第173話

 王君さまと王后さまを前に、夜重月やえづきの中将と紗夜月さやづきの中将は、片膝を付いて控える。

 雨月うげつも倣おうとしたが、王君さまは笑っておめになる。


(そのままで。我らのことを、留意せずとも良い)

御上おかみの仰せられる通りに。我が王族の宝は、民と大地。空と地と水を巡る命。注ぐ光、火の温もり。それらを護るために身を呈する其方そなたたちにこそ、礼を尽くさねばなりません)


 穏やかな御声は、馳せる心を抑える。

 王后さまは両手を合わせ、雨月うげつたちに謝意を示された。

 御娘を抱き上げている王君さまも、瞼を閉じて黙礼なさる。


 神名月かみなづきは半身だけでも起こそうと思ったが、消耗が激しく両腕で身を支えることが出来ない。

 美名月みなづきの癒しの術で痛みは引いたが、関節が外れたように力が入らない。


 だが、寝ている訳にはいかない。

 周囲を囲む炎の壁の圧が弱まっているのを感じる。

 火名月ひなづきの大将の術にも限界があるようだ。

 焦って這いずろうとすると――


(ほら……下を御覧なさい)

 王后さまが、ゆるゆると進み出て御袖を上げた。

(瞼を閉じ、心を無にして……みんなの声が聞こえますか?)



「……はい……」

 如月きさらぎが応え――他の者も王后さまの言葉に従う。

 瞼の内側は、白一色だ。

 耳に届く音も耐える。


 

 不意に――身体が浮き上がった気がした。

 下に意識を持って行くと――視界が開いた。


「……ああっ……!」

 美名月みなづきが叫んだ。


 数え切れぬほどの人々が、こちらを見上げている。

 なのに、ひとりひとりの顔が同時に、はっきり識別できる。

 人々は歓声を上げ、手を振っている。


「四将さま!」

「僕たちの力を捧げます!」

「私たちも闘います!」

「私たちの願いを受け取って下さい!」


 子どもたちが声を揃え、励ましてくれる。

 装束から、近衛童子であることが分かる。

 目を凝らすと、いつか――敵に利用されて幽体化した童子たちも居た。


 神名月かみなづきは、九十紀の四将となるべきだった少女たちを見い出した。

 イアリと名乗った『鳴神月なるかみづき』。

 そして『咲夜月さくやづき』、『夏初月なつはづき』、『澪月みおつき』。

 少女たちは、猫を一匹ずつ抱いている。


「お母さんと……お兄ちゃんとお姉ちゃんたちだ!」

 美名月みなづきはチロを抱きながら、顔をくちゃくちゃにして叫ぶ。

 三匹の三毛猫と、茶トラ猫。

 距離はあるのに、四匹の鳴き声がはっきりと聴こえる。


「母上……お祖母ばあさま……!」

「母上に、従姉妹たちも……」

「おかあ、村長さま……!」


 家族を見つけ、如月きさらぎたちの喉も震える。

 神名月かみなづきも、並び立つ女性の姿に涙を浮かべる。

 ひとりは継母で、隣に立つのは……間違いなく生母だ。

 ふたりは寄り添い、手を取り合っている。


 他にも、先達の将たちも大勢いる。

 水影月みかげづきの中将のお付きだった常葉ときわ霜矢そうやの姿も見える。

 傍らには、鹿の姿で現れた異母弟とその母も。

 近衛府の導師たちも、いつか蹴鞠をした衛門府の若者たちも。



(我らの祈りを、君たちの力に)

 白い帽子もうすを被った僧が、九十紀の少女たちの背後に現れた。

 忘れもしない、羽月うづきさまである。

 その眼差しは、哀しみと慈愛に溢れている――。


 神名月かみなづきはよろめきながら立ち上がり、天を見た。


「ナシロっち、頑張れー!」

「声援しか送れないけど、頑張ってくれ~!」

「四将の方々に幸運を!」


 黄泉千佳ヨミチカたちの声が、光の帯となって頭上を照らす。

 神名月かみなづきは――その中に、父の声を感じ取った。


 

 ――みんなと共に生き延びて、現世に帰るんだ。

 ――母さんを頼む。


 

 父の意志を背に受け、立ち上がる。

 胸の痛みは完全に消えた。

 失われていた力が、木霊のように湧く。

 

 別の気配を感じ、左下を見ると――舟曳ふなびき先生が、こちらを見上げていた。

 過去世の父親たちは、テーブルの上で寝ている。

 四人とも、顔が赤い。


「おい~、先生はポットに酒を入れて来たんじゃねえ?」

 如月きさらぎは泣き笑いし、三人も瞼をこすりながら頷いた。


 声援をくれる人々の大半は、御神木に封じられた人々だ。

 それは、並大抵の苦しみでは無かった筈だ。

 それでも、希望に満ちた笑顔で手を振っている。



(我らのことは心配は要らない)

 王君さまは愛おしそうに、深く深く眠る娘を見つめる。


(私と后は娘と共に、新たな世界の礎となる。我らが愛した民が、我らの上で実った稲穂を刈り、魚を獲る。獣を追い、命を大切に頂き、次の世に繋げる。それを見守りしことは、大いなる喜びである……)


「王君さま……王后さま……」

 四将たちは跪く。

 王君さまと王后さまは後光に埋もれ、もはや御姿は見えない。

 姫君の装束が、僅かに透けて見えるのみだ。




「……運命さだめの子らよ」


 澄み渡る女性の声が、銀鈴の音の如く響く。

 人々は恍々と微笑み、光と化し、鈴の音の中に吸い込まれる。

 八十八紀の四将たちも、至福の笑みを浮かべ、静かに立ち去った。



「いま、全ての枷を取り払おう。心ある者たちの祈りと願いに応えよう」


 声に誘われたように、数珠が震えた。

 神名月かみなづきたちの左手首に掛けられていた数珠である。

 その玉に幾条ものひびが入り、天より無数の白き羽根が舞い降りてきた。



其方そなたたちに、『』を授ける」


 美しい声に誘われるように、白き羽根は群れ、香しい匂いを放つ。


 

 ―― 雨月ウゲツ神巫人ミコト


 ―― 神名月カミナヅキ神巫人ミコト


 ―― 如月キサラギ神巫人ミコト


 ―― 水葉月ミズハヅキ神巫人ミコト


 ―― 美名月ミナヅキ妣妹ヒメ


 

「――御使いたちよ。我が母を鎮め、闇に安寧と沈黙を与えよ!」


 声の主、『天照姫神古門アマテルヒメノミコト』の祈りが、くうを揺らす。

 それと重なりしは、『大いなる慈悲深き御方』の笑みである。


 数珠は粉々に砕け、神巫人ミコトたちの背に、真白の翼が浮きでた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る