終章(拾) 天の箱船

第165話

水葉月みずはづきは無事か!?」

 神名月かみなづきは、白炎の背で伏せている水葉月みずはづきを支える。

 家来たちは水葉月みずはづきの下馬を手伝い、寝殿に運んでくれた。

 最後に美名月みなづきが黒炎から飛び降りると、二頭の霊馬はいななき、薄らかな炎を発して消えた。

 主人たちの懐に戻ったのだろう。



「すげえな……」

 船上を見た如月きさらぎは感嘆する。

「和製ノアの方舟だな。前に乗った屋形船よりでかいぜ」


 その言葉通り、船は壮麗な外観を持っていた。

 甲板に、寝殿の母屋が移築された構造だ。

 縦は四間(柱間寸法の一間は約三m)、横は三間で、四方は御簾と壁代で覆われている。

 

 その一角の御簾を掲げる和装の男性の顔を確かめた雨月うげつは――恭しく会釈した。

「弦月さまですね。神名月かみなづきと同期の雨月うげつです。現世でも、お世話になっております」


「ああ、そんなに畏まらないで」

 儀礼に則った態度に、裕樹は惑いつつも背を正す。

「礼を述べるのは私です。けれど……」


 顔を曇らせ、寝殿の奥を見た。

 手前の畳に、水葉月みずはづきが横たえられて、美名月みなづきが治癒を始めている。

 神名月かみなづきも父と目配せし、うちきを脱いで中に入った。


 

  ◇ ◇ ◇


 

 ――少し前のこと。

 御神木から投げ出された神名月かみなづきは、地上に叩きつけられるのを覚悟した。

 跳躍力に秀でているとは云え、地上二十階以上からの落下は軽傷では済まない。

 霊体であっても、この『魔窟』では限りなく実体に近い感覚を有する。

 事実、過去に何度も此処で死んでいるが――


(落下死は初めてだろうな……)


 水葉月みずはづきも半死半生で、残るのは雨月うげつ如月きさらぎ美名月みなづきだ。

 

 宵の王は御神木に呑み込まれ、地下からは水が溢れ出ている。

 これで終わりでは無いだろう。

 

 宵の王を吞み込んだ『何か』が残っている。

 なのに、残る者たちに託さねばならない。

 

 

 

 

 

 

 

「ナシロッちい~!!」


 聞き覚えのある声が届いた。

 声の主――黄泉千佳ヨミチカの顔が浮かぶ。

 現世で生きることが許されない彼女を、この世界に連れて来た。

 希望と再生を託して。

 

 ここで斃れてはならない――。

 彼女のためにも――。

 

 その一心から、無意識に声を手繰り寄せる。

 すると身体が引き寄せられ、板の上に転がり落ちた。

 受け身が取れずに全身を打ったが、着ていたうちきに織り込められた治癒術のお陰で、痛みは直ぐに消えた。


 どこに落ちたのか分からぬままで見上げた空は、喘ぐように渦巻いている。

 灰色の雲と、闇色の雲。

 紫の雷が閃き、轟音が鳴る。


 寝ている訳にはいかない。

 戦場に戻るべく半身を起こすと――目の前には、父の裕樹が佇んでいた。


「……父さん」


 和樹は目を見開く。

 紺色の和服と羽織を纏った父は、目を潤ませて微笑んでいる。

 死地を潜り抜けてきた息子への想いに溢れる瞳だ。

 父は腰を落とし、無言で手を差し伸べる。


 和樹は、我が手をそこに重ねた。

 闘いに割って入り、自分たちを助けて消えたかに思われた父――。

 けれど、こうして温もりを分かち合っている。

 

 言葉は不要だった。

 温もりは嘘を付かない。

 

 もう一人の父も、月帝さまが護っていてくださる。

 故郷が復活すれば、過去世の父は転生し、新たな世界で『生』を得る。

 現世の父は霊界に帰り、そこから家族を見守ってくれるだろう。


 その為に――今は気を抜いてはいけない。

 四将の顔に戻り、父に問う。


「これは……船なのですか!?」


 ようやく、自分の立ち位置を理解する。

 帆もかいも無いが、紛れも無い船だ。

 広い甲板の中央には寝殿が乗り、御簾や壁代が風に靡いている。

 

 しかも、宙に浮いているらしい。

 船縁から下を覗くと、横倒しの御神木が見える。

 船尾からは太い係船索が伸び、その先端は御神木のどこかと繋がっているようだ。


「……あの索を切断しないと危ない!」

 如何なる理由で船と御神木が繋がっているのか不明だが、このままでは最悪の事態を招く。



「ナシロっち……!」

 黄泉千佳ヨミチカが走り寄って来た。

 黒い子犬を抱き、半泣きで目前に立つ。

 彼女を怖がらせないよう、冷静に訊ねる。


「何が起きてるか分かるかい? この船には、他に誰が乗ってる?」

「ナシロっちたちのニセモノと、太郎丸と、お父さま。尼君が四人と、男の子と、家来が六人だよ。みんなで此処に籠もってたら、酷い揺れが来たの。気付いたら建物の下が船だった」


「そうか……」

 頷き、船尾を見る。

 男たちが集まっているようだ。


「みんなで木に繋がってるロープを切ろうとしてる。でも無理みたいで……」

 黄泉千佳ヨミチカは、ギュッと太郎丸を抱き締める。

 

 だれもが、係船索を切らないと危険だと悟っている。

 切れば船が落ちるかも知れない。

 それでも、切らないよりはだと、本能が訴えているのだ。



「大丈夫だ、僕が斬る!」

 『白鳥しろとりの太刀』を抜き、船尾へと向かう。

 この霊刀なら、間違いなく索を切断できる。


 

 ――船尾では、四人のと家来たちが必死に刀を振っていた。

 しかし鋼のような硬さの係船策は、彼らの刀を弾き返す。


「ああっ! 大将、来たっ!」

 いち早く気付いた神名月かみなづきは、刀を放り出して飛び上がった。


「ご無事でしたか!」

 雨月うげつの偽りは冷静に、男たちに道を開けるように手を振る。


「みんな無事だな!?」

 神名月かみなづきは、集まっている顔ぶれを確認した。

 如月きさらぎも、水葉月みずはづきも、生きるための闘っていたのだ。

 彼らの希望に応えねばならない。



「大丈夫だ。みんな助かる!」


 神名月かみなづきは、船の縁に飛び乗った。

 目も眩む高さだが、怖じたりはしない。

 真下には御神木があり、係船索の先端は霧に隠れている。


 しかし、下から水が溢れているのが見える。

 地平の彼方からは、波が押し寄せている。


(係船索を斬れば、船を動かすことが出来る筈だ。この船と寝殿は、御神木内の異空間に置かれていた……)


 教わった訳では無いが、自然と知識が湧き出でる。


(……蓬莱の尼姫が作った箱舟か……)


 ――だが、彼女は「来るな」と言った。

 いつかの過去世で、「ここに来てはなりません」と。


 彼女は、神名月かみなづきが訪れた時が、永久の別れの時だと知っていた。

 死しても、『魔窟』に繰り返し還って来る夫――

 彼女は、箱舟の中から夫の姿を視ていた。

 それは、彼女の喜びだったのかも知れない。

 

 

 ――此処に来ないで――

 ――あなたが御神木に辿り着いた時、私たちは永久に離別する――

 ――いつまでも、あなたの姿を見せて――


 切ない抗いが聞こえる。

 なれど、従うことは出来ない。

 両足を踏ん張り、腰を落とし、太刀を振り下ろす。


 

 係船索は鎌首を持ち上げるように弾けて立ち上がり――

 腐ったように千切れ、下に落ちる。


 自由を得た船は、ゆっくり前進を始めた。

 


 ――あとは、あなたの意のままに……


 

 尼姫の声が、左前方から聞こえた。

 左舷より下を覗くと、水没する大地で仲間たちが身を寄せ合っている。


(みんな、大丈夫だ!)

 

 神名月かみなづきは手を伸ばす。

 主の意を受けた船は、降下を始めた。

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