ラムネ弾ける花火
たぴ岡
ラムネ弾ける花火
ラムネが弾ける。抑えきれずにしゅわしゅわと中身が溢れ出て、瓶を伝って白い木製のベンチにかかる。
「あーあ、やっちゃったね」
隣で笑う浴衣の彼女は、高校の友人だ。いつもは下ろしている長い髪をお団子結びにして、真っ赤な花飾りをつけている。学校では見えなかった美しい耳や艶っぽいうなじが、彼女のことをいっそう強く意識させる。
「うるさいなぁ」
それに比べて私は、色気もかわいさも何もない。ただの白い半袖にジーパン、ただそれだけ。短い髪も適当にとかしただけだし、お洒落に興味なんて少しもないし。たぶんクラスで私だけ浮いている原因は、これもあるんだと思う。
「うるさくないよ、私も一緒に飲むんだからさ。ね、
「……わかってるけど」
いつもこうだ。私ばっかり心を揺らされて、だけど彼女はそれを見て遊んでいるだけ。この関係は初めて会ったあの時から変わっていない気がする。私が高校に転校してきたあの時から。
「
ラムネでベタベタになった手をウェットティッシュで拭きながら聞いた。母が勝手にバッグに入れていたらしいが、本当に役に立つとは思わなかった。
んー、と考える仕草をしている夏姫ちゃんだが、本当は答えを用意してあるんだと思う。計算高い彼女のことだ、今日はとことん私で遊ぶつもりなのだろう。
「……涼香ちゃんと一緒に来たかったから、かな?」
「何それ」
顔に熱が集まるのがわかる。嘘かもしれないのに舞い上がって、本心ではないかもしれないのに喜んで。いつも私だけだ。恥ずかしい。馬鹿らしい。本当に。
ラムネを持って夏姫ちゃんの隣に座る。右側に感じる彼女の雰囲気に圧倒されないように、目の前の屋台を見つめた。あ、あの飴美味しそうだな、なんて気を紛らわせる。けど結局「夏姫ちゃんはどの味が好きかな」とか、「ペロペロキャンディ食べてたらかわいいだろうな」とか、そんなことばっかり考えてしまっている。
「ねぇ、涼香ちゃん」
夏姫ちゃんの方に注意を向ける。顔を向けて目が合ったりするのは嫌だから、視線は彼女の周りの空気に漂わせる。
「ん、どしたの」
「涼香ちゃんはさ、どうして私の誘いを受けてくれたの?」
夏姫ちゃんともっとたくさんの時間を一緒に過ごしたかったから。それが一番の大きな理由だけど、本人に言えるような勇気も度胸もなければ、気持ちを伝える気なんてなかった。
まあたぶん、彼女は私のこんな心も、その澄んだ瞳で全部見透かしているのだろうけど。
「夏姫ちゃんが……誘ってくれたからだよ。ただそれだけ」
溢れ出たせいでもう半分しか残っていないラムネを、くいと傾けて一口飲む。炭酸がぶわあっと口内に広がって弾ける。祭りの味だ。今になって今年も夏になったということを実感する。
「ふぅん。そう……」
櫓を囲んで盆踊りをしていた小学生たちが法被の大人からお菓子を受け取って、四方に散っていく。もうそろそろ全プログラムが終わって、祭りの最後を彩る花火が始まる。屋台で射的をしていた美人さんも、ポテトを揚げていた屋台の人も、その手を下ろして空に期待の眼差しを向け始めている。
この地域に引っ越してきて初めての夏の光景に、元から浮ついていた気持ちが宙に飛び上がる思いだ。これから夏の特大イベントがラストスパートへ差し掛かるのかと思うと、興奮せずにはいられない。しかもそれを夏姫ちゃんと共に体感できるのだ。嬉しくない訳がない。
しかしそれを表情には出さないように気を付ける。この感情を表に出せば、それは私の負けを意味する気がして。まあ、顔に出ていようが出ていまいが、夏姫ちゃんはもう気付いているのだろうけど。
隣の彼女はすっと立ち上がる。辺りがざわざわと騒がしくなり始める。私の目の前に立つ。キーンと耳障りな音が鳴る。左手を差し伸べている。アナウンスが響く。私はその手をとる。
『それでは祭りのクライマックスとなる花火を始めます。今年はなんと二千発。飛び散る火花にお気を付けながらご覧下さい』
導火線に火がついた音を背中に聞きながら、彼女に手を引かれて走り出す。
「夏姫ちゃん、どこに……」
浴衣を着ている彼女より動きやすいはずなのに、私は夏姫ちゃんに着いていくので精一杯だ。この右手にある小さな温度は、夢なのだろうか。カランカランと目の前で鳴る足音は、ふわふわと揺れる可憐な白の浴衣は、本当に現実なのだろうか。
後ろから色とりどりの光に照らされる。直後、ドン、と内臓に響く重低音が届いてくる。振り向いた夏姫ちゃんは、今までに見たことのない心の底からの笑みを浮かべていて。
ピタと立ち止まったその場所は、夏祭り会場の真裏にある小さな山の上。
「ここ、特等席なの。一番花火が綺麗に見える、特別な場所」
手は繋いだままで空を見上げる。
「すごい、いい場所だね」
「うん、でしょ」
このままこの時間がずっと続けばいいのに、なんてドラマのワンシーンみたいなことを考える。でもそんなに全てが上手くいくとは思っていない。花火はあと十分もすれば終わるだろうし、あと数時間で今日も終わる。それに――。
「涼香ちゃん、ごめんね」
風鈴みたいなその声は、悲しみに濡れているように感じた。けれど夏姫ちゃんの横顔は花火の光が届かなくて、表情が見えない。何を思っているのだろう。
「どうして?」
「だって……」
私は彼女から目を離して、花火を見つめた。
「――花火、綺麗だね」
夏姫ちゃんが言いたいことはたぶん、私にも伝わっている。これが最初で最後のふたりで楽しむ夏祭り、ということだろう。来年は来られない。再来年だってその次だって、もうこの夏は来ない。夏姫ちゃんはきっとそれを言わんとしているんだ。
「うん。とっても、きれい」
散ってゆく光の花びらを見ながら、私は次の夏をどう過ごすのか考えた。彼女がいなくなれば私はどうなってしまうのだろう。
わかっている。そんなに遠い場所に行く訳ではない。たぶんちゃんとバイトやら何やらをしたら手の届く範囲だ。大丈夫、また会える。
「また夏祭り来ようね」
夏姫ちゃんは不思議そうにこちらを見ている。さっきの「ごめんね」の意味を理解できていないと勘違いされていそうだ。
「また、花火見ようね」
彼女は俯いた。
ドン、パラパラ。ヒュルル、しゅわしゅわ。
夏の音が耳をくすぐる。
「どれだけ遠くに行っても、私は夏姫ちゃんのすぐ傍にいるから」
隣から聞こえた「うん」という二文字は、鮮やかな光と一緒に落ちていった。
この気持ちは今日の日と共にここに置いて行こう。思い出すことはないように、恋しくなることはないように。私は明日から夏姫ちゃんのいない夏を始める。
ラムネ弾ける花火 たぴ岡 @milk_tea_oka
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