23. Exhausts
何故?
問いかけても、答えは返ってこない。
そもそも誰に問いかけているのか、誰に問いかけるべきなのかすらも、判らない。
―――衝動。
その一言で片付けてしまえば、それまでのこと。それだけは、判る。何となく。
でも、それじゃ僕は救われない。
胸につっかかる異物感は、消えない。
彼女を押し倒した。
父の愛人だったと告白した彼女を、僕は、壊そうとした。
何故?
母のため?
彼女も、僕や兄や母から父を遠ざけた、僕らを傷つけた人間の一人だから?
それとも、嫉妬?
もう死んでしまった父から、彼女を奪い取ろうとして?
―――答えは返ってこない。何も、判らない。
判らないから、僕は走る。
拓郎のバイクに跨り、島の街道を、ただただ、走る。
兄は知っていたんだろうか。
きっと、知っていたんだろう。
父と彼女との関係。
母は?
『さっきあの人、来たの。本当に来たのよ』
ほんの僅かに耳の裏側に残っていた母の声が、鮮明に頭の中で響きだす。
母も知っていたのか。
知っていたんだ、きっと―――
僕は、走る。
そして、ふと、思う。
彼女は何のために、この島に来たんだろう。
父を弔うため?
―――多分、違う。
遺産が欲しい?
―――それも違う。そんな安っぽさで、彼女はきっと動かない。
復讐?
本当の家族になれなかった、愛人にしかなれなかった憎しみや恨みや妬みを、僕ら本当の家族に知らしめて、苦しめたかった?
―――違う。絶対に。そんな感情は、彼女のどこからも漏れ落ちていなかった。
だったら、何なんだ。
問いかけたいことは胸の中にとめどなく溢れるのに、判らない。何も。何一つ。
判らないから、僕は、走る。
唐突に、背後から排気音が迫ってきた。
昔よく馴染んだ排気音。薄れて消えかけていた記憶のどこかに、ひっかかる音。
それは、一瞬で僕の乗ったバイクを追い抜くと、腹の底に響くようなエンジンブレーキの音を響かせながら減速して、僕を先導するようにすぐ前を走り始めた。
ゼファーの400。
まだ僕がこの島にいた頃、拓郎の運転するこのバイクのタンデムから、よく見ていたテール。それに跨る、肉付きのいい背中。見覚えのある、というより、過去に何度も見たことのある光景。
間違いない。
啓太だ。
啓太の部屋にあれこれと山ほど詰まれていたヤンキー漫画に、必ず出てくるマシン。アメリカン派の拓郎が、容赦なくこき下ろしていた、啓太の愛車だった。
懐かしい。そう感じて、僕がアクセルを空ぶかしすると、啓太はおどけて見せるように蛇行運転をする。昔よくこの街道を三人で走っていた時と同じじゃれ方だった。
本当に懐かしくて、胸が弾んで、そのまましばらく二人で縦に並んで、島の街道を流した。
ヘルメットの隙間から入り込んでくる新緑の匂いに、潮の香りが混ざり、僕の鼻先をくすぐる。
体を突き抜けていく風が、胸を躍らせる。
エンジンの振動と高揚感とが、シンクロする。
忘れていた、バイクを走らせている時独特の爽快感が、ギアを突き上げていくつま先から、全身に染み渡っていくように蘇ってくる。
そうなんだ。本当は、本来は、こういうスタンスで跨らなくてはならないんだと、僕をその排気音で鼓舞するマシンが、それまでの淀んだ胸の中のわだかまりから、ほんの少し、開放してくれた気がした。
島の北端に差し掛かるところで、啓太のバイクは街道を左に折れた。僕も、それに続く。島の中央に佇む山の頂上へ伸びる、ドライブウェイ。ワインディングの続く上り坂を啓太を追うように駆け上がり、山の中腹あたりの、島の南側を一望できる丘の上の休息所で、そろってバイクを停めた。
「やっぱり一人で走るより、誰かとつるんで走ったほうが気持ちいいな」
休息所の隅に置かれたベンチに並んで腰掛けると、大きく伸びをしながら啓太が言った。
「拓郎と走ってないの?」
「なかなかあいつと俺の暇な時間が合わないからさ」
啓太は苦笑を浮かべながら、ジーパンのポケットに捻じ込んだタバコを取り出して火をつけると、溜息と一緒に紫煙を吐き出した。
「なんだかな、あいつとも昔みたいにはもうはしゃげなくてよ。まあ、何年か前からそれが当たり前になってきてて、別に寂しいとか虚しいとか思ってたわけじゃないんだけど、お前が帰ってくると高校ん時のこと思い出すだろ?そうするとよ、なんだかうずうずすんだよな。昔と同じふうに3人で騒ぎたくなるっていうかさ。判る?」
言って、啓太は無邪気な笑みを向けた。僕は黙って頷いて、啓太の指に挟まれたタバコを奪い取ると、大きく煙を吸い込んで、空に向けて煙を吐いた。
嬉しかった。啓太が僕を、僕や拓郎と過ごしていたあの日々を、懐かしんでくれることが、久しぶりに吸い込んだニコチンと一緒に、体の芯に染みた。
人は変わっていく。人と、それを取り巻く世界は、止め処なく流れていく。そして流れ去った過去は、想像以上に脆く、あっけなく淡くなって、薄れて、消えていくんだと思っていた。でも、そんなことはない。どうしても消し去りたくない記憶は、ほんの些細なきっかけで再びくっきりとした輪郭を取り戻し始める。
啓太にとっての僕が、そのきっかけになっているのだったら嬉しいと、心底思った。僕にとっての啓太が、そうであるように。
しばらく二人でそこから見える海を眺めて、別れた。
啓太は漁があるからと、港へ、僕はバイクのノーズを、実家へと向けた。
母と兄を、問いただそうと思った。
父の死んだ理由。父が死を選んだ、理由。
そして、彼女のこと―――
はっきりとさせなくてはならない過去がある。はっきりとさせなくては、先に進めない過去が、きっと、ある。過去は、ただ無防備に懐かしむためだけにあるものじゃない。
啓太と会って、話して、そんなふうに思った。
無機質なようでいて、ある意味情熱的なバイクの排気音が、背中を押してくれた。
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