第168話

 箱舟は、少しずつ高度を上げて行く。

 それを遮る如く、海水を吸い上げた竜巻は太さを増す。

 風はいななき、冷えた雨粒が甲板を叩き、突風が寝殿の御簾を巻き上げる。

 

 それでも、御簾の内から響く祈りは止まない。

 陰神メガミ地鳴りの如き呻きも、四将たちの心臓を震わすには至らない。

 箱舟は力強く、前方に立つ異形の陰神メガミに向かって進む。


 神名月かみなづきは右弦の縁に手を掛け、敵を目測した。

 御神木が浮いていた位置は、十一階建てのマンションの屋上ほどだ。

 陰神メガミの頭頂は、その倍ほどの高度に達している。


「頭の先まで、百メートルっぐらいか?」

「アニメの伝説の巨人と同じ高さだな。『巨大ロボット研究所』での研究成果が役に立つとは思わなかったぜ」


 雨月うげつ如月きさらぎは苦笑し、神名月かみなづきも頷いた。

水影月みかげづき先輩が居たら、『この船をロボットに変形させたかった!』と、頭を抱えて叫んだだろうな」

「帰ったら報告しよう。巨大な敵を鎮めて世界を救いましたって」

「了解です、隊長!」


 如月きさらぎは敬礼し、水葉月みずはづき美名月みなづきも気負いなく微笑んでいる。

 彼らの表情には、悲壮感は無い。

 

 

 敵の正体は、伊弉冉神古門イザナミノミコトか――

 あるいは、母に会うために無月なづきいそに降りようとした天照姫神古門アマテルヒメノミコトの成れの果てかも知れない。

 

 そうした古きカミでは無く、宵の王の本体と云うことも有り得る。

 茶室の少女は言った。

 神逅椰かぐやの首を引き摺って御神木の周りを歩いていて――地に落ちたと。


 いずれであれ、朽ちた異形は狂乱の域にある。

 すべきは、狂気と憎悪を鎮めることだ。


 

 やがて――箱舟は、敵の頭頂よりも高い位置に昇り詰めた。

 風に抗って身を乗り出すと、斜め前方に人面を被った頭部が見える。

 人面の下の木乃伊ミイラと化した本体からは、不快な唸り声が漏れ続けている。

 人面化されられた人々の魂が、苦痛を味わっていないことを願うしか無い。

 一刻も早く、彼らを解放せねばならない。


 神名月かみなづきは羽織っていた白いうちきを脱ぎ、美名月みなづきの肩に掛けた。

「これを着て。君は回復役だ。君が倒れたら困る」

「……はい!」


 美名月みなづきは素直に受け取り、袖を通した。

 玉花の姫君が愛でた薫物たきものの香りが染み付いている。

 一瞬の安らぎに瞼を落とし――けれど直ぐに顔を上げた。

 その表情には、一人の術士として強い決意が見える。

 



「間もなく船を反転させる!」

 雨月うげつは抜刀し、三人の中将たちもそれに習う。

 

 神名月かみなづきは自らの刃に指で触れ、御神木の内に封じられた少女の強い心を想う。


「みんな、思い出そう。我々の『叙任の儀』で、舞台脇の階段きざはしの下にに座っていた桜色の汗衫を着た少女を。あの少女も、人面に閉じ込められている。けれど、少女の霊気を『白鳥しろとりの太刀』の刃は映し取った。その霊気を辿って、陰神メガミつむりに降りる!」

「任せとけ! お面のプロが此処に居るからな!」


 如月きさらぎは高らかに言い、黄泉姫から託された刀を『白鳥しろとりの太刀』の刃に重ねた。

 他の二人も、無言でそれに倣う。

 『白鳥しろとりの太刀』が映した少女の霊気――

 それが互いの刃の閃きに移り、少女の願いが輝く。


 あの術士用の汗衫姿の少女だけでは無い。

 仲間の三人の少女も、きっと傍に居るだろう。

 

 四人の少女の姿を、多くの先達や後輩の姿を想う。

 どうか、我らを導き給え――と。



「大丈夫だ、いける!」

 雨月うげつは愛刀の刃を見つめた。

 刃は、華やかな金色の輝きを放っている。

 

 少女の願い――

 人々の心は、光の糸となって導いてくれる。



 そうして――敵に近付いた箱舟は、緩やかに左に曲がり始めた。

 左弦が僅かばかり沈み、四人は右弦の縁に片手でしがみ付く。

 美名月みなづき水葉月みずはづきの腰に両手を回し、チロは如月きさらぎのベレー帽の上で足を踏ん張る。

 

 敵の荒ぶる白髪が、針のように襲いかかって来る。

 飛沫を放つ竜巻の束も迫って来る。

 甲板は濡れ、振り上げられた針の束は箱舟を打ち壊そうとする。

 

 しかし、船を護る霊符と、荘厳な祈りはそれを弾き返した。

 それでも、轟音と振動は凄まじい。

 寝殿の御簾の内側から、悲鳴が響く。

 それでも「大丈夫だ!」と励まし合う声が聞こえた。

「尼君たちをお守りしろ!」と雨月うげつが叫ぶ。


 ――労わり合う彼らの声が、さらなる勇気を与えてくれる。

 ――彼らなら、新しい世界を築いてくれる。



「跳ぶぞ!」

 五人は腰を落とし、右弦の縁に乗る。

 

 ――釣りをイメージすれば良い。

 ――あの人面の中に埋もれた霊気を辿る。

 ――少女の霊気を刃で捉え、それを目指して跳ぶ。

 ――そして敵の頭上に着地する。

 

 


「行こう!」


 数多の意志は一つに重なり、彼らは船の縁を蹴る。

 金色の光が放たれ、向かい来る嵐を裂く。


 祈りに導かれ、闘いを終わらせるべく――宙を舞った。

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