第200話

 僕たちは、マンションを出て歩き出す。

 チラリと――蓬莱さんが住んていた古いマンションに目を留めた。

 もう、悪霊が現れることも無い。

 

 そこから出て来る彼女を何十回も見た。

 その事実は、時の彼方に押しやられた。


 けれど、その想い出は手放さない。

 今も、瞼の裏側で温もりを放っている。

 慎ましくも幸せそうに暮らしていた少女を忘れない。


 

 ――いつしか足を止めていたようだ。

 久住さんが真正面に立ち、こちらを見ていた。

 その眼差しは、「あたしも忘れないよ」と語っている。


 彼女も恐ろしい経験をしたのに、恨みがましいことは言わない。


「黄泉姫さんは、ちょっと怖かったけど優しかった。何度も庇ってくれた」


 そんな彼女を――大切にしたい。

 ずっと守ってあげたい。



銀杏いちょうの葉が赤くなったね」

 久住さんは街路樹を指した。

「去年の初雪の朝だったよね。この木にも雪が積もって、黄色い葉と白い雪が絵に描いたように綺麗だった」


「そんなこともあったね……」


 木の前を通りつつ、その情景を掘り起こす。

 黄色い葉を抱いた枝と根本を雪が覆い、思わず見惚れてしまった。

 遅刻しそうだったので写真を撮れなかったけど、あの艶やかな色彩は記憶の隅で輝いている。

 

 そう――

 すべての輝きは、褪せずに残る。



 やがて、待ち合わせ場所のバス停が見えてきた。

 上野と一戸が、その脇に立っている。

 二人とも厚手のパーカーに身を包み、少し背を丸めていた。



 僕たちは挨拶をかわし、合流する。

 目的のスーパーまでは、歩いて十分程度だ。


「で、第一東高への編入は止めたのかい?」

「ああ。あの事件以来、祖母がめっきり強くなった」


 僕の質問に、一戸はサッパリと答えた。

 あのニセ者の雨月うげつが現れて以降、お祖母さんが覚醒したらしい。

 

 ある日の夕食時、剣道のことでお祖父さんの説教が始まった。

 すると、お祖母さんはプロ仕様のケーキナイフを構え、「黙らないと、自分の眼を刺す」と脅したらしい。

 絶句したお祖父さんは、その目に本気を見たようだ。

 以来、一戸への小言は激変したとのこと。


 お祖父さんも、元々は気が小さかったんだろう。

 その裏返しで、他人を威嚇して従わせようとしていたのかも知れない。

 ともかく、一戸はこれからも桜南高校の生徒であり続ける。


 

「それで、犬のトライアルの件は?」

「高齢のチワワを見つけた。飼い主も高齢で、保護センターに持ち込んだらしい」


 一戸の問いに、上野はスマホを開いた。

 ケージの中に座る白いチワワの写真を見せてくれる。


「午後に、両親が迎えに行く。正式に引き取って、幸せな余生を過ごさせたい」

「そっか……」

「いつか虹の橋を渡ったら、お前のお父さんの牧場に行けるだろうな」


「あたしも、早く保護猫ちゃんを探そう。幸せにしてあげなくちゃ!」

 久住さんは目尻を拭った。

 ミゾレとレオを思い出したのだろう。


 この世に生を受けた存在ものは、世界の一部として命を全うする務めがある。

 出来得る範囲で、幸せを分け合いたい。

 

 秋空を見上げ、秋風を吸い、誓いを立てた。

 前方の落葉がクルクルと舞い、レンガ倉庫の奥に飛んで行った。




 スーパーに付くと、高校の『収穫祭』目当ての客が五十人ほど並んでいた。

 傍らの電話ボックスの前に、村崎綾音さんと津田さんが立っている。


「おはよう! ふたりとも早いね!」

 久住さんは駆け寄った。

 村崎さんも津田さんも手を振り、三人は笑顔を交わす。


 待っていた二人は、駅前発のバスで此処に来た。

 津田さんは別の高校に通っているが、『村崎さんとは、駅近の中学校に通っていた元クラスメイト』らしい。

 久住さんのスマホには、スリ―ショットの写真が何枚もある。


 事件後――登校した久住さんは、村崎さんとは直ぐに馴染んだ。

 クラスメイトだし、蓬莱さんの人格と大きな開きは無い。

 御両親は資産家だが、高慢さは微塵も見受けられない。

 彼女が平穏に暮らしているのは……嬉しい。


 寂しさはあるけれど、元々は無関係な家族だ。

 『玉花の姫君』に瓜二つだっただけの理由で、闘いに巻き込まれたのだろうから。



「おーい、ちゃんと並ぼうぜ」


 上野が手を振り、みんなで行列に加わる。

 新聞チラシを開き、販売物を確認する。


「……さて、北農高校が売るあんパンとジャムパンだが」

「ひとり二個までか。ジャムパンは買わないとな」

「うん、約束したからね」


 黄泉姫との約束を、僕たちは守り続けている。

 あれ以来、毎日交代でジャムパンを食べている。

 トーストにジャムを塗ることもある。

 託された想いを、故郷のことを、決して忘れないために。



 そう……

 現世に戻れなかった月城……

 僕たちの無二の友のためにも、僕たちは生きる。

 生き抜いて、いつか彼を探しに行く。

 僕たちに、出来ないことなど無い。




「広崎農高の蕎麦打ち体験は、十時と十三時だな。一回五百円で、各部十名までか」

「蕎麦は、僕の家で茹でて食べよう」

「何人分の蕎麦を打てるのかな」


 小声で話し合っていると、行列の戦闘が動いた。

 店員さんが開店準備を始めたようだ。

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