第197話

 男は言われたままに、高い二本の松の木の間を進む。

 砂浜は、いつしか固い土面に変わっている。

 

 松の木は、短くて人と同じぐらいだと教わった。

 だが、林の松の木の高さは、人の十倍はある。

 人よりも、ずっと長く生きているのだろう。


 そこまで考え、男は苦笑した。

 竜神の手のひらに等しい獄に、時間や樹齢の感覚などある筈も無い。


 繰り返し区の返し――

 三千年の間、こうしてお社を参り、贖罪に明け暮れる。

 いや、それが永遠に続いても構わない。

 その方が楽だと思う。


 陽が昇ると同時に、一日の始まりを数える。

 三百六十五日を三千回。

 それが過ぎた後に、どうなるのかは教えてくれなかった。

 

 願えば、永遠の贖罪の日々を与えられるだろうか――

 

 

 半ば上の空で歩いていると、何かを踏み付けて両膝を付いた。

 幸いにも平籠は地面に堕とさずに済み、魚も汚さずに済んだ。


 踏んだのは、細長い松の実だった。

 初めて、多くの実が落ちていることに気付く。


 近衛童子だった頃――

 松の実を投げて、的に当てる遊びをした。

 隣にはエオリオが居て、サリアとマリシャも笑いながら見ていた。

 

 後に、この四人が『八十八紀の近衛府の四将』に選ばれ――


 

 なのに、己の劣等感と父への反発から狂気の嵐に塗れた。

 霊気が暴走し、弱き心を呆気なく呑み込んだ。


 全てを破壊し、小さな箱庭を造り、土偶たちと暮らした。

 土偶たちの心は、主人と同様に歪んでいた。

 それでも満足だった。

 

 なのに――その箱庭を壊そうとする奴らは、殺しても殺しても復活する。

 雨月うげつ如月きさらぎ神名月かみなづきとクソ猫は、執拗に舞い戻って来る。

 妻に迎えた玉花ぎょくかの化身は、ケラケラと自分を嘲笑する。


 なぜ、放って置いてくれない?

 頼むから、現世から出て来るな。

 俺に、如月きさらぎを殺させないでくれ。

 

 放って置いてくれ――

 放って置いてくれ――





 「……あああ……」


 自分の呻き声で、正気を取り戻す。

 平籠を右手で抱え、反対側の手で涙を拭った。



 ――身勝手すぎる

 ――弟たちは、罪人を討伐しようとしただけだ


 ――なぜ、彼らを殺し続けた?

 

 ――お前は、悲しいぐらいに弱い

 

 ――弱いから、怒りを抑えきれなかった

 ――怒りのままに、世を滅ぼした


 ――弱いから、死を恐れた

 

 ――弱いから

 

 ――弱いから……


 

 ――友も、弟たちも勇敢だった


 ――お前は、そこには辿り着けぬ


 ――浅ましいお前には、永久に辿り着けぬ



 





 嘲りの声は、いつしか消えた。

 

 男は、ようやく顔を上げる。

 空の暗さが増している。


 力なく立ち上がり――

 ふと見降ろすと、平籠に松の葉束が落ちていた。

 手のひらに収まるそれを――男は、魚の傍らに添え直した。

 少しは、見映えが良くなった。


 何となく落ち着きを取り戻し、また歩き出す。


 

 すると、また煙が漂って来た。

 やっと、おやしろに近付いたらしい。


 空は暗さを増している。

 天頂に月は見えないから、まだ刻限には達してない。

 

 ――篝火が、おやしろの目印だろう



 男は、煙の出所の篝火を探す。

 そうして歩いていると、景色が開いた。


「……え?」

 

 目の当たりにした光景に目を疑う。

 そこには、民家が在った。

 田舎の村の頭領が住むような家で、傍らには井戸がある。


 壁は土壁で、屋根は茅葺かやぶきだ。

 煙は、屋根の隙間から出ているらしい。



 ――また、『大いなる慈悲深き御方』が先回りしていらっしゃるのか



 男は、あの『御方』の面倒見の良さに辟易しつつ、民家に足を向ける。

 おやしろの場所を教わるためだ。

 

 

 家の出入口には、厚い幕が降ろされている。

 御簾のように捲って、入るのだろう。


 男は左手で捲り上げ、声を掛けようとした。



「……お帰りなさいませ」

 

 中から、応答が在った。

 男は驚愕し、中に踏み込む。


 そこは土間で、二足の草鞋わらじが置いてある。

 左横の板敷きの座間の壁には、小さな祭壇が設えてあり、野花が添えられていた。


 奥の座間には囲炉裏があり、そこに掛かっている鍋には菜を浮かべた汁で満たされている。

 傍らの釜の隙間からも、湯気が上がっている。



「お待ちしておりました……殿との……」

 

 囲炉裏の横に座していた女は、顔を上げた。

 それは紛れなく――激高と絶望の中で、我が手で命を奪った女。

 

 亜夜月あやづきの名を与えられた、最愛の女に他ならなかった。

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