結びの章 神無月のころ

第199話

 十月上旬――。


 秋風が窓を叩く。

 早ければ、下旬には初雪が舞う。


 僕――神無代かみむしろ和樹は、部屋の隅に置かれた縦長のハロゲンヒーターを眺めた。

 そろそろ必要になる時期だ。


 制服も冬服に変わり、そろそろパーカーが必要になってきた。

 

「これで充分だよね」


 白のスウェットに袖を通し、壁に描けた灰色のパーカーを観た。

 二年前に買って貰った物で、多少の毛羽立ちはあるが、通学と外出には問題ない。

 それに、来月には冬用コートに変わる。

 そちらも、三年は保たせたい。


 岸松おじさんの援助には甘えていられない。

 闘いは終わったのだ。

 そろそろ、バイト探しを始めようと思う。

 進学資金には手を付けず、自分の小遣いだけでも稼ぐつもりだ。

 



「……秋は寂しいね」


 呟き、机の棚に飾った三枚の写真立て中の鉛筆画を見る。

 右と中央の絵は、上野のお父さんが模写した絵だ。


 写真を残そうと、みんなで必死に模写し、プリントを繰り返した。

 けれど、それらの殆どが消えた。

 残ったのは、上野がお父さんに模写して貰った二枚だけ。


 それらを見ながら思う。


 

 あの日――

 最後の闘いの後に現世に戻った翌日。


 大きな変化が起きていた。

 思い出の写真は失われ――

 月城はるかの姿は、どこにも無かった。

 一戸も上野も同様で――スマホ越しに号泣した。


 方丈先輩の写真は、二学期以降のものは消えていた。

 友人だった吉崎文生ふみさんに訊ねると、ケロっとした顔で言った。

「ああ、札幌に転校したんだっけ。人づてに聞いたから、良く知らないけど」



 ……そして、縫製さんが座っていた席には、村崎綾音さんが座っている。

 彼女には何の記憶も無いらしく、ご両親と駅近のマンションで暮らしている。

 月城が住んでいた、あの部屋だ。


 彼女の祖母の村崎七枝さんは、変わらず向かいのマンションで一人暮らしを続けている。

 実は――岸松おじさんが、たまにそこを訪れている。

 おじさんも自身も驚いていたが、七枝さん宅には、おじさん用の食器があるとか。

 なぜこうなったか分からないが、おじさんも満更では無さそうだ。

 七枝さんは、娘さんたちから「一緒に住みましょう」と誘われているそうだが、固辞しているとのこと。




「……まだ、変な感じが抜けないよ」


 右端の写真立てに触れる。

 春に校門近くで、方丈先輩に撮って貰った写真の模写だ。


 僕と上野と一戸と――少し離れて、仏頂面の月城が立っている。

 上野のお父さんは、デフォルメせずに緻密に模写をしてくれていた。

 

 僕たちが帰還した翌日――

 模写画は上野の部屋の机にあり、それを縮小コピーした物を飾っている。

 大切な仲間が揃った唯一の絵だ。

 大切な仲間がいた証だ。


 そして中央の写真は、方丈先輩・蓬莱さん・黄泉千佳ヨミチカ・ミゾレのロリータドレスのパーティー写真の模写画だ。

 この写真が残っていて、本当に嬉しい。

 彼女たちは、もう現世にはいない。


 先輩は大地の精霊と一体化し、蓬莱さん本体の姫君も花の国の大地となった。

 黄泉千佳ヨミチカは、その大地の巫女としてい奮闘しているだろう

 ミゾレは、方丈邸の庭で――自らの意思で、道を選んだ。



 実は、あの夜から三日後。

 方丈邸を見に行った真央まひろさんは、規制線の張られた跡地の前で、三人の小学生を見つけた。

 小学生たちは、黒と三毛線二匹の猫の遺骸を発見して「埋めてあげよう」と相談していた。

 真央まひろさんは急いで笙慶さんを呼び、五人は規制線の中に入り、猫たちを埋葬して、笙慶さんのお経でお見送りした。

 猫たちには傷も無く、眠っているようだったとか。

 小学生たちが野花を摘んで、お墓に備えてくれたそうだ。


 

 それでいい――

 ミゾレとレオは、仲良く何処かに旅立った。


 

 その話を聞いた翌日。

 僕たちは、下校後に二匹のお墓を訪れた。

 二輪の真紅のバラを供え、二匹の旅の幸運を祈った。

 久住さんは泣きながら、『神曲』の文庫本の『パオロとフランチェスカ』の一節を朗読してくれた。


 先週には、彼女は「保護猫を迎えようと思う」と言った。

 動物保護センターのHPを見て、検討しているそうだ。


 そう――彼女も、あの闘いの記憶を失っていない。

 母さんと彼女、岸松おじさんと真央まひろさんと笙慶さん。

 僕と上野と一戸。


 あの日、あの時。

 方丈邸前に集っていた者だけが、闘いの軌跡を覚えている。


 僕たちの心は傷付いているけれど、助けてくれる人たちがいる。

 だから、地を踏みしめて生きていく。




 そして最後の――写真立ての左端の模写画は、机の引き出しにある。

 上野が渡してくれて――そのコピーを、僕だけが飾っている。


 それは、あの『茶室の少女』の姿だ。

 蓬莱天音の記憶の化身だった少女。


 少女は制服姿で正座しており、膝には仔猫が乗っている。

 ミゾレのような模様が無いので、姫君の愛猫の『美名月みなづき』だろう。

 傍らには、クマの雛人形が置いてある。

 背後には、浴衣とロリータドレスが吊り下げられ、少女は僕を真正面から見つめ、幸せそうに微笑んでいる。

 手前には、茶椀と菓子の器もある。


 こんな写真は存在していなかった。

 けれど、彼女の想いが形になったのだろう。

 

 ――蓬莱天音として生きたかった。


 その願いが、僕を包む。

 それは、『神名月かみなづき』の願いでもあった。


 ――玉花さまと共に生きたかった。



 だから、僕は二人の願いを心に仕舞って生きる。

 そして祈る。

 『並びの世』で生きる二人の幸福を。




「かずきぃ~! 母さん、仕事に行くからね!」

「はーい!」


 返事をして、部屋を出て、母を見送る。

 母も、日常を取り戻した。

 いや、そう見せかけているだけかも知れない。


 家の浴室には、異界からの訪問者は――もう無い。

 各自が保管していた醤油さしの『黄泉の水』も無くなった。

 

 必死に醤油さしに湯を詰めた日々を思いつつ、仏間に行く。

 父の遺影に手を合わせ、想像する。

 

 父と先生は、牧場で動物たちの相手をしているのだろう。

 白炎たち馬が駆けまわり、干し草の上ではチロが寝ている。

 

 いつか――月城を探し出して、そこに行こう。

 父さんたちは待っていてくれるだろう――。



 そうだ。

 舟曳ふなびき先生のことだ。


 今も、茶道部顧問の舟曳ふなびき先生は存在する。

 ただし、下の名前の字が変わった。

 

 千の紀元の千紀ゆきのりから、雪だるまの雪と書く雪紀ゆきのりに。

 つまり、『舟曳ふなびき雪紀ゆきのり』さんは実在していた。

 蓬莱天音同様に、月帝さまの霊体が憑依していた訳だ。


 何も知らない信夫しのぶ先生は、さり気にアプローチを続けている。

 ま、結ばれれば目出度めでたいことだ。



「じゃあ、父さん。出掛けるよ。今日は、大沢さんと会えるんだ」


 拝礼し、パーカーを羽織ってバッグを肩に掛けて家を出る。

 今日は、近所のスーパーで複数の農業高校か共同開催する『秋の収穫祭』の日だ。

 土曜日なので、朝から客が並ぶらしい。

 

 ――みんなで蕎麦打ちをする。

 

 その約束は、片時も忘れていない。




「おはよう。ナシロくん」

 

 玄関を出ると、久住さんが立っていた。

 ベージュ色のセーターに、くすみ山吹色のパーカー。

 デニムのアンクル丈のワイドパンツ。

 茶色のベレー。

 スポーティだが、お嬢さま感のあるコーデだ。


「おはよう。……じゃあ、行こうか」

「うん!」


 二人は並んでエレベーターに乗る。

 嵐は去り、日常が戻った。


 だが――失われたものは大きい。

 喪失感を、まだ取り戻せない。


 それでも、未来を見据える。

 生き延びた者の責を噛み締めて。

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