第4話 君臨者

 敵国の強大さと、喉元に突き付けられた故郷の『滅び』という名の運命に、死すらも覚悟した筈の忠臣たちですら動揺を隠せないでいた。

 そんな中、ルトは『パンッ』と一度だけ大きく手を叩いてみせる。


「阿呆共。何を今更呆然としている? 絶望的なのは始めからだ。今尚併呑されてないのが奇跡のような状況なんだぞ? むしろここでお喋りができる幸福を噛み締めろ」


 本来ならば、先の衝突の時点でランド王国軍は敗走もできずに壊滅してもおかしくなかった。

 そうならなかったのは、帝国側がランド王国軍を一切脅威と思っておらず、侵攻速度が比較的ゆったりとしているものだったが故。

 本土に向けての侵攻作戦である以上ランド王国側に逃げ場はなく、大義名分も帝国側にある為に援軍も望めない。

 そんな状況でわざわざ急いて余計な消耗を重ねる必要は皆無であり、着実な進軍でもって損耗を最小限に抑えた上での勝利を帝国が狙っているからだ。

 たった五十名強の捨て石部隊が、未だに生存できているのはそんな背景のもとに成立する奇跡であり、だからこそ必滅の運命の中でそれは輝く。

『奇跡』とは、絶望の暗闇を切り裂く一条の光明である。闇を照らし、希望を齎す福音である。

 故にこそ、ルトは現状の小さな『奇跡』を、逆境を打ち破る光輝の剣へと変える。


「お前たちは本当に良くやったよ。先の衝突の中で生き延びただけでなく、こんな無能な怠け者に忠義を示しこうしてこの場に残ってみせた。絶望的な状況の中で生き残り、決して折れぬ心で戦場に立ち続けるその姿は正に兵士の鑑だ」

「殿下!? そんな素直に褒めるなんてらしくないですよ!?」

「そうですよ止めてください縁起でもない! そんな死に際のような台詞など聞きたくないです!」

「縁起でもないのはお前らの方だ馬鹿野郎!! 人の折角の褒め言葉を今際の言葉に変えるんじゃない!!」


 ルトとしては忠臣たち珍しく素直な労いの言葉を掛けただけなのだが、悲しいかな普段の言動のせいか兵士たちからは心配されるだけだった。まあ、状況と台詞回し的には兵士たちの反応の方が妥当ではあるのだが。


「ったく。そりゃ状況が状況だ。そう受け取るのも分からなくはないがな……。お前らの中での俺は、そんな素直に状況を受け入れて死ぬようなタマか?」

「「「「いえ全く!」」」」

「事実上の無駄死にしろという命令を遂行し、祖国への愛を叫びながら決死の突撃をするようなタマか?」

「「「「断じて否です!」」」」

「では、どんな扱いを受けるか、先の未来すら分からなぬ捕虜の身に、我が身可愛さだけで堕ちるとでも?」

「「「「……多分否です」」」」

「そこはもっと力強い否定をしろ馬鹿タレども! 俺は先の生活すら不安になるような選択を思考停止で取ったりしない! 少なくとも安泰な生活を確保できる材料を揃えるに決まってるだろ!?」

「「「「……ああ」」」」


 如何にもルトらしい怒りの声に、兵士たちは揃って納得の声を上げた。

 捕虜の身に堕ちることに忌避感は無さそうだったからこそ兵士たちは言葉を濁した訳だが、言われてみれば『怠惰』を心情とするルトが碌な未来が待っていないであろう『ただの捕虜』になる筈もなかった。

 本人の資質も加味すれば、まず間違いなく得られたであろう王族としての栄誉や富を義務と共に蹴っ飛ばし、周囲から嘲りを受けることを承知で最低限の仕事のみしかこなしてこなかったのがルトなのだから。

 そして、そんなある意味で反骨心の塊みたいな人間が、滅びの間際だからといって部下を賞賛するという殊勝なことをする訳がなく。


「……つまりだ、さっきの俺の言葉は本気でお前らを褒めただけなんだよ。今際に良い思い出でも作ってやろうとか、そんな気遣いの類じゃないから安心しろ」

「いやでも、それにしたって唐突過ぎではありませんかね?」

「そうっすよ。そりゃ確かに俺たちは殿下の下に自ら残りましたけど、ぶっちゃけまだ何もしてませんぜ?」

「いや。お前らは気付いてないだけで、確かな働きをしてみせたよ」


 捻くれ者のルトから素直な賞賛を受ける心当たりが全くないと首を捻る兵士たちに対して、ルトは静かな笑みを浮かべながら否と答えた。


「……お前たちの覚悟と忠義に応える為に、俺は今から一時的に『無能』の名を返上する。これは亡国の危機だからではない。『貴殿ら』の献身に対する私からの返礼だ」


 それは兵士たちが、それこそ長く仕えてきたハインリヒですら初めて見る、ルトの王族としての姿である。



 ──その圧倒的なまでの風格に、全ての兵士が自然と跪いていた。



「誇れ! 貴殿らの忠義によって、ランド王国は滅びの運命を回避する! あくまで滅ばぬだけで、決して勝利はない。我らの名誉にも傷は付く。しかし、ランドは滅びぬ! 国民の殆どが理解することはないが、それでも私だけは貴殿らの偉業を保証しよう! 今一度言う。しかと誇れ! 貴殿らこそが救国の英雄だ!」



 ──吐き出された言葉は、心地よい重圧となって兵士たちにのしかかり、その心を奮わせる。



 普段の怠惰を至上とするルトの姿とはかけ離れた『王』の如き佇まいに、誰もが先のルトの台詞を正しく理解した。


『阿呆。継承権下位が下手に有能だと面倒だろう』


 嗚呼、確かにこんな姿を普段から見せてはいけない。この風格を常時発していては、冗談抜きで国が割れる。

 継承権が上の王族たちも、王太子も、それこそ現国王ですら霞んでしまう圧倒的なカリスマ。

 本能で跪いてしまう程の常人とは一線を画す『格』の違い。


 ルト・ランドは庶子でありながらも生粋の王族、いや君臨者であった。

 普段の怠惰な姿は、本人の性格も多分に含まれているだろうが、それと同時に高すぎるカリスマを曇らせる為に必要な行為であったのだと兵士たちは理解した。


「……ふぅ。とまあ、お前たちを褒めたのはそんな理由だ。もう立って良いぞ」


 それを証明するかのように、普段の口調となったルトから先程までの重圧が消える。

 まるで跪かれることが分かっていたかのような台詞が、兵士たちの推測を更に裏付けるものにした。

 とは言えだ。一度理解してしまった格の違いは、ルトの性格を知っている彼らをしても中々に飲み込むことができない。

 さっさと立てと急かすルトに対して、最も付き合いの長いハインリヒが漸く疑問を口にできた程だ。


「……で、殿下。今のは……?」

「ん? ああ、アレな。アレは俺の秘密というか、切り札として隠してる奴の一つ、その片鱗だ。お前たちの忠義に対する褒美の意味も含めて教えてやるが、実を言うと俺にはちょっとした隠しごとが二つあってな。今からその一つを切るつもりだ」

「……それは、この戦争で役立つものなのですか?」

「ああ。上手く使えばこれ以上の犠牲を無く戦争を終えさせることもできる、強力な一手となるだろう」


 ルトの一切の迷いのない断言。それによって、ハインリヒはもとよりその場にいた兵士たち全員が『事実』であると認識した。

 それと同時に、一つの疑問が首をもたげる。


「……殿下。我らは殿下に忠誠を誓った身。故にどのような返答であっても揺れはしませぬ。その上でお訊ねしたい。何故その『切り札』を今お使いになられるのですか? いや、そもそも何故これまで秘匿していたのですか?」


 必滅の運命を回避し、帝国すらも退かせるであろう強力な切り札を持ちながら、何故それを今まで行使しなかったのか。

 それは国に仕える者としての当然の疑問であった。

 それをルトも理解しているからこそ、ハインリヒの問に対して一切の偽りなく答えを返した。


「理由は四つある。


 まず俺の二つの切り札は強力過ぎる。はっきり言って、こんな非常時でもなければ一生存在すら告げなかった。なんなら、お前たちの忠義が無ければ今尚秘匿し、俺は一人で静かに行方をくらましていただろう。これはそれ程の劇物で、本来なら我が国では扱い切れない代物だ。過ぎたる力は必ず身を滅ぼす。故にこれまで秘匿していた。


 次に機会の問題。この札を切るには、今回の戦争はことが進み過ぎていた。最初の辺境伯領での戦闘は物理的に距離が開き過ぎていたし、先の衝突でも俺が戦場に到着したころにはほぼ趨勢が決まっていた。故に切る意味が無かった。


 そして次が国力の差。俺の切り札は帝国にも通用するが、根本の国力差はどうしようもない。下手に敵対した状態で状況が膠着すれば、物理よりも経済的な面から潰されかねない。だから切り時を伺っていた。


 最後に指揮権の問題。現状、捨て石にされた俺たちは戦力として独立している。つまり最高指揮官は俺だ。だからこそ切り札を行使できる。さっき言ったように、過ぎたる力は必ず自分に返ってくる。で、俺の知る限り、俺の切り札を扱える奴は上層部に存在しない。その状況で下手に存在を明かしたら、帝国との関係を致命的なものにして、最終的に滅ぼされかねない。


 そんな訳で、今が漸く切り札を行使できる状況という訳だ。納得したか?」

「ハッ」


 ルトの説明は、少なくともハインリヒにとっては筋が通っているように感じた。

 勿論、他の者が聞けばそんな悠長な状況ではないと激怒するだろうが、ルトはもとよりランド王国にそれ程の拘りをみせていないし、ここにいる者たちはそんなルトに忠誠を誓った身だ。

 明らかに主が誤った道に進もうとしているのなら兎も角、そうでなければルトの決断に口を挟むことは無い。


「しかしそれでは、殿下は軍の指揮権から自ら外れるということですか?」

「そうなるな。ここから先の行為は本来の俺の裁量を超える。ま、もとより何もしなければ滅ぶんだ。そんなこと気にする必要も無いだろう。……それにことが発覚したとしても、俺の想定通りに進めば我が国にはどうせ何もできやしない。せいぜい反逆者とか言われるぐらいだよ」

「相変わらず剛毅ですなぁ……」


 なんてことのないように言うルトに対して、ハインリヒは思わず呆れの言葉を零した。

 ルトの台詞はどう受けとっても独断専行、いや少数とは言え兵力の私的運用であり、れっきとした叛乱だ。発覚すれば極刑は間違いない大罪なのだが、ルトは一切の気負いすら見せていない。


「……ああでも、反逆者の烙印を押されたくないって奴は言えよ? 家族や恋人がいるから、そうした悪評は困るとかな。状況が状況だから決行はする。だから我が国での名誉なんか知ったことかって奴だけ残れ。そうじゃない奴は、詳細を知らされてない伝令ってことで後ろに返す。人数が減ろうが滅亡だけは回避できるから、臆さず申し出ろ」


 ルトの気遣い。しかしながら、それに対して声を上げた者はいなかった。


「殿下。俺たちはこの部隊に志願した時点で、殿下に命を預けているのです。今更何を躊躇いますか」

「ええ。そもそも我らは救国の英雄なのでしょう? ならば最後まで殿下に仕えるが道理。肝心の場にいないで英雄などと誇ることはできませぬ」

「なによりここにいるのは寂しい独り身だけですからなぁ! 失うものなど何も無いのですよ!」

「「「「違いない!!」」」」


 返ってきたのは力強い返事。これにはルトも思わず笑ってしまう。


「ククっ。お前たちも十分に剛毅だろうよ。というか、そろそろ口調を普通に戻せ。むず痒い」

「「「「それは中々に難しく!」」」」

「ああ全く仕方のない……」


 直そうともしない兵士たちに、これは言っても無駄だとルトは即座に諦めた。

 戸惑いも見せずに即答する辺り、なんだかんだ距離感自体は変わっていないことが理解できたからだ。


「さて。それじゃあ行動を開始するぞ。という訳でお前たち、総員砦前に整列! ハインリヒは交渉の旗を掲げよ!」

「交渉、ですか? 降伏ではなく?」

「ああ、交渉だ。普通に考えればこの戦力差じゃ成立する筈がないがな。……なぁに。元よりこの戦争はマトモなものじゃない。となれば打つ手もマトモである必要は無いんだよ」


 そうして笑うルトの顔は、まるで子供がとんでもないイタズラを行おうとしているかのようであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る