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「誤解はしてほしくないんですけど、私は何も両親を滅茶苦茶にしようと思ってあの作品を書いたわけではないんですよ。ただ、これを読んで少しでも本を読むことの楽しさをわかってくれたらな、くらいの本当に軽い気持ちでした。実際、最初は受験で忙しい時に何をやってるんだって怒っていた両親も、私の書いた小説をとても喜んでくれました。でも……少しだけ、度が過ぎてしまったようで」
夜半はごまかすように笑ったが、音無としては冗談でも笑うような気にはなれなかった。あの夜半の原稿を読んだものがどうなってしまったかを、この目で確かめているからだ。
「……それから、ご両親は?」
「安心してください一週間もすればもとに戻りました。その間は……まあ色々大変でしたけれど」
その言葉に、音無は少しだけ安心する。夜半の書いた小説が人に及ぼす影響が一時的なものならば、矢車や樋口もしばらくすれば元の状態に戻るだろう。
「ですが、当時の私は自分の小説が他人に与えた影響にひどく驚いてしまいました。自分の書いたものが、まさかここまで読んだ人を変えてしまうなんて思ってもいませんでしたから。そして、これがもし世に出たらと思うと……私は怖くなってしまったんです」
夜半の言葉に、音無は認識を改めた。
再会した夜半のことを、音無は人の範疇を超えた奇才のように見ていた。だが、実際のところは彼女の内面は六年前に初めて出会った時から大きくは変わっていない。ただ、普通の人よりも文章を紡ぐことに長けているというだけの一人の人間に過ぎないのだ。むしろ人一倍真面目な彼女だからこそ、自分の小説が持つ異常な効果を恐れ、それを行使することを躊躇してしまうのは当然のことのように思えた。
彼女は小説を書くことが嫌になったわけではない。ただ、自分が書いた小説を誰かが読むということの意味を誰よりもよく考えていたがゆえに、彼女は筆を折ったのだ。
夜半はそこまで語り終えると、唐突に押し黙ってしまった。彼女にとっても、あまり思い出したくはない出来事だったのだろうか。一通りの話が終わった彼女は、思い面持ちで俯いてき、沈黙が場を支配する。
「あの、すみません。自分、ちょっといいですか?」
そんな静寂を、月島の一言が破った。普段よりはトーンを抑えてはいるが、彼女のはっきりとした声が場の雰囲気を一変させる。
「どうした、月島?」
音無が怪訝な顔で彼女を見返すと、月島は彼女にしては珍しく歯切れの悪く口を開いた。
「実は私、夜半さんの小説読んだんですけど……」
「は?」
月島の予想外の一言に、思わず間抜けな声をあげてしまう。
「今朝、矢車さんの机片付けてるときに、なんとなく夜半さんの原稿が目について、それでつい……」
「ついって……お前なんでそんなこと」
そう、月島を窘めようとする音無の言葉は、再び口を開いた夜半によって遮られた。
「月島さん……とおっしゃいましたね」
「は、はい!」
突然呼びかけられ、再び月島が場違いな大きさの声を出す。夜半は微笑みながら月島に問いかけた。
「面白かったですか?」
夜半の言葉に、一瞬硬直していた月島が我に返ったように言葉を返す。
「え、えと、そうですね、ものすごく面白かったです!文章も読みやすいし、主人公の感情とかもすごい伝わってくるし……」
元々それほど本を読むタイプではないのだろう。月島の感想はたどたどしく、語彙に乏しいものだった。そんな月島の言葉を、夜半は相槌をうちながら丁寧に聞き続ける。
「……でも、読んでもそんな、変なことにはなりませんでした。なんか、もっと本読みたいな――くらいには思うんですけど、それで寝食忘れるほどではないっていうか……これ、やっぱり私がおかしいんですかね?」
月島はそう言って最後にごまかすように笑った。間抜けな口調を装って入るが、彼女には夜半の原稿の副作用が効かなかったということだ。
驚愕して唖然としている音無をクスクスと笑いながら、夜半が口を開く。
「大丈夫ですよ、月島さん。私の小説は、人の記憶を呼び起こすことでその人に感情や欲求を感じさせます。だから、そういった経験がない人であれば当然私の小説を読んでも何も起きません」
そう言われて月島は露骨に安堵している。だが、つまり月島には夜半の原稿によって掻き立てられるような読書欲を持った経験がないということだ。本を読まないと普段から公言している月島だが、ますますなぜ彼女が小説の編集部に配属されたのかわからなくなる。
そして、逆に考えるならば、夜半の原稿に狂わされた彼女の両親には、かつて読書に没頭した経験があったというわけだ。彼女の両親は、夜半が思っているほど彼女が小説家になることに反対してはいなかったのでは、と音無は思った。
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