最終話

 『秋の収穫祭』会場は、スーパー地下の食品売り場の一角に設置されている。

 それ目当ての来店客は、開店と同時に地下に降りるエスカレーターに急ぐ。


 僕たちも、足早にエスカレーターで地下に降りる。

 降り口には店員さんと、学生たちが六人ばかり整列していた。

 

「いらっしゃいませ!」

 元気に挨拶をする学生たちの中に、大沢さんがいた。

 制服のグレーのジャンパースカートの上に、ベージュ色のエプロンを付けている。

 後ろ髪をバレッタで留めていて、少し大人びて見えた。

 久住さんは、大沢さんの背後に回って声を掛ける。


「おはよう! みんなで来たよ!」

「ありがとう。整理券は、うちの高校のブースで配布してるから!」

 

 挨拶し合う二人を顧みて――心が揺れた。

 大沢さんに惹かれていた月城は、もういない……。

 

「ねえ。ブースに、もう並んでる人がいるよ」

 村崎さんの指す方を見ると、『広崎農業高校』の看板があるブースの下に、五人が並んでいた。

 二人の孫を連れた祖母らしき人と、若いカップルだ。

 冷蔵ケースの商品を見ているだけなので、蕎麦打ち体験の整理券目当てだろう。


「女子は整理券を貰って来いよ。オレらは十三時の回にする」

 上野は素早く判断し、久住さんたちを促した。

 チラシには、『整理券は開始一時間前に配布』と記されていた。

 六人同時に体験するのは無理そうなので、女子に譲るのは異議なしだ。


「じゃあ、僕たちは別のブースで買い物してるから」

「うん……」


 久住さんは頷き、他の二人と整理券目当ての行列に向かう。

 三人を見送った後――お客さんに挨拶する大沢さんの背を見て、足が強張った。

 

 大沢さんは、僕たちを見ても怪訝な顔はしなかった。

 月城のことを覚えていたなら、訊ねてくる筈だ。

「月城くん、来れなかったの?」と、訊ねるに決まってる。


 方丈先輩は、彼女の記憶をも変えたんだろう。

 僕が月城の立場なら……やはり、そう望むだろう。

 それでも……友人として見れば、それは惨い。

 好きだった人を忘れさせられるなんて……嫌だ。



「……パンを買いに行くぞ」

 一戸が、少し強めに背を押した。


「まったく……三日交代で、ジャムパンを食べるのは、けっこうきついな」

「四人なら、もう少し楽だったな……」


 上野は――寂しそうに苦笑いした。

 僕は二人を見ずに頷き、先を歩いて左右のブースを見る。

 左には鉢植えの花が並び、右にはジャガイモやカボチャが山積みされている。


 人の隙間を進んだつもりだったけど――

 突然、目の前が塞がり、額を軽くぶつけてしまった。

 蕎麦と紙製の匂いが。顔を包む。


 慌てて、右に移動して謝った

「すみません、よそ見をして。お怪我は無かったですかっ?」




「……はい……」


 答えが返って来た。

 顔を上げると――エプロン姿の長身の彼が、分厚い紙袋を抱えていた。



「ああああああああああああっ!」

「… … … … ……」


 上野の絶叫が響き、一戸は意味不明な単語を呟いている。


 頭の中が白く染まる。

 伸ばした手が彼の肘に触れた瞬間、まばゆい光に押し出された。

 そこには、『彼』の記憶の海があった――



  *


  *

  *

  


(……眠い……)


 瞼を閉じ、流れに心を委ねる。

 水は柔らかく、少し冷たく、清流を泳ぐ鮎のような気持ちになる。


 すでに感覚は無い。

 肢体が残っているのかも分からない。

 けれど、このまま永遠に眠りたい。


 みんなは現世に帰った。

 思い残すことは無い。

 父は、彼女の写真を見て喜んでくれただろうか。


 彼女には幸せになって欲しい……


 ……

 ……???



 (この光は……!)


 瞼の裏が、鮮やかな金色こんじきに塗れる。

 それに包み込まれ、ゆるりと落下が始まった。

 金色こんじきは意識に沁み込み、まどろみを断つ。


 斜め上には――見知った男が漂っていた。

 男の左腕と下半身は無く、白い肌は半透明だ。

 

 男は微笑み、ささやいた。


「……帰れ……水葉月みずはづき……友の許に……」


 差し伸べる右腕は、少しずつ流れに溶けて消えていく。


「それは、神名月かみなづきうちきだ。姫君の癒しと、神名月かみなづきの慈悲が込められている。其方そなたを、現世に運んでくれるだろう……」

 

神鞍月かぐらづきさま……!」


其方そなたたばかり、酷い仕打ちをしたこと……その責は受ける。達者で暮らせ……」



 力尽きたように、神鞍月かぐらづきの身体は流れに溶けた。


 だが、耳に温かな声が轟く。


 

 ――神巫人ミコビト

 ――我は真心に応える

 ――我は功徳に応える

 

 ――現世うつしよにて生きよ

 ――罪人つみびとの願いを叶えよ

 ――罪人つみびとの業は軽くならん


 

 気高い御方の御手に、身を押し出される。

 亜夜月の御方の涼やかな笑みも視える。


 女人たちは罪人つみびとの魂を抱き、流れの向こうに去った。


 下には、輝く世界が見える。

 

 星が瞬き、

 雲が流れ、

 鳥が飛び、

 陽が昇り、

 月が沈む。


 五色の虚空に招かれ、

 黄泉の流れを下り、

 大地に抱き止められた――。

 


  *

  *


  *




「……ひでえ……戻って来てたなら、さっさと連絡しやがれ!」


 上野は座り込み、号泣した。

 彼も、同じ情景を視たのだろう。

 兄が友を救う夢を。

 大いなる慈悲深き御方と、亜夜月さまの姿を。

 兄が最後に救われたことを知り、涙腺が吹き飛んだようだ。

 

 一戸も目を覆い、上野に寄り掛かって泣いている。

「良かったな、良かったな……」

 

 先達の魂は救われ、友は戻ってきた。

 これ以上は望むべくもない結末が目の前に在る。


 僕も、月城に抱き付いて泣いた。

 彼の内から。せせらぎのようなきらめきを感じる。


 あの時、神鞍月かぐらづきさまに掛けたうちき――。

 それは、こうした形で戻って来た。

 朽ちかけた月城の身と魂をつくろい、癒してくれた。

 

 僕たちの闘いは、本当に終わったんだ……



「……どうしたの?」


 大沢さんの困惑した声が聞こえた。

 振り向いて説明しようとしたけど、声が出ない。


古河ふるかわくん……お知り合いだったの?」

「……え?」


 始めて聞く名字に、思わず上を向く。

 彼は、決まり悪そうに言った。


「大沢さんと同じクラスの古河ふるかわ きょうです……。祖父母と一緒に暮らしています……」


「ふざけんなああああ!」

 上野は飛び上がり、彼の首に腕を回した。

「何だっていい……くそっ、元気なら何だっていいってばよ! いつから通学してたとか、そんなこともな! とにかく、お前にもジャムパンを食って貰うからな!」


「……そうだな」

 一戸は目尻を拭い、立ち上がり、古河の持っている厚手の紙袋を指した。

「それ……蕎麦粉か?」


「ああ……蕎麦打ちは得意なんだ」

 古河は、恥ずかしそうに笑った。

 

 ――約束は果たせる。

 みんなで蕎麦打ちをする約束が。

 蓬莱さんは居ないけど、彼女の心は僕たちの中に在る。

 古河の命となって、共に在る。




「『大いなる慈悲深き御方』と月帝つきみかどさまに、この言葉を捧げ給う。我ら四将、片時も『義』の心を忘れず、月帝つきみかどさまと故国と民にお仕えすることを誓い給う。ゆえに我ら四将の『絆』は、時の果つるまで続くであろう。この言葉を以って、我ら四将の『不滅の契り』と為す!」




 遠い日の、雨月うげつの言葉が背筋を駆け抜けた。

 僕たちの『絆』は不滅だった。


 

 「君たち……大丈夫か?」

 

 声を掛けてきたのは、引率の先生のようだ。

 グレーヘアの男性で、通路を占拠した僕たちを引き気味に眺めている。

 

「友達なんです……」

 古河が言った。

「子どもの頃に出会って……別れて……やっと巡り会えたんです……」



「申し訳ありません、御迷惑を掛けました」

 一戸は、古河から蕎麦粉の袋を奪い取った。

「ブースに持っていけば良いんだな? 行こう……」


「ああ……行こう」

 古河も目を拭う。


 上野も、人目を憚らずに目を擦り続けている。

 僕も、涙が止まらない。


 ブースでは、久住さんが目を潤ませて僕たちを見ている。


 僕たちは、顔を上げた。

 頬を降らしながら、過去と未来に想いを馳せる。


 遠い故郷を忘れない。

 あの地で生きた人々を忘れない。

 あの地で生きる人々を忘れない。

 

 そして、僕たちはこの世で生きていく。

 月の向こうの赤い惑星で、巡り合う日のために。


 ほっちゃれ先輩も、方丈さまも、ミゾレもレオも、そこに居るだろう。

 チロも白炎も、舟曳ふなびき先生も。

 父さんも母さんも、久住さんも。

 

 不変の絆を信じ、未来へ向かおう。


 

 仲間と共に。


 

  

  ―― 完 ――

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