第181話


「良い子だ……」


 伊弉冉神古門イザナミノミコトは両の足を交差させて座し、宵の王を抱き締めた。


「我は、我の娘を抱くことが出来なかった。宵の娘よ……我と共に参れ。新たな世のために」


 だが宵の王の『力の化身』は、その言葉をさぬようにまなこを見開き、ささやいた。


此方こちが消える……消えるのか……?」

「消えぬ。我と一つになり、星の辰界しんかいに発とう」


「そこは、良きところか?」

「我らは新たな星となり、八咫やたの夜空を照らそう。誰も我らを憎まぬ。我らの輝きは夜道を照らし、その下で人は眠り、夢に更ける」


「……少し怖い……」


 宵の王はピクリと震え、長い髪を逆立てた。

 扇のように広がる髪は、頭上に浮く神巫人ミコビトたちを貫こうとする。


 だが、アラーシュが巡らせていた球状の守護決壊は、その攻撃を畳み込むように防いだ。

 二柱は、すでに守護結解の内に封ぜられていたのである。

 それも、伊弉冉神古門イザナミノミコトが宵の王を抱き、その力を削いでいたからこそだ。

 アラーシュの力だけでは、二柱を封ずるのは難題であっただろう。



「お姫さま、大丈夫だよ!」


 天馬の背に座るフランチェスカは、伊弉冉神古門イザナミノミコトの右肩の後ろに静止した。


「とても楽しかった。お姫さまと手毬で遊んで、お昼寝して、お魚を食べて。あの時は、お姫さまが苦しんでいたことを知らなくて……ごめんなさい。でも、もう一度だけ、あの頃のように遊びたい」



「……もういちど……?」


 宵の王は――瞼を下ろす。

 その裏に、なつかしい声を感じた。

 それは、仔猫のか細い鳴き声だ。



「……美名月みなづき……?」


 呼ぶと、白い仔猫は走り寄ってきた。

 五色の糸を巻いて作った手毬の前に来ると、それを前足で突いて戯れる。


「お背中せなの毛も、すっかり生え揃いましたね」

「治って良かったこと」


 女房たちは、仔猫の無邪気な様子に笑みを零す。

 親からはぐれた痩せた仔猫を庭で保護したら、皮膚の病で背中が爛れていた。

 さすっているうちに、七日も経たずに毛が生え始め、元気に走れるようになった。


 そして、仔猫の突いている手毬は……


「中将さまからの贈り物だった……」


 思い出し、振り向くと――御簾の向こうのひさしに座っている彼が見えた。

 隣国の誉れ高き『近衛府の四将』の一人。

 闊達で、どこか寂し気で……

 

 その彼が、一歳になる前に母君を亡くしたと知ったのは、半月前の夕暮れのこと。

 女房の手引きで、御簾越しに話をした時のこと。

 

 そして今――亡き母君のうちきの袖をほどき、その糸で編んだ手毬を贈ってくれた。

 美名月みなづきが喜ぶでしょうと、手ずから渡してくれた。

 最上級の絹生地に勝る贈り物だった。



 


「はーい、シュークリームだよ! 食べて!」


 千佳ちゃんがシュークリームを盛った皿を、テーブルの真ん中に置いた。


「カスタード・チョコ・イチゴ。好きなのを食べて! ミゾレにはサーモン缶ね」

「にゃん!」


 ミゾレは鳴き、足元の小皿の中身を舐め始める。


「僕たちもいただこう」

 和樹くんは冷たい紅茶を一口飲み、チョコ味のシュークリームを取った。

 窓の外には青空が見える。

 澄んだ青が、とても綺麗だ。


「もうすぐ夏休みだね。みんなで動物園に行こうよ」

「大沢さんも帰省するしね。動物園近くに、新しいスイーツ店が出来たんだって」

「行きたーい! 方丈先輩も誘おうよ!」


「……うん、みんなで行こう!」


 そう答え、瞼を上げた。

 夏祭りには浴衣を着て、冬には雪まつりを見て、方丈先輩の卒業をみんなでお祝いしよう。

 そう言えば、舟曳先生と信夫先生が付き合ってるって、みんなが言ってた。

 文化祭の後に、街を一緒に歩いてるのを見た生徒が居るって。


 何かいいな……

 でも、私はこのままでいい。


 このまま時間が停まればいい。

 ずっと高校生のままで……

 

 まだまだ、楽しいことがいっぱい待ってる。

 

 楽しいことが……










 









「セオ、頼む」


 アトルシオは『白鳥しろとり』の柄を両手で持ち、胸の前に掲げた。

 セオは『宿曜すくよう』の刃を額に当てる。


 二柱の『名』が彼の脳裏に浮かぶ。


 一つは、『天之伊弉冉乃あまのいざなみの 蓬莱乃ほうらいの 瑠璃子るりこ』。

 もう一つは、セオが見たことも無い文字が並ぶ。

  『伊弉冉神古門イザナミノミコト』の真の名で、発音も困難な『名』だ。

 一文字が漢字を複雑に組み合わせた如く、それが二十八字並ぶ。


 だが、その二柱の『名』は、『白鳥しろとり』の鞘の二面に正確に浮かぶ。



「神送りの儀、我らが引き受ける。偉大なる二柱を、星の辰界しんかいの母とせよ!」


 アトルシオは祈願し、『白鳥しろとり』を開いた。

 『白鳥しろとり』はしなり、輝く白き長弓へと形を変える。

 鞘は、白き一縷いちるの矢と化す。


 アトルシオは、背の羽を大きく広げ、宙で静止した。

 弦と矢を構え、斜め下の二柱に狙いを定める。


 宵の王の逆立つ黒髪りの隙間――背中の中心を狙う。

 彼の後ろには、リーオが降り来る。

 宵の王の闇の念を拭うため、浄化の力を矢に注ぐ。




「……祈るんだ」

 それを眺めていた弦月は、箱舟の仲間たちに呼びかける。

「二柱をお見送りしよう。この世界を創造した女神を讃え、人の怒りが創造した女神に赦しを願おう」


「はい!」


 黄泉千佳ヨミチカたちは、一心に祈る。

 目を閉じ、手を合わせ、膝を付き、経を唱え、それぞれの遣り方で二柱に祈りを捧げる。


 箱舟を護る御霊の輝きは、炎のように広がる。




「我ら、陰神メガミの栄光を讃える! 光と闇を我らに与え給う二柱よ、星の界の新たな王となりて、天空を守護し給え!」


 祈り、叫び、すべての願いを孕んだ矢を射る。

 矢は無間の光陰と化し、二柱の芯の臓を貫いた。


 数えきれぬ光条が二柱から吹き上がり、灰色の雲が粉々に散る。

 二柱は溶け合い、巨大な光柱となって空を貫いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る