすれば下らない暗躍や駆け引きが行われているのである。
そのような無為な行為で国政に影響を与える者たちを、はたして愛国者と称して良いのだろうか?とクラウスは首を傾げる。
尚、実際のところ『愛国者』というのはランバートの皮肉であり、当の本人もまた利権目当てでクラウスを担ぎあげている者たちの方が余程マシと思っている。
「まあ、そのような者たちを上手く操作するのも上に立つ者の務めでございます故」
「いやだから、その手の仕事は兄上の分野だと」
「将軍職とて上に立つ者には違いありますまい。という訳で、次なる目的地の砦まで進軍が完了したら直ちに書類仕事に取り掛かって頂きます」
「ぬぅ……」
ランバートに上手い具合に結論を持っていかれ、クラウスは小さく呻いた。
まあ、軍のトップである以上は書類から逃れられぬ運命であり、忙殺されるのは遅いか早いかの違いでしかないのだが。
「面倒だ! 戦争というのは本当に面倒だな! これで歯応えのある相手なら緊張感が続くものを、今回はそれすらない勝ち戦だ! 損害が少ないのは結構だが、余計に無為な仕事をこなしているようでままならぬ!」
「そんなこと言って……。本当に予想外の事態が発生したらどうするのですか?」
「それなら──」
ランバートの疑問に、クラウスがそう反論を返そうとした瞬間である。
「報告します! 先行していた偵察部隊が目標となる砦を確認。その砦の前で、五十名強の兵士たちが交渉旗を掲げて整列している模様!」
駆け寄ってきた伝令兵によって、予想外の事態が発生したことを伝えられたのは。
「……殿下」
「いやオレのせいではないだろう!? その原因を見るような目は止めんか!」
ランバートに半眼で睨まれ、堪らずクラウスが叫ぶ。実際、タイミングが神がっていただけでクラウスには何の落ち度も無い。
「大体、交渉とは言うものの状況的に投降か何かだろう? だったら予想外という程ではない」
『大人しく降伏するから我々の身の安全を保証してくれ』など、大方そんな内容だろうとクラウスは想像する。戦力差が圧倒的に違う以上、敵軍からそういった類の交渉が申し込まれることも想定内であった。
「いえ、それが、その……」
しかし、伝令兵から返ってきたのは煮え切らない反応。伝令兵としてあってはならぬ曖昧な様子に、クラウスは怒声を上げた。
「馬鹿者! 伝令を行う者がそんな反応をしてどうする!? 伝えることがあるなら簡潔に申せ!」
「っ、ハッ! 失礼しました! 交渉を申し出たのはランド王国第四王子ルト・ランド。内容は『停戦交渉』とのことです!」
「……はぁ?」
それは戦の天稟を宿すクラウスにして、全くもって予想できなかった内容であり、正しく予想外の事態が発生した証明であった。
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