第4話 魔王ライラ

 生まれ落ちてこの方、自身が優秀であったと思えたことはない。


 自分と同じ日に生まれた九人は、いずれも自分より優秀であった。

 彼らと違って自分は努力して人並みになれれば御の字、それにすら届かないことも多い。


 ライラは劣等感と共に数千年を生きてきた。


 そんな自分が何の因果か、今では魔人を統べる魔王なんてものをやっている。


「腐っても原初の一人、というのが大きいのでしょうね」


 魔人は繁殖力と引き換えに、長大な寿命を持っている。ライラはそんな魔人の中でも最も旧い魔人の一人であった。

 なにせ、世界に初めて生まれ落ちた十人の魔人の一人なのだから。


 ライラは彼女の城である竜魔城の玉座にて、ワイングラスを片手に憂鬱に浸っていた。


 自らの創造主が人類の手によって失われてから、彼女の時間は止まったままだ。いや、彼女だけではない。数多くの同胞が彼女と同じ想いを抱いている。


 人類に復讐を。


 他の原初がどのような考えを持つのかライラは知らない。興味もない。しかし、ライラにとって、創造主たる彼の存在は世界の全てであったのだ。


 人類と二千年にも及ぶ戦争を行っている魔人たちの多くはライラの配下だ。彼らは魔王たるライラと同じく、胸の内に人類への憎悪と復讐心を湛えている。


 人類は寿命が短い。長く生きたとしてもせいぜい三桁年。二千年前の人類の裏切りの当事者は既に死に絶え、その伝承すら途絶えているだろう。


 恨まれる謂れを知らぬ相手を恨むことに虚しさを覚えないことはない。しかし、身を焦がすほどの衝動を魔人たちは抑えることが出来なかった。


 人類を滅ぼすまで、この熱は消えないのでしょうね……そしてそれを終えたら、ワタシ達はどうなるのかしら……


 月夜に照らされながらライラは目を伏せる。復讐を遂げた後のことをいくら考えても彼女には分からなかった。


 よく冷えたワインで唇を湿らす。


「…………」


 ほぅ、と一息吐く。今夜は少し冷える。無意識のうちにライラは鱗で覆われた肌を撫でていた。


 彼女の時間が止まるよりもずっと昔。彼に触れられた際の熱は未だに忘れられない。それと比べると自身の手のひらのなんと冷たいことか。


 その先に何があろうとも、あるいは何もないのだとしても。


「ワタシは絶対に許さない」


 感情の高まりと共に、ライラの背から、腰から、そして頭部から、それぞれ人間には似つかわしくない彼女の魔人たる所以が現れる。


 背からはコウモリを思わせる飛膜状の翼が、腰からは大型爬虫類のそれに似た長大な尾が、頭部からは天を抉るが如く伸びる捻じれた角が。


 闇夜を練り上げた漆黒の髪と絶対零度の美貌が合わさり、彼女の姿は危うさと艶やかさが交じり合う妖しい色香を醸し出している。かつて人類に語られていたとされる伝説に描かれた魔なる存在、悪魔そのもののようだった。


「あいたっ」


 瞬間場内に間抜けな悲鳴が響いた。


 声の主はあろうことかライラ本人だった。


「ううぅ、またやってしまった……」


 現れた翼と尾が、彼女の座っていた玉座を前衛芸術へと変化させていた。重力に従い垂直方向へ加速した臀部は芸術作品へとランデブー。芸術は廃材へとさらなる進化を遂げることとなり、世界はその代価として魔王の下半身に苦痛という支払いを強要した。本年五回目となる悲劇である。


 お尻をさすりながら立ち上がったライラ。はっと我に返ると翼、尾、角を体内へと収めた後に空に向かって腕を振るった。


 地面に魔法陣が浮かび上がり、廃材が時を撒き戻すかのように玉座へと再生した。翼と尾によって引き裂かれたライラの衣服もついでに修繕される。見るものが見れば驚愕する速度と精度を伴った、魔王の呼び名に恥じぬ魔法の行使によって、魔王は恥じるべき自らのポカをなかったことにした。


「だ、誰も見ていなかったわよね……?」


 キョロキョロと周囲を見渡す姿には、愁いを帯びた美しさも魔王の威厳もあったものではなかった。


 彼女は魔王ライラ。


 人類の敵対者、魔人を統べる王である。

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キメラの箱舟 チモ吉 @timokiti

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