7

 山中出版の本社から三駅ほど離れた喫茶店。会社の周辺の飲食店であれば作家との打ち合わせなどで頻繁に使うこともあるが、ここまで離れてしまうと滅多に立ち寄る機会はない。夜半がこの場所を指定してきたのは、他の関係者の目につくのを嫌ったからなのかもしれない。

 夜半に電話をかけた後、彼女はこちらの要件は一切聞かず、この喫茶店と時間だけを指定して電話を切った。まるでこちらが聞きたいことなど手に取るようにわかる、そんな物言いだった。


 約束の時間の十五分ほど前に、音無は月島を連れて待ち合わせの店についていた。店員に待ち合わせの旨を伝え、四人掛けのテーブル席に案内してもらう。

 「それで、樋口とは連絡が取れたのか?」

 音無は月島に尋ねる。夜半の原稿の下読みを担当していた作家の樋口のことは、音無もよく知っている。真面目で仕事熱心な青年という印象だ。月島にも少しは見習ってほしいくらいだ。

 「はい、浜中はまなかさんが樋口さんの家の近くに行かれる用事があるということなんで、確認していただいたら、やっぱり自宅で倒れられてたそうです。でも、命に別状はなさそうとのことでした」

 さすがに店の中ということもあり、いつもより抑え目なトーンで月島が返答する。夜半の原稿の下読みを担当していたというのだから、もしかするとと思って様子を確認させたが、どうやら矢車と同様の状態になっていたようだ。やはり夜半の原稿には何かあると、音無は確信する。

 「あの、自分よく知らないんですけど、今から来られる方ってどういう方なんですか?」

 月島は怪訝な顔でそう尋ねてくる。そういえばこいつには何も説明していなかった。朝から先輩社員が倒れたり下読み作家の安否確認をさせられたりした挙句、よく知らない相手と会うのについてこさせられれば疑問に思うのも当然だろう。

 約束の時刻まではまだ少し時間がある。音無は説明してやることにした。

 「今から来るのは夜半光。六年前、十七歳にしてPFノベルの大賞を受賞した、元作家だ」

 「元?ってことは引退されたんですか?」

 「引退というと、ちょっと違うな。というかそもそもデビューしてないからな」

 「え?なんでですか?だって大賞受賞してるなら、うちから出版されるはずですよね?というかそもそも大賞は今まで出たことがないって、音無さん言ってたじゃないですか」

 音無の言葉に、月島は不思議そうな顔で矢継ぎ早に質問を返してくる。確かに、PFノベルの受賞作が山中出版から出版されるというのはPFノベル賞が始まった当初からある原則の一つだ。夜半光も、その原則に倣って記念すべき初代PFノベル大賞受賞者としてデビューするはずだった。

 だが、彼女にはある一つの問題があった。

 「ご両親の反対があって、デビューできなかったんだよ。当時、あの子はまだ未成年だったからな」


 PFノベルは、最終選考にまでコマを進めた作品はその時点で担当編集がつく決まりとなっている。百倍近くの倍率を勝ち抜いた選りすぐりの作品たちを、プロの小説家や編集長たちによる最後の選考会議にかけられる前にさらにブラッシュアップさせるためだ。そして、第一回の最終選考に残った十人の中で最年少だった夜半の担当についたのが、音無だった。

 初めて夜半に会った時、音無の中に生まれたのは迷いだった。夜半光は、十代にしては大人びている落ち着きのある少女だったが、間違いなくまだ未成熟な高校生だった。音無のような年上の男との接し方がわからず、終始音無のことを先生と呼んできていた、そんな大人しくて世間知らずな女子高生だった。

 最終選考が行われる前から、編集部の夜半に対する期待は大きかった。スマートフォンの普及に伴って徐々に出版不況が進んでいた当時の業界には、話題性のあるスターの誕生が望まれていたのだ。そして、十七歳という若さで最終選考にまで駒を進めていた夜半は、まさに実力と目新しさを兼ね備えた存在だった。

 確かに現役高校生の、それも少女が書いた作品とくればクオリティ以上に世間で話題になるのは必須のように思える。だが、精神的に未熟で社会経験の少ない少女をそんな風に売り出したところで、長生きできる作家になれる保証はどこにもない。会社や業界の利益を追求するサラリーマンである前に、一人の大人として、音無は夜半の才能を使い捨てることになるかもしれない当時の編集部の思惑に懐疑的だった。

 しかし、そんな懸念や迷いは、夜半の応募原稿を読んだ瞬間に吹き飛んでいった。夜半は、年齢や女子高生という立場で評価されていたわけではなかった。彼女の小説は、とてもアマチュアが書いたものとは思えないほど完成度が高かった。

 彼女は間違いなく何かしらの賞を受賞する。そんな音無の期待通り、果たして夜半は最終選考の協議の結果、満場一致で大賞を受賞する運びとなった。

 しかし、問題はそこからだった。未成年である夜半が作家としてデビューするには、彼女の親の同意が必要だった。だが、彼女の両親は夜半の作家デビューに厳しく反対した。

 夜半の実家は、父親は公務員、母親は専業主婦と極めて一般的な家庭だった。だが、それゆえに彼女の両親は一人娘がまだ高校生のうちに小説家などという不安定な職業に就いてしまうことを嫌ったのである。

 音無も当時の編集長とともに必死の説得を試みた。確かに小説家の中でもそれだけで食っていける人間はほんの一握りだが、夜半の才能はその一握の天才たちに匹敵するものだ。もちろん学生のうちは学業に支障が出ないようにこちらもサポートすると、ありとあらゆる手を尽くした。しかし、彼女の両親が意見を変えることは最後までなかった。

 結局、夜半のデビューは彼女が高校を卒業し、大学生となるまで保留となったのであった。


「そういうことがあって、初代PFノベル賞の大賞は該当作なしという形に落ち着いた。それから夜半が高校を卒業するまでの間、俺は彼女の学業に差支えがない範囲で彼女のデビューに備えていた」

「へー。大変だったんですねえ」

 月島は音無の話を聞いて、感心したような声をあげる。話を伝え聞いただけなのである程度仕方ないが、随分と軽い反応だ。

「で、その夜半さんはちゃんとデビューできたんですか?」

 月島は期待を込めた目で見てくる。確かに、ここまでの話の流れで言えば、お預けを食らっていた分夜半のデビューはさぞ華々しいものだったのだろうと想像できるのだろう。

 だが、音無は当時のことを思い出し、必然的に重い口調になる。

「夜半はデビューできなかった。というより、しなかった。高校を卒業した日、彼女は電話で俺に作家になるのをあきらめるとだけ告げてきたんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る