第180話

(……ひとつが終わり、ひとつが始まる……)


 陰神メガミ――伊弉冉神古門イザナミノミコトの声を風が運ぶ。

 神巫人ミコビトたちも、箱舟に乘る人々も、そこに集った御魂たちも、それに聞き入る。


(我は、遥けき古き時代の骸なり。新しき時代には、まがつ異形に過ぎぬ……)


 その響きは鮮烈で。いかなる楽器の旋律よりも美しい。

 

 包み込む温かさ。

 いつか聞いた子守歌。

 金色の稲穂の向こうに広がる澄んだ空。

 鳥が飛び、魚が跳ねる。


 誰もが、その懐かしい記憶の風に包まれる。

 

 

 

(箱舟に集いしヒトよ、新しきクニを造れ。箱舟に集いし霊藻タマモよ。新しきクニで、新たなセイを受けよ)



 伊弉冉神古門イザナミノミコトの白髪が、風に倒れる稲穂のように、根元から黒に染まっていく。

 頭骨の首飾りは崩れて波間に落ち、開いていた肋骨も音を立てて折れた。

 

 その内から身を乗り出していた宵の王は、両の手を地に付き、生まれたての雛のように空を見上げている。

 その瞳の先は、空に留まる神名月神巫人ンミナヅキノミコトに注がれる。


 

(……宵の娘よ。我が、其方の母となろう)


 伊弉冉神古門イザナミノミコトは、身を起こしていく。

 長い髪を支え棒のようにして、宵の王と抱き合うような形で。


 その形は禍々しく、しかし奇異なる美しさを放っている。

 その異態ゆえに、誰もが目を放せない。


 起き上がった伊弉冉神古門イザナミノミコトは、糸が切れたように前のめりになったが、すぐに伸びをして座した。

 

 二柱は向き合い、母は娘を両腕で抱きしめる。

 娘は、されるがままになっている。

 両腕を退治のように曲げ、ぽっかりと開いた母の胸の内に額を埋めている。



(我が天照姫アマテルヒメが選びし神巫人ミコビトたちよ。我と娘の身を貫け。月の太刀の輝きに我らの名を捧げ、白き弦から放つ矢で、我らを射よ。我らを天の果てに沈めよ)



 厳かなる言葉に、四人の神巫人ミコビトは、為すべきを悟る。

 雨月神巫人ウゲツノミコト神名月神巫人カミナヅキノミコトは、互いの得物を確かめ合う。


 『宿曜すくよう』は、相対する者の真の名を見抜き、その身を断つ。

 遥か彼方に去った星の国から持ち込まれ、太古より何度も打ち直された太刀だ。

 打ち直される度に霊力を増し、主を守護するために、敵の名を見抜く力を得た。

 

 花の国に伝わる『白鳥しろとり』は、白き弓矢に形を変える。

 それを包む鞘は、伊弉諾神古門イザナギノミコトが所持していた弓矢の木屑より造られたものだ。

 

 伊弉諾神古門イザナギノミコトは異界に去る間際――

 己の弓を僅かばかり削り、御神木の傍に置いた。

 欠片は御神木と一体化し、時の過ぎる果てに、一振りの枝が地に落ちた。

 

 それを若き鞘師が見つけ、只ならぬ気配を感じ、時の王君の御前に持ち出でた。

 そして懇願した。


「この枝を、我に授けたまえ。不死の象徴たる桃の木に継ぎ、育てさせたまえ。我が子孫が立派な鞘に作り替え、お納めいたしまする」






「その鞘は、お主のために造ったのじゃよ」

 

 方丈の翁の言葉が蘇る。


「御神木から接ぎ木した桃の木より削り出し、『白弦しろつるの儀』で使った弓の一部を薄く削り、鞘に嵌め込んだ。お主の本名も刻み、幾重にも塗り固めた。銘を『白鳥しろとりの太刀』と言う」



 ――在りし日に授けられた太刀。

 ――それを覆う鞘。

 

 それは、この時のためだった。





「セオ……頼む」

 神名月神巫人カミナヅキノミコトは、在りし日の名で呼ぶ。

「イザナミさまと姫さまの名を、我が『白鳥』に刻んでくれ」


「分かった。リーオは浄化を、アラーシュは守護結界を……」

 セオは、愛する友たちに微笑む。

 永い闘いは終わり、故郷を永遠に去る時が近付く。


「……希望はある」


 アトルシオは、中空に浮かぶ箱舟を見つめる。

 数多の魂を載せた箱舟は、力強く輝いている。


 二つの国は元の姿を取り戻し、影のような人々は元の姿に戻るだろう。

 黄泉千佳ヨミチカたちと共に、彼らは新たな文明を築くだろう。


 新しき神となった王君さま、王后さま、そして玉花さまは、大地に恵みをもたらしてくださるだろう。



 「フランチェスカ、共に祈ってくれ」

 アトルシオは、手を差し伸べた。


「うん!」

 白馬に乗った少女は元気よく答え、子犬もその肩に寄り添う。



「失われるものは無い。形を変え、続いて行く」


 誰かが言った。

 言葉では無く、心の声だったかも知れない。


 その声は、ここに居るすべてに染み渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る