終章(拾) 天の箱船
第165話
「
家来たちは
最後に
主人たちの懐に戻ったのだろう。
「すげえな……」
船上を見た
「和製ノアの方舟だな。前に乗った屋形船よりでかいぜ」
その言葉通り、船は壮麗な外観を持っていた。
甲板に、寝殿の母屋が移築された構造だ。
縦は四間(柱間寸法の一間は約三m)、横は三間で、四方は御簾と壁代で覆われている。
その一角の御簾を掲げる和装の男性の顔を確かめた
「弦月さまですね。
「ああ、そんなに畏まらないで」
儀礼に則った態度に、裕樹は惑いつつも背を正す。
「礼を述べるのは私です。けれど……」
顔を曇らせ、寝殿の奥を見た。
手前の畳に、
◇ ◇ ◇
――少し前のこと。
御神木から投げ出された
跳躍力に秀でているとは云え、地上二十階以上からの落下は軽傷では済まない。
霊体であっても、この『魔窟』では限りなく実体に近い感覚を有する。
事実、過去に何度も此処で死んでいるが――
(落下死は初めてだろうな……)
宵の王は御神木に呑み込まれ、地下からは水が溢れ出ている。
これで終わりでは無いだろう。
宵の王を吞み込んだ『何か』が残っている。
なのに、残る者たちに託さねばならない。
「ナシロッちい~!!」
聞き覚えのある声が届いた。
声の主――
現世で生きることが許されない彼女を、この世界に連れて来た。
希望と再生を託して。
ここで斃れてはならない――。
彼女のためにも――。
その一心から、無意識に声を手繰り寄せる。
すると身体が引き寄せられ、板の上に転がり落ちた。
受け身が取れずに全身を打ったが、着ていた
どこに落ちたのか分からぬままで見上げた空は、喘ぐように渦巻いている。
灰色の雲と、闇色の雲。
紫の雷が閃き、轟音が鳴る。
寝ている訳にはいかない。
戦場に戻るべく半身を起こすと――目の前には、父の裕樹が佇んでいた。
「……父さん」
和樹は目を見開く。
紺色の和服と羽織を纏った父は、目を潤ませて微笑んでいる。
死地を潜り抜けてきた息子への想いに溢れる瞳だ。
父は腰を落とし、無言で手を差し伸べる。
和樹は、我が手をそこに重ねた。
闘いに割って入り、自分たちを助けて消えたかに思われた父――。
けれど、こうして温もりを分かち合っている。
言葉は不要だった。
温もりは嘘を付かない。
もう一人の父も、月帝さまが護っていてくださる。
故郷が復活すれば、過去世の父は転生し、新たな世界で『生』を得る。
現世の父は霊界に帰り、そこから家族を見守ってくれるだろう。
その為に――今は気を抜いてはいけない。
四将の顔に戻り、父に問う。
「これは……船なのですか!?」
ようやく、自分の立ち位置を理解する。
帆も
広い甲板の中央には寝殿が乗り、御簾や壁代が風に靡いている。
しかも、宙に浮いているらしい。
船縁から下を覗くと、横倒しの御神木が見える。
船尾からは太い係船索が伸び、その先端は御神木のどこかと繋がっているようだ。
「……あの索を切断しないと危ない!」
如何なる理由で船と御神木が繋がっているのか不明だが、このままでは最悪の事態を招く。
「ナシロっち……!」
黒い子犬を抱き、半泣きで目前に立つ。
彼女を怖がらせないよう、冷静に訊ねる。
「何が起きてるか分かるかい? この船には、他に誰が乗ってる?」
「ナシロっちたちのニセモノと、太郎丸と、お父さま。尼君が四人と、男の子と、家来が六人だよ。みんなで此処に籠もってたら、酷い揺れが来たの。気付いたら建物の下が船だった」
「そうか……」
頷き、船尾を見る。
男たちが集まっているようだ。
「みんなで木に繋がってるロープを切ろうとしてる。でも無理みたいで……」
だれもが、係船索を切らないと危険だと悟っている。
切れば船が落ちるかも知れない。
それでも、切らないよりはましだと、本能が訴えているのだ。
「大丈夫だ、僕が斬る!」
『
この霊刀なら、間違いなく索を切断できる。
――船尾では、四人の偽りと家来たちが必死に刀を振っていた。
しかし鋼のような硬さの係船策は、彼らの刀を弾き返す。
「ああっ! 大将、来たっ!」
いち早く気付いた
「ご無事でしたか!」
「みんな無事だな!?」
彼らの希望に応えねばならない。
「大丈夫だ。みんな助かる!」
目も眩む高さだが、怖じたりはしない。
真下には御神木があり、係船索の先端は霧に隠れている。
しかし、下から水が溢れているのが見える。
地平の彼方からは、波が押し寄せている。
(係船索を斬れば、船を動かすことが出来る筈だ。この船と寝殿は、御神木内の異空間に置かれていた……)
教わった訳では無いが、自然と知識が湧き出でる。
(……蓬莱の尼姫が作った箱舟か……)
――だが、彼女は「来るな」と言った。
いつかの過去世で、「ここに来てはなりません」と。
彼女は、
死しても、『魔窟』に繰り返し還って来る夫――
彼女は、箱舟の中から夫の姿を視ていた。
それは、彼女の喜びだったのかも知れない。
――此処に来ないで――
――あなたが御神木に辿り着いた時、私たちは永久に離別する――
――いつまでも、あなたの姿を見せて――
切ない抗いが聞こえる。
なれど、従うことは出来ない。
両足を踏ん張り、腰を落とし、太刀を振り下ろす。
係船索は鎌首を持ち上げるように弾けて立ち上がり――
腐ったように千切れ、下に落ちる。
自由を得た船は、ゆっくり前進を始めた。
――あとは、あなたの意のままに……
尼姫の声が、左前方から聞こえた。
左舷より下を覗くと、水没する大地で仲間たちが身を寄せ合っている。
(みんな、大丈夫だ!)
主の意を受けた船は、降下を始めた。
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