週明けの月曜日は、いつも以上に電車が混んでいた。早朝の満員電車に揺られながら、音無おとなしは大きく口を空けて欠伸をする。

 十年以上前に新卒で山中出版に入社して以来、音無はずっと小説の編集部に居続けていた。はじめはその激務っぷりに何度も転職を考えていたが、結局機会を逃し続けてずるずると居座っているうちに気づけば三十代も後半に突入していた。時の流れは速いものである。

 電車が駅に到着し、扉にもたれかかっていた音無は道を空けるために一旦開いた扉の外に出る。雪崩が崩れるように降車していく人の多くは、ダークスーツに身を包んだ恰幅のいいサラリーマンだ。年齢は音無とそう変わらないだろうが、恐らく勤め先でも管理職以上の地位にあるものも多いだろう。目の前を通り過ぎていく身なりの良い恰好の彼らを眺めながら、音無は思わずため息をつく。

 しかし、隣の芝を羨んだところでいいことがあるわけでもない。音無はつい浮かんでしまったネガティブな感情を振り払って電車に乗りなおす。一旦は空いた電車も、新たな乗車客で再び満たされる。

 いい加減会社の近くに家を買うか、車通勤に変えさえすれば毎朝の通勤からも解放されることだろう。そう考えると同時に、音無はそれができない自分の経済力を呪ってしまう。そうしてまた気分が沈んでしまう。

 いつのまにかまた気分が落ち込んでしまっていることに気づく、音無は額に手を当てて小さく息を吐いた。ついつい暗くなってしまいがちなのには、心当たりがあった。

(もう今年で八回目になるのか……)

 近々本格的に選考が始まるPFノベル大賞のことを考えながら、音無はまた時の流れの速さをしみじみと感じた。


 駅から十分ほど歩いて会社にたどり着くと、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。

 「あ、音無先輩!おはようございます!」

 静かなビルのフロントに響き渡るその声に振り返ってみると、一人の若い女性が駆け寄ってきた。今年の春、山中出版に入社したばかりの新入社員の月島つきしまだ。

 「おう、おはよう。朝から元気な奴だな」

 音無がけだるげに言うと、月島は再び溌剌とした声でありがとうございますと言って、深々と頭を下げる。恐らく体育会系の部活か何かの出身なのだろう。新人らしい元気さは悪くはないが、朝一番に会うには面倒な奴だ。

 「というか前から思ってましたけど、音無さん朝早いですよね?編集部の人皆夜型なのに」

 「そうだな……まあ、それなりに年食ってるってのはあるかもな」

 「またまた!音無さんまだ四十代じゃないですか!」

 「……まだ三十八だ」

 ため息とともにそう答えると、月島は謝罪するでもなくそうでしたっけ?と頓珍漢な顔をしている。体力はあるが、若干どころではない世間知らずらしい。

 「でも、確かにうちの編集部若い人多いですもんね!音無さんくらいの年の人あんまり見ませんし!」

 月島は無邪気にそう言ってくるが、それは音無と同年代の人間は皆転職したか出世して管理職になったからである。そのため、今なお現場に残っている音無はどちらかというと出世レースに負けた人間なのだ。

 だがそんなことを入社してまだ数ヶ月の彼女に話してもどうにもならないだろう。音無は、確かにそうだな、と適当に返しておく。

 「あ、そう言えばそろそろPFノベル大賞の選考始まりますよね?私新人賞の選考とか初めてなんで、すごいワクワクします!」

 なんとなしに月島の話を聞いていると、またしてもあまり聞きたくない話が耳に飛び込んでくる。本人に悪気はないのはわかっているが、つくづく間の悪いやつだなと音無は内心で悪態をつく。

 「……そうだな。まあ、今年こそは大賞が出るといいんだがな」

 「え?大賞って毎年出るもんじゃないんですか?」

 月島は意外そうに目を丸くして言う。音無のような業界の人間からすれば最早常識だが、月島のようなスポーツの世界で生きてきた人間にとって、一番が決まらないというのは珍しいことなのかもしれない。

 「ああ、金賞や銀賞は毎年出るけど、大賞はその年の作品の水準によっては該当なしってことがあるからな。音楽や美術の世界とかだとよくある話だぞ」

 「そうなんですか?今年こそはって、一体いつから出てないんですか?」

 月島の疑問に、音無は一瞬どう答えるべきか迷ってしまう。が、正直に答えて深堀されるのも面倒だ。そのため、わかりやすく答えてやることにした。

 「……PFノベル大賞で大賞作品が刊行されたことは一度もないな」

 「え、一度も!?」

 月島の言葉に音無が頷くと、厳しい世界ですね――と他人事のように呟く。そんなやり取りをしている間にエレベーターがたどり着き、二人してそれに乗り込む。


 音無の言葉に決して偽りはない。今年で八回目を迎えるPFノベル大賞の歴史において、大賞を受賞した作品が世に出たことは一度もない。

 あくまで、世に出たことは。

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