第167話

 神名月かみなづき雨月うげつ皮沓かわぐつを引っ掛け、如月きさらぎもブーツに足を突っ込む。

 彼らは前を見据え、甲板に出た。


 波は高さを増し、鋭い渦を巻いている。

 風は腐敗臭を撒き散らし、船の前進を阻むように吹き付ける。


 そう――

 船の前方――


 浮揚する御神木の後ろに、異形の陰神メガミが立っていた。

 顔を伏せ、膝から下は水没しているが――それはまさに、地の底より這い上がった巨躯のむくろであった。

 

 乾き切って変色した固い皮膚は骨に貼り付き、絡み合った白髪は毛筆で殴り書きしたようにうごめいている。


 纏う白き衣は汚れているが、その上に艶やかな黒き衣を重ねている。

 血で染めたような倭文布しづりの帯を腰に巻き、同じ色の比礼ひれを肩に掛けている。


 頸珠くびだま手珠てだまは髑髏を繋げているが、頭部に三本の角が見える。

 一つだけの眼孔からは絶えず黒い血が流れ、衣をいっそう深く染め上げる。


 異形の陰神メガミは天を仰ぎ――いた。

 すると、背より出でた一対の翼が大きく左右に広がる。


 右の翼は、紫色の烏の如し。

 左の翼は、魚のひれを重ねた如し。

  一対の翼は禍々しい音を発して羽ばたき、つ巻く風を発生させる。


 腐敗した右腕は軋む音を奏で、目前の御神木を鷲掴みにした。

 それを自らの顔面に押し当てると、御神木は仮面へと形を変え、陰神メガミの干からびた顔を覆う。

 

 その仮面は、荒魂あらみたま陰神メガミには相応しき容貌だった。



「……あの仮面は……」

 雨月うげつは唇を噛み締める

 干からびた顔から幾許か浮いている人面は――彼らが知る玉花ぎょくかの姫と同じ美しき顔である。

 その唇は微笑しており、温かな眼差しで一同を見降ろしている。



「……そこらへんにコントローラーが無いか?」

 如月きさらぎは、冗談めかして笑う。

「この手の巨大ボスの弱点は、額とか足元なんだよな。足元は水面の下だから、首から上だろう」


「……顔面だ」

 神名月は拳を握り締める。

「あの仮面の下だ。……人質のつもりか」


 御神木には、多くの人々の――仲間たちの魂が封じられていた。

 敵も、それを知っている違いない。

 ゆえに――あの仮面の下の顔に弱点がある。



「ナシロっち……何か寒いよ。ニセモノのみんなも、そう言ってる」

 黄泉千佳ヨミチカは、几帳をめくって話しかけて来た。


「寝殿の外に出るな!」

 雨月うげつは大声で諫めた。

「御神木に封じられていた人々が捕らえられた! 君たちは御神木から造られたのだろう? 箱舟は護られているが、甲板に出ると敵に引き寄せられるかも知れない! 寝殿から出ては駄目だ!」


 ――御神木には、神逅椰かぐやの生首がぶら下がっていた。

 あれは、人の姿を取れなかった粗悪な存在だろう。

 ここに居る彼らは、人形ひとがたとして完成し、人格を確立した人間だ。

 だが、御神木が古きカミの手に落ち、彼らの身に障りが出ている。

 しかし、彼らは新たな世界の希望だ。

 誰一人、失う訳にはいかない。

 

 

「……船を、敵の頭上に移動させる」

 神名月かみなづきの決断は早かった。

「我らは敵の頭の上に降りる。その後に、船を退避させる」


「ええっ!?」

 黄泉千佳ヨミチカは不安そうに叫んだ。

「無理だよ……陸地は無いんだよ。落ちたら溺れるよ!」


「安心しろ。巨大な像に飛び付いて、弱点を刺すゲームをやったことがある」

 如月きさらぎは、ベルトに挟んでいた霊符の束を差し出した。

「そこのご家来衆。この霊符を寝殿の四方に置いて頂けますか? より強力な結界を築けます」


「私たちにやらせて下さい!」

 

 ――名乗り出たのは、若き尼君たちだった。

 男に姿を見せぬように部屋を分けていたのだが、最期の時を前に勇気を振り絞ったのだろう。


「私どもの祈りなど非力でしょうが……出来ることをさせて下さいませ!」

 四人の尼君たちは、臆せずに男たちを見つめる。


「……頼みます!」

 如月きさらぎは、霊符の束を渡した。

 受け取った尼君たちはそれを分け合い、寝殿の東西南北に散る。


 チロは如月きさらぎの頭に乗り、小君は震えている太郎丸を抱き上げた。

「皆さまのご武運を信じます!」

「安心しろ、坊主! 元の世界に戻して見せるからな!」



「……行くか」

 水葉月みずはづきも起き上がり――畳の上に座した。

 その背を弦月げんげつ美名月みなづきが支えている。


「……囮程度なら出来そうだ。最後まで共に……!」

 水葉月みずはづきは左腕を庇いつつ、声を絞り出す。

 体力も限界だろうが、止めても無駄だろう――。

 

「ラスボス先生の頭の上なら、寝るスペースがありそうだぜ」

 如月きさらぎは手を差し出し、水葉月みずはづきは立ち上がる。

 

 雨月うげつも仲間の決意を汲み、大将として指示を出す。

美名月みなづきは、水葉月みずはづきと離れるな。これは命令だ」


「はいっ!」

 美名月みなづきは、怖じずに返答した。

 

 寝殿の四方に座った尼君たちは、霊符を前に読経を始めた。

 家来たちも合掌し、それぞれの言葉で祈る。

 たちも黄泉千佳ヨミチカも寒さと恐怖を振り払い、祈りを捧げる。

 小君も太郎丸の背を撫で、闘いに望む者たちを見上げた。

 

 弦月げんげつも、息子を――その仲間たちを無言で鼓舞する。

 息子も、父に想いを贈る。


 ――母さんを悲しませない。

 ――母さんを守るよ。


 誓う神名月かみなづきは――左手の数珠が熱を欲したのを感じた。

 祈りは『力』の奔流を形成し、流れ込んで来る。


「行ってきます!」


 力強く宣言する。

 その意志を受け、箱舟は前進を始めた。

 荒ぶる陰神メガミを鎮めるために――。

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