新章(壱) 悠空の海

第182話

 光の柱は天に延び、『無月ナヅキイソ』の空を打ち抜いた。

 渦巻く音が、波を押し上げる。

 風は吸い上げられ、箱舟も大きく傾いた。

 甲板に出ていた者たちは投げ出されそうになったが、御魂たちが壁となって彼らを支えた。



「……箱舟を護衛する!」

 雨月うげつは指示を出す。

「俺と如月きさらぎは、船底に付く。神名月かみなづき水葉月みずはづきは上だ! 白炎は箱舟に降りろ!」


 愛馬に命じ、肩越しに羽を見た。

 意志のままに飛翔できているが、羽ばたく力が弱まっている。

 力を使い果たしつつあるのだろう。

 上空の一部が決壊したせいかも知れない。

 

神巫人ミコビト』の姿と力を発言できるのは、この『無月ナヅキイソ』のような生者が入り込めぬ『異界』のみと診た。


 「我らの最後の使命を果たそう!、箱舟の地上への帰還を見届けよう!」


 友を鼓舞し、箱舟の下に回り込む。

 すると――チロが飛んで来て、如月きさらぎの肩に乗った。

 霊体である小犬のお陰か、如月きさらぎの飛翔は安定した。

 

 自分も、まだ耐えられるが――

 上に向かった神名月かみなづき水葉月みずはづきも限界に近付いているだろう。

 だが上を翔ぶのなら、力尽きたら箱舟に着地できる。

 

 神名月かみなづきを上に行かせたのは、力を貸してくれた彼の父親への感謝の意だった。

 少しでも長く、息子の姿を目に留めて欲しいから。

 

 水葉月みずはづきは――彼の身体が不安定であることは、王后さまから聞いた。

 だから、何としてでも……

 

 (全員で、現世に帰る!)

 

 雨月うげつは船底を見上げる。

 御魂に守られてはいるが、ここを脱出するのは自分が最後だと決めている。

 最後の『近衛府の四将』の大将としての矜持として。

 



 神名月かみなづきは、雨月うげつの指示通りに箱舟の上に回り込んだ。

 ゆっくり旋回しながら、甲板で手を振る人々を見下ろす。


 着地した白炎は、黒炎と鼻を擦り合わせている。

 美名月みなづき黄泉千佳ヨミチカは抱き合い、その足元を太郎丸が走り回っている。

 美名月みなづきの肩の周りに、四つの光が浮いているのが見える。

 母猫と兄姉猫の御魂だろう。

 迷い仔猫だった美名月みなづきが、家族と再会できたこと。

 それは、とても喜ばしいことだ。


 そして――


〈父さん……そして、母上……ははさま〉


 甲板で自分を見上げる現世の父。

 そして、両肩に触れる過去世の生母と継母の温もり。

 

 横を飛ぶ水葉月みずはづきの肩にも、緩やかな光が幾つも浮いている。

 彼の村の子どもたちの御魂のようだった。


 だが――彼の眼差しは、少し険しい。

 この闘いで、もっとも消耗している。

 

 伊弉冉神古門イザナミノミコトに憑依していた亡者の群れ。

 その中に同化した宵の王の『力』。


 天照姫アマテルヒメの助力があったとは云え、それらの浄化に全霊力を放出したのだろう。



水葉月みずはづき、子どもたちに応えてやれよ」

 傍に寄り、ささやく。

「お前の村の子どもたちだろう? ここじゃ落ち着かない」


「……そうさせて貰う」


 水葉月みずはづきは頷き、降下して行く。

 甲板に両足を突くと、両の羽は消え、たちも駆け寄った。

 子どもたちの御魂も、彼の周を鞠のように跳ね回る。


 

 安堵して上を見ると、二柱が放つ光は遥か上に昇っている。

 それは、薄れ行く星の光の行くようにも見える。


 そして――上から四つの光が降りて来た。


(……父上たちだ……!)


 月帝さまに護られていた故国の父親たちが、迎えに来てくれたのだ。

 『魔窟』化していた上の世界と、繋がったようだ。

 四つの御魂のうち、二つは船底に向かい、一つは甲板上に、最後の一つは頭上に浮遊している。


 生母と継母――ふたつの御魂は、父の御魂に寄り添い、輝きを増す。

 箱舟を囲む御魂たちも、歓喜に揺れる。

 


 空の色が、宵の刻のように暗さを増した。

 二柱は完全に視界から消え、決壊したくうの向こうが薄い紫に染まった。

 花の香りが、空を染めるように降りて来る。

 その香りは心地良く、まるで身体が持ち上げられるように感じた。

 


「奈落の結界を通過する!」


 神名月かみなづきは叫んだ。

 下を見ると……すべてが朱鷺色の雲に覆われ、海神が司る海は見えない。


 ふと――神逅椰かぐやを想った。

 

 彼は、あそこに取り残されているのだろうか。

 叶うなら、彼の魂が安寧に近づけるよう――祈る。


 すると――優しい声が、耳に触れた。


(心配はいらない。『果てなる御方』は、誰をも救い上げる)


 振り返ると、在りし日の――白い狩衣を纏った羽月うづきさまが微笑んでいた。

 

「……はい!」

 童子時代を思い起こし、弾む声で返答する。

 

 

 ――もう振り向かない。

 

 

 瞼を閉じ、開き、顔を上げた。

 すべきことは、すべて成した。


 魂の故郷とは、永遠に離別する。

 けれど、自分たちと同じ姿の化身たちが居てくれる。

 彼らは、新しい国を造る。


 壊れた空の向こうに、夜明けが待っている。

 

 

 花の香りが、いっそう強くなった。

 澄んだ空気か、身体に纏わりつく。


 御魂たちの一部が箱舟を離れ、、空に昇り始めた。

 

(あれは、火名月ひなづきさまたちだ……)


 新しい世界が、黄泉千佳ヨミチカたちの住める世界か――

 いち早く確かめに行ってくださったのだ――



「……帰ろう!」


 大きく羽ばたき、先達の痕を追う。

 船底の傍らを、雨月うげつと、如月きさらぎと――子犬が翔んでいる。

 甲板には、水葉月みずはづきと――未来を担う者たちが居る。


 小君――あの日、イザネと名乗った少年は、大きく両手を振った。

 


 奈落の空は途切れ、紫の雲の隙間から、無間の碧空が箱舟を出迎えた。

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