第172話

 ――前にも、同じ体験をした。

 ――何度も死に、転生し、ここまで辿り着いた。

 

 だが、直ぐに気付く。

 魂の『死』が近付いている、と。


 次第に記憶が明瞭になる。

 敵の頭上に降り、そして下を覗き込んだ。

 そこで、強い衝撃を受けた。

 

 ――ああ、そこで終わったんだ。

 ――背後から何者かの攻撃を受けて……。


 

 全てを察し、流れる霊気に身を委ねる。

 周りは、白一色だ。


 その中から、幾つかの『輝き』が浮かび上がる。


(……右斜め前が一戸で、左が月城で……その隣に上野……少し後ろにミゾレ……。小さいのがチロかな。一戸と被ってるのが百炎だ……)


 暖かい光に安堵するが、それらは風に吹かれる如く揺らいでいる。

 激しく動揺しているのだろう。


(みんな、ごめん。僕はここまでだ……)


 自身が冷たくなっていくのが分かる。

 この『無月なづきいそ』で死んだら、どうなるのだろう。

 魂は冷え、凍り付くのかも知れない。



(母さん、帰れなくなってごめん……)

 

 家で待つ母を想い、芯が濡れた気がした。


(父さん、母さんを独りにしちゃうよ。でも、岸松おじさんが居てくれるし、笙慶さんが寄り沿ってくれるよ……)



 ――悲しみに潰されるが、この想いも直ぐに消えるだろう。

 ――残された人々の悲しみは、長く続くだろうけれど。


 

 現世の人々を想い出していると――『輝き』の数は増え、冷えが止まった。


 

(……火名月ひなづきさまたちだ!)


 四方を包む暖かな霊気の正体を察し、歓喜した。

 

 ――あの方たちが力を貸してくださる。

 ――他の皆は助かるだろう。


 それが嬉しい。

 仲間たちは、家族の元に帰れるに違いないから。





「……かくなる阿呆に執着したとは、我も愚かよ……」


 背後から軽い嘲笑をぶつけられ、振り向いた。

 そこには、白い衣を重ね来た少女が座っていた。


「……瑠璃子さま」


 思わず『名』を呼び、平伏ひれふす。

 少女の装束は『白弦しろつるの儀』の巫女装束である。


 白の単衣、袿、表着、唐衣、裳。

 そして、長袴も白だ。

 前髪を結い、銀の簪で飾る。


 儀式の時との違いは、少女が数年の齢を重ねていることだ。

 あの時は十二歳ほどだったが、今は……蓬莱天音と同年に見える。



「……終生の別れだと云うのに、その装束とはな」


 瑠璃子は袖の下から手鏡を出し、和樹の顔を映した。

 手鏡に映るは、彼女と同じ装束の己の姿だ。

 儀式の時と同様に白粉おしろいを塗り、唇に紅を差している。

 さすがに狼狽し、両の袖で口元を隠した。


 すると――瑠璃子は手鏡を仕舞い、嘆息した。


「……まあ、並の直衣姿よりは面白い。忘れ難き思い出となろう」

「……はい」

「安心しろ。三神月みかづきとか言う阿呆仲間が生き返らせてくれるわ」

「はい……そのようですね」

 

 腕を下げ、従順に頭を下げる。

 もう、それ以上の言葉は不要だった。

 周囲で何が起きているかも判る。

 自分を蘇生させる努力をしている――

 


「立て。そして歩け」

 瑠璃子に命ぜられ、素直に立ち上がった。

 慣れぬ長袴を蹴るように、外股で歩く。


「……何と無様な。尻尾を引き摺って歩く怪獣のようだな」

「かくなる長袴で歩むのは、あの儀式依頼ですので」


 二人は穏やかに――笑った。

 『怪獣』と云うのは、蓬莱天音の記憶だろう。

 彼女は、テレビか方丈日那女の家で『怪獣』を見たに違いない。



「……何をすべきか分かるな?」

 瑠璃子は瞼を閉じた。

陰神メガミは、我の力をも同化している。それを狙い、貫け」


「はい……」

 足を止め、再び座し、瑠璃子と向き合う。

「……忘れません。故郷のこと、故郷に生きる人々のことを……」


「生きよ……白織しらほりの女と共に。我は女神めがみとなり、次の世の礎となる」

黄泉千佳ヨミチカたちの未来を委ねます……瑠璃子さま」


 両袖を合わせ、少女に深々と拝礼する。


「新しき大地と空、花と月の姫よ。神名月かみなづきの巫子は願う……全ての命に祝福を授けられんことを」 



 


 ――還るが良い。

 ――希望を届けよ。




 言葉に押し返され、胸に激痛が走る。


 黒い血泥が押し出され、赤い鮮血が身を巡る。




「ぐはっ!!」


 息苦しさに目を見開く。

 気道を塞いでいた血泥を吐きながら、大きく身を揺する。


「押さえて!」

 雨月うげつが叫び、手足を押さえ付けられる。


 激しく咳き込み、呼吸が出来ない。

 額から汗が垂れる。


 うつ伏せの体勢らしいと分かったが、心臓が回転しているようだ。

 激痛が全身を駆け、血液と体液すべてを嘔吐しそうだ。

 顔面が焼かれているかのように熱い。

 肋骨が軋み、肺を貫いたように苦しい。

 

 このまま意識を失えたら、どんなに楽だろう――。

 思わず、舌を歯に挟む。

 だが――


「お母さんが待っているんだろう! 耐えろよ、バカ!」

 如月きさらぎの叱咤に打たれ、舌を引っ込めた。



「くそったれがっ!!」

 神名月かみなづきは叫ぶ。

 だが、開いた口に布が突っ込まれる。

 

 そう、耐えなければいけない。

 自分の魂がどうなろうが、母を悲しませてはいけない。

 久住さんが待っている。


 唸りながら背を逸らせ、涙を流し、激痛に耐える。



(心の臓は収まった! 皮膚や血管の治癒を!)


 聞き覚えのある声が指示している。

 

 ――くそっ! 麻酔無し手術なんてイカれてる。

 

 激痛に、一生分の罵倒と絶叫を放つ。

 

 

 そのうちに、痛みは僅かずつ緩んだ。

 汗と熱も少しずつ遠のき、呼吸も楽になる。

 耳から飛び出そうだった心音も弱まり、のたうつ血流も静まる。



「血も止まった。落ち着いたようだ」


 口から布が引き抜かれ、顔を動かす。

 体力は消耗しきっているが、意識は鮮明になりつつある。

 すると、今度は急激な寒さに襲われる。

 がくがくと震え出すと、喉元に温かい手が触れた。


「良く耐えてくれた。自慢の後輩だよ」

「……ひな…づき…さま……」


 顔を確かめることは出来ないが、声の優しさに目頭が緩む。


「良かった、生き返ってくれて何よりだよ」

「乱暴な方法だったけど……ごめん」

「あっちの世じゃ『結果オーライ』って言うんだよね?」


 先達たちの声は、どれもが暖かい。

 覚束ない視界の中で、その姿を捉えようとする――厳かな声が聞こえた。


「……其方そなたたちの勇気と絆を讃えよう」



「王君さま!」

 水葉月みずはづきが叫び、一同が畏まるの感じた。

 神名月かみなづきも声に鼓舞され、揺れていた意識が収縮し、視界が開けた。


 背後には、花窟はなのいわの王君さまと王后さまが立っている。

 おふたりとも受戒後の――最期を迎えた時の僧衣姿で、王君さまは我が娘を抱き上げていた。

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