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山中出版のビルは都内のビジネス街の一角に存在している。近年再開発が進んだ影響で比較的新しい綺麗なビルが立ち並ぶ中、年季の入ったこのビルは遠めに見てもよく目立つ。老舗と言ってしまえば聞こえはいいが、実態はただの築数十年経つおんぼろ社屋だ。
しかし、外見はまだマシな方で、内部の状態はもっとひどい。何年も改修がされていない古びた内装はともかくとして、問題なのはその散らかり具合だ。それぞれの机の上には誰のものかわからない書類や書籍が山のように積まれ、壁際に設置された本棚はもはや役割を果たしていない。DX化の重要性がうたわれる昨今、毎月のように通信系の事業者やコンサルタントが営業に社内を訪れるが、あまりに煩雑とした部屋のありように皆等しく白旗を上げて帰っていくのが通例だ。電子に移行すれば確実にオフィス内は整頓できるということくらいは社員は皆気づいているが、この書籍の山をすべてデータにうつしきるのに何年かかるか。そう考えると、誰も電子化だなんて面倒なことは言い出さないでいる。
混沌としたオフィスの中で、
土曜日のオフィスは人が少ないのが常なのだが、なんと今日に限っては出社してきたのは矢車一人だった。なんとなく疎外感を覚えてしまうが、これはこれで集中して仕事ができるので悪くはない。現に仕事を始めて三時間程度で予定していたタスクを全て終わらせることができた。
今日は午前中で上がることができそうだ。頭の中で昼食の算段をつけながら、最後に追加で来ていたメールのチェックに取り掛かる。
担当作家からの打ち合わせの相談や取材の依頼などのメールに目を通し、一つ一つ処理していくと、最後に一通だけ重要とマークがついたメールが残っていた。件名を確認して、と思わずおっと声を上げる。
差出人は
PFノベル賞とは、山中出版が七年前から年一回行っている小説の新人賞である。大手出版社のそれと比べると賞金は決して多くなく規模もそれなりの賞だが、受賞作品は必ず出版されるということから、毎年千を超える応募作品が寄せられる。
だが、数十名しかいない編集部の社員で応募された作品すべてを選考するのは不可能だ。そのため、PFノベル賞では他の多くの選考と同様、一次選考は社外のライターや作家に外注している。
樋口は一次選考を委託している作家の一人だ。学生のころはアルバイトとして山中出版で働いていたが、在学中に他社の新人賞から商業デビューを果たして、今は作家として生計を立てている。だが、まだ駆け出しの作家として仕事も少ないだろうということで、今回矢車から直々に一次選考の下読みを委託していた。
樋口から送られてきたメールには選考結果をまとめたPDFが添付されていた。事務仕事の経験が一切ない作家だと通過作品をそのままメールの本文に書いていることもあるが、さすがにバイトとはいえ出版社で勤務していた樋口はそのあたりしっかりしている。ホッと一息ついて、送られてきたファイルの中身を開く。
しかし、開かれたファイルを確認して、矢車は思わず目をひそめてしまった。
PDF化された資料には、下読みとして依頼した作品と、どの作品を通過させるかが表のようになっている。委託された側が通過させてもよいと判断した作品には丸がついているという、極めて単純で分かりやすい資料だ。
にもかかわらず、矢車は一瞬誤植を疑ってしまった。
樋口から送られてきた資料には、彼に選考を委託した十作品すべてに〇がついていた。
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