第171話

 三人の将と美名月みなづきは目を瞠る。

 思いも寄らぬ援軍だが、まことならば先達の四将たちの魂は闇より解放されたことになる――。

 

 水葉月みずはづきは喜びと戸惑いの中――周囲を囲む炎の壁に手を当て、確かめた。

 それは、皮膚を焦がしはしない。

 かつて敵対した時の炎とは異なり、お天道様から注ぐ光に触れた如くに温かい。


(この炎の結界は、容易くは破れない)


 火名月ひなづきの大将は、唇を動かさぬままで意を伝える。


 頭上に浮かぶ四将たちの瞳は、あの日のままに輝いていた。

 羽月うづきさまを助けるために死途に向かった時と同様に、勇気と誇りに満ちている。

 心ならずも魂を利用され、敵対したが――在りし日の先達たちは戻って来た。



(全く……ひどい泣き顔だね!)

夜重月やえづきさま……」

 

 夜重月やえづきの中将は、安堵の涙に塗れた如月きさらぎを見下ろし、笑った。

 四人の将の身体は半透明で、明々とした炎を纏ったように揺れている。

 それは神々しくも――彼らが生者では無いことを示している。

 だが、その表情は限りなく清々しい。


紗夜さや、少しでも長くこいつの動きを止めるよ!)

(はい、夜重やえねえ!)


 二人の剣士は炎の壁の左右に散り、光を纏った刀刃を深々と地に突き刺す。

 たちまちに、陰神メガミの荒ぶる力が凪いだ。

 二人の霊力で、動きを抑え込んだらしい。

 火名月ひなづきの大将の炎と云い、生前を超える力を発揮している。

 

 

「……こうしてお会い出来て、胸のつかえが落ちました」

 雨月うげつは片膝を付き、火名月ひなづきの大将に謝意を述べた。

「もしや、『大いなる慈悲深き御方』の御加護でしょうか?」


(ああ、今の『魔窟』で死を迎えた者の魂は行き場が無い。だが『大いなる慈悲深き御方』の御加護で、殆どの魂は眠りに付き、目覚めの時を待っている。我々は受戒した身であり、生前の能力ゆえに、君たちを見守ることを許された)


(けれど、あなたたちを助けられなかった。『魔窟』はあなたたちの現世に相当する場所。私たちのような死者の力は及ばない世界なの)


 紗夜月さやづきの中将の髪が揺れる。

 先達の四将たちの髪は、肩の位置で削がれたままだ。

 受戒して『大いなる慈悲深き御方』の弟子となった証なのだ。

 

(そして宵の王との闘いで、君たちはこの無月ナヅキイソに引き入れられた)

 三神月みかづきの中将は、神名月かみなづきの傍らに着地した。

(ここは、『死者の世界』だ。だから、どうにか道をじ開けて来たって所かな)


 両膝を付き、動きの止まった心の臓に手をかざす。

(かなり荒療治だけど、試してみよう。生き返るかも知れない)


神名月かみなづきを……生き返らせることが!?」

 水葉月みずはづきの顔に一縷いちるの希望が浮かぶ。

 

(僕の術は、『くうの転移』だからね)

 自らの掌を見つめ、説明する。

(君たちの学舎の祭りで見たよ。子どもが、六面の奇妙な道具を回しているのをね。面を入れ替えて、六つの色を揃える遊びだった。君たちとの闘いでも使ったけれど、それを応用する)


「……まさか!?」

 雨月うげつは神名月を見下ろす。

神名月かみなづきの心の臓を体内の元の位置に!?」

「そう。ただし体外に流れた血は全ては戻せない。だから、これは賭けだ……」



「我の血を使え……」

傍に座していた女は覚束ない声で呟いた。

「……この手で、我がの命を奪った。そして、我が血で蘇る。これに勝る喜びがあろうか……」



 ――生きている将たちと美名月みなづきの喉元に震えが走る。

 余りに激しく、余りに哀しい『想い』だった。

 避けられぬ別離を前にした、業に塗れた女のさがだった。



夜重月やえづき、小刀を持て」

 女は命じ――夜重月やえづきの中将は従った。

 堕落しようとも、女は月の公主の化身だ。

 戦意も殺意も失った女に向ける刃は無い。


 女将は白水干の内より銀の小刀を出し、両手で女に差し出す。

 女が銀の鞘に触れると、鞘は溶けるように消え、その下の白刃が閃いた。


 女は目前に倒れている夫を眺め、背中に掛けられている陣羽織を捲った。

 動きを止めた心の臓が晒され――女は赤い唇を歪めた。

 

 女は小刀で、左の掌を十字に切った。

 女の意を受け、おびただしい血流が溢れる。

 

「……愚かなことよ……」

 女は自嘲するかの如く囁き、溢れる真紅の『想い』で心の臓を濡らした。

 血流は心の臓を囲むように流れ、不思議と地には零れ落ちない。

 それは真紅の玉と化し、波打った。



(……もう充分です)

 

 三神月みかづきの中将は、女に手を引くように指示した。

 女は無言で手を引き――すると、たちまち溢れていた血は止まり、傷口も塞がって消えた。


 

(……いくよ!)

 三神月みかづきの中将は、真紅の玉を両手で挟む。

(猫ちゃん、手伝ってくれるかな。裂けた皮膚の治癒を任せたい)


「はいっ!」

 美名月みなづきは意を決し、惨たらしい傷口に目を据えた。

 目を逸らせば、今までの過去が無駄になる――。

 チロもその足元に座り、成り行きを見守っている。


 

 全員が、術者の手を注視した。

 彼の両手の間の真紅の玉が渦巻き、神名月かみなづきの身体の穴から血肉の破片が立ち上がった。


「心の臓を元に戻す! 血と共に!」


 術者は叫び、傍らの女は瞼を閉じた。

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