第3話 学園生活②

 成績の悪い生徒、というのはどの学校にも存在するものだ。それがたとえエリートが集められた学園であっても、内部だけを相対的に見れば必ず落ちこぼれというのは存在する。

 しかし、当人にとってそれが不幸であるとは限らない。


「やぁ、いーちゃん」


 ガラリという音に目を向ければ、そこには赤髪の少年の姿があった。


「あっ、もう、ノアくん遅いよ! 補修室にわたし一人って、けっこう寂しいんだからねっ」


 補修のために割り当てられた教室にポツンと一人、課題プリントを眺め呻いていた少女はノアに対しパッと笑顔を見せる、しかしすぐさま不機嫌さを押し出すように唇を尖らせた。


「まったくもう、わたしたちは補修同盟を組んだ仲なのに。一人だけすっぽかして帰ったんじゃないかと不安になっちゃったよ」


「ボク、そんな同盟組んだ覚えないんだけど」


「今組んだの。病めるときも健やかなるときも、いつもいつまでも共に補修を受ける同盟だよ」


「補修は受けないに越したことはないし、病めるときは補修なんて気にせず帰った方がいいとボクは思う」


 それにいーちゃん、いつまでもだったら卒業できないよ。

そう言ってノアは困ったように笑った。


 その表情を見て、いーちゃんと呼ばれた少女は不機嫌な表情を維持できず、つい頬を緩めてしまう。




 ノアという少年は、三ヶ月ほど前にこの学園の最も有名な人物の一人であるセツカの手によって、強引とも言える形で編入してきた。噂によると、その背景には数千年前から続くとされる魔人との戦争、人魔大戦に絡む何かがあるそうだがあくまで噂、真偽は不明。


 編入当初は、正直いーちゃんは彼に興味を抱かなかった。


 いーちゃんは学園の落ちこぼれである。懸命に努力して何とか入学できた人類中央魔導学園。エリートが通う学園だけあってカリキュラムは全て高度なもの、退学ギリギリの成績をなんとか維持することが精いっぱいだった。


 そんな彼女は補修室の常連で、学園内の噂話に意識を割く余裕なんて持っていなかった。

 彼女の家は裕福な方であったが、両親は決して安くはない額の学費を支払って、彼女を学園に通わせている。人類全体のためになる仕事に就くために、という彼女の希望で入学したこともあり、いーちゃんは退学するわけにはいかなかった。


 そんな中ある日、いつものように補修室で課題と戦い陰鬱な気分になっていると。


「……や」


 バツの悪そうな表情を浮かべて赤髪の少年が室内に入ってきた。高等部にしてはずいぶんと小さい。十歳かそこらではなかろうか。


 その日は偶然補修になった生徒がいたのだろう、とだけいーちゃんは思った。

そういえば、噂になっていた編入生も十歳前後の少年だったっけ。でもセツカさん関係の人が補修なんて受けないよね。


 その少年とあいさつ程度の会話だけしてその日は課題に取り組んだ。


 そして翌日の放課後。


「……やぁ」


 また同じ少年が補修室を訪れていた。


 毎日のようにこの教室を使っている自分が言うのもなんだが、連日補修とは。


 もしかしてこの子も、自分と同じなのかも。

 そう思うと少しだけ親近感を覚えた。


 翌日も、そのまた翌日も、週を跨いだ休み明けも、少年は補修室にやってきた。

 やがていーちゃんは、課題の合間に少しずつ彼と話すようになった。

 学園の話、勉強の話、将来の話、他愛もない話。いろいろなことを話した。学園に入学し落ちこぼれ、久しく教師と家族以外と話していなかったためか、自分でも意外なほどたくさんのことをこの少年に話した。


 話しているうちに知ったことだが、彼はセツカの連れてきた編入生当人だった。すごく驚いた。あのセツカが連れてきた少年が落ちこぼれの自分と同じ教室で補修を受けているなんて。なんだかおかしくて笑ってしまった。少年もそれを見て困ったような顔で笑った。


「そういえば、名前。お互いに名乗ってなかったよね」


 ボクはノア。


 少年はそう名乗った。おとぎ話に登場する勇者と同じ名前だった。物語にあやかってよく男の子に名付けられる、ごくありふれた名前。そんなありきたりな名前が少し、羨ましく感じた。


「わたしは……わたしは、いーちゃん。そう呼んで?」


 自分の名前が好きではなかったため、昔の友達や家族が自分を呼ぶときのあだ名で答えた。ノアは小首を傾げたが、いつものように困ったような笑顔を浮かべた。


「改めてよろしく、いーちゃん」




 今でも補修は憂鬱だ。勉強は難しいし、運動も人並み以下、魔法なんて発動すら上手くできない。

 でも、以前と比べると、少しだけ学園生活が楽しくなった気がする。


 その理由の大半が目の前の同胞に起因するのだろうな、といーちゃんは思った。


「さてノアくん。今日も一緒に補修、頑張ろっか」


 自身が座っていた席の隣、机の上に乗ったいーちゃんのそれとは違うプリントを見て、ノアは小さく呻いた。よっぽど勉強というものが嫌いらしい。


「よし。白紙で出そう」


「先週それやってすっごく怒られてたでしょ」


 西日によって紅に染まる教室内で二人、何でもないような会話をしながら今日も四苦八苦して補修プリントと格闘する。


 季節はもうすぐ夏。日が完全に没するまでまだ少しだけ猶予がある。


 お互いに無事、卒業できるといいね。


 難解な問題に頭を悩ませる友人の隣で、いーちゃんは微笑むのだった

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