フルリモート

広瀬 正人

本編

フルリモート


登場人物

伊藤…  在宅勤務をこよなく愛する男。

古田…  伊藤の上司。

みほこ… 伊藤の後輩。


古田  いやあ、今日はごめんね。こんな時間まで。

伊藤  いやいや、全然、全然。大丈夫ですよ。

みほこ ごめんなさい、伊藤さん。付き合ってもらって。

伊藤  全然大丈夫ですよ、佐藤さん。だって、僕、……在宅勤務ですから。

古田  あっ、ははは、ははあ。

みほこ ……ははは。

伊藤  3時間くらいの残業大丈夫ですよ、だって、これで切ったらもう、アフター5ですよ。

古田  ああね、まあね。

みほこ はは。

伊藤  あれ、古田さんはあれですか、今日は在宅ですか?

古田  そう、だね。今日はね。いつもは基本的に会社に行ってるけど。

伊藤  佐藤さんもでしょ?

みほこ そうですね、はい。

伊藤  いやあ、きつくないすか? 出社。

古田  まあまあ、そうね、まあまあ、うん……。

伊藤  もうね、一回ね、在宅しちゃうと、通勤ってね? もうね、時間の浪費ですよ。地獄ですよ。

古田  ああ、うん、そうだね、わかる気がする。

みほこ あれ…、なんか。いいヘッドホンしてますね。

伊藤  これ? これですか? これねえ、ソニーの。思い切って買っちゃったんですよ。最新式の、ノイズキャンセリング。

みほこ えっ、高いんじゃないんです?

伊藤  いやあ、まあ、このくらい(手で10を作る)。いやあ、やっぱりね、在宅勤務の秘訣は集中ですから。そのためには、投資を惜しまないですよ。

みほこ あっ、はははー。なるほど。

伊藤  あと、見えないと思いますけど、これわかります? わかります?

古田  いや、ちょっと、わからないなー。

伊藤  40インチの。曲面ディスプレイ。やっぱね、いかに効率的に仕事をするかですから。そのための投資は、……惜しまないですよ。

古田  はは、ははは。

伊藤  それじゃあ、ごめんなさい、そろそろ。

古田  あ、いや、ごめん。伊藤くん。ちょっと、……時間いいかな?

伊藤  あっ、はい。じゃあ、ちょっと、トイレに行ってきてもいいですか?

古田  うん、もちろんもちろん。

伊藤  いやあ、すぐにトイレに行けるこの環境。在宅勤務って本当革命ですよね。

古田  ははは……。


伊藤、マイクをミュートにして退席する。


古田  ……どうしよう。

みほこ ……どうします?

古田  あいつ、在宅エンジョイしてるな。

みほこ そうですね、もう伊藤さんフルリモートになって、1年になりますか? そろそろ。

古田  だよねえ。あいつ、ちょっと、ゲボ吐くくらい駄々こねてリモート勝ち取ったんだもんね。

みほこ ですよね……。

古田  どうしよう。

みほこ もう、ストレートに言うしかないですよ。

古田  だよね。それしかないよね。

みほこ はい。


伊藤、戻る。


伊藤  お待たせしましたー。

古田  おつかれ。それで、あの……。

伊藤  ああ、そういえば、古田さん。これ知ってますか。このマウス。これすごい使いやすいんですよ。

古田  ああ、うん、伊藤くん、ちょっといいかな。

伊藤  あとですね、このスピーカー、これがいいんですよ。

古田  伊藤くん!

伊藤  …………。はい?

古田  あのね、伊藤くん。言いづらいんだけど、大事な話があって。

伊藤  …………。

古田  うちの会社、来年度から、リモートワーク、やめることになった。

伊藤  …………。はい?

古田  リモートワーク、やめることになった。

伊藤  …………。あ、ああ、部分的にってことですか? 週2くらい出勤ですか…? まあ、あのー、そうですね、そのくらいなら大丈夫だと思うんですが、週3出勤とかだとちょっと……。

古田  いや、その、全面的に、やめることになったんだ。

伊藤  はい?

古田  昨今の情勢を鑑みて、もうリモートワークの必要なしということで、社員全員基本出社することになった。

伊藤  …………。

古田  ……あの、まあ、そういうことだから。

伊藤  (しばらく静止しているが、ヒトラーの感じで震えながらメガネを外す)

古田  伊藤くん……?

伊藤  (何故か突然、味噌を持ち出して)……あれ、あっ、あれ? なんだろこれ、あれ? あっ、あー、匂いしないなー、あれ? なんだろ、あれ? あー、匂いしない。

古田  伊藤くん。

伊藤  あれ、あっ(無理やり咳をする)あー、咳出るなー、あー、熱あるー。あっ、これ、あっ、あれだー、これ、あれだー。

古田  伊藤くん、ねえ、伊藤くん。

伊藤  あー、なんか気持ち、あー、熱、あるなー、熱―。

古田  伊藤くん、もう終わったの。コロナ禍はもう、終わったの!

伊藤  あー、呼吸が苦しい、あー、呼吸が、あー。

古田  伊藤! 特効薬が流通してるんだよ、伊藤! 目を覚ませ! 伊藤!

伊藤  嫌だ!

古田  えっ。

伊藤  嫌だ、出社しない!

古田  伊藤くん。

伊藤  何いってんだ、今更! 出社なんてできるか! 今更、出社なんてできるか!

古田  …………。

伊藤  お前、お前、今俺がどこに住んでるか知ってるか? 群馬、群馬だぞ、群馬! 群馬県!

古田  あっ、うん、言ってたね。

伊藤  前橋だぞー、お前―、前橋のー。3LDKだぞー! 今更前橋から、お前、どういうメンタルで、麹町まで出社しろって言うんだー!

みほこ それなんですけど、社長が引っ越しの費用は会社が負担してくれるそうです。ああ、あと、あれだったら、小岩の社員寮を格安で…。

みほこ  うるさい! 嫌だ、出社しない、出社しないぞー! 完璧なオフィスがここにあるんだ。俺の理想の職場は、群馬県にしかないんだ!

古田  伊藤、目を覚まそう。ねっ。終わったの。コロナはもう終わったの。ねっ。もう平和な世の中はやってきたの。みんなもうでかけてるの。だから出勤するの。

伊藤  終わってない、俺のコロナは! 終わってない!

古田  終わったの! コロナの特権はもう終わったの! 新しい生活はもうなくなったの!

伊藤  あーあーあー、聞こえないー、あーあーあー、あれ、電波が、あっ、あー! 明日もよろしくお願いしますー!


伊藤、強引に切断する。


古田  …………。

みほこ …………。

古田  …………。日本、頑張っていこうな。


幕。

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