第164話

「何と、きの良い馳走ちそうよ!」

 宵の王は気が高ぶったかの如く、高らかな声を発する。

 檜扇から放たれる輝火かがりびは、縦横無尽に曲がり、地と風を焼きつつ雨月うげつを囲む。

 

 しかし、雨月は巧みに地から飛び出す根を避け、輝火かがりびを受け流す。

 着目すべきは――彼女が、その場から殆ど動いていないと云うことだ。

 体をその場で反転させても、こちらに近付いたり、跳躍することも無い。

 

(あれも、根を変形させた人形ひとがたでは無いのか?)


 雨月うげつは推理し、防御を縫いつつ、機会を待つ。

 『生首の実』は、もう飛んで来ない。

 背後の如月きさらぎたちは安全だが、水葉月みずはづきが重篤のようだ。

 

 地に張った霊符の結界も解け、美名月みなづきが駆け寄って治療している。

 だが、邪気を体内に吸い入れた代償は大きいだろう。

 水葉月みずはづきの身体は、半ば霊体で構成されているに等しい。

 邪気を吸収するなど、無謀の極みだ。

 布に泥水を浸み込ませるに等しく、後々に完全に身体を清められるか不確定だ。


 この状況下で、闘いの後の心配をしているなど滑稽だ――

 雨月うげつは苦笑いし、しかし直ぐに頬を引き締める。

 太刀に貼り付けた霊符の威力が落ちている。

 限界が近付いているのだ。


 


「チロが!」

 美名月みなづきが叫び、上空に向かう白い光が視界の隅に現れて消えた。

 チロが神名月かみなづきの元に向かったようだ。

 本来が霊体の犬だから可能な技なのだろうが……

 

「馬鹿だよ……!」

 如月きさらぎの振り絞った声が聞こえた。

 彼も、兄の最期を悟ったようだ。

 

 八十八紀の四将の『叙任の儀』で目にした神鞍月かぐらづきの晴れ姿を思い出し――痛みが溢れる。

 無数の犠牲の果てに、枯れ野のみが残った。

 再生への道筋は見えたが、今までの闘いは何なのかと問う。

 費やした月日は、余りにも長い。



 

「……死によったか」


 宵の王も動きを止め、嘲るように背後の御神木を見上げた。

 雨月うげつも、太刀を斜めに構えたままで静止する。

 太刀に貼り付けていた霊符は、細かな紙片となって風に舞う。


 宵の王はそれを目にも留めず、檜扇を畳み、袴の隙間に差した。

「愚かよ。破滅を望み、その願を叶えた。なれど下賤な情に囚われて隙を成し、放逐した亡者どもに倒された。かくなる愚郎が、我を創ったとは……」


「……人に生まれた者は、人であることから離れられぬのです」

 伝わらぬと思いつつも、雨月うげつは諭す。

 宵の王は冴えざる瞳を据え、誰にともなく聞く。


「人ならぬものは、人になれぬか……」

 

 その身から、殺気は消えている。

 半身とも云える神逅椰かぐやが息が絶え、変化が生じたのだろうか。

 

 けれど雨月うげつは、気を抜かない。

 宵の王の視線の先――自分の背後には、如月きさらぎたちが居る。

 氷の術は放てないが、如月きさらぎから渡された守護霊符はまだ効いている。

 ほむらの高熱は防ぎきれずとも、斬り込めば勝機はある。


 


「……憎悪より生まれしは、憎悪に還るのみ」

 宵の王は滔々とうとうと呟き、瞼を閉じた。


 次の瞬間――

 突き上げた根が。宵の王の胸を貫通した。

 上半身を前に倒した身体は根に持ち上げられ、瞬く間に御神木の幹に捻じ込まれて消えた。


 直後に――御神木は、ぐらりと傾いた。

 見えない巨大な手で引き抜かれた如くに。

 地に張っていた無数の根も剥き出しになり、下から水が溢れ出す。



「まずい!」

 雨月うげつは危機を察し、如月きさらぎたちに走り寄る。


水葉月みずはづきは動けるか!?」

「無理だ!」


 如月きさらぎは答え、自分のマントを彼に巻く。

 身を呈して、神逅椰かぐやの邪気を絞り出したのだ。

 だが、無事に済む筈は無い。

 蒼白な顔色で震えるばかりで、こちらの言葉も届いていないようだ。

 美名月みなづきが両手をかざして癒しの霊気を注いでいるが、回復するか分からない。


 雨月うげつ如月きさらぎは無言のうちに彼を抱え、白炎の背に乗せる。

 美名月みなづきにも後ろに乗るように命じたが――その時には、御神木の根が完全に浮き上がっていた。

 溢れる水の量も増えている。



神名月かみなづき、チロ、そこに居るか!?」

 呼びかけたが、返答は無い。

 浮き上がった御神木は、ほぼ水平に近い状態になっている。


 枝は折れ、剥がれ落ちるように幹の皮が割れ、水が噴き出す穴に落ちて行く。


 茶室の少女が語った神話が事実であれば、伊弉諾神古門イザナギノミコトが、怨霊化した妻の伊弉冉神古門イザナミノミコトを封じた『穴』と云うことになる。



「御神木には、みんなの魂が封じ込められているんじゃ!?」

 如月きさらぎは絶望的な叫びを上げる。

 だが、雨月うげつにも為す術が無い。

 しかも、溢れる出る水がくるぶしを濡らし始めた。

 

「うそ……!」

 美名月みなづきは振り返る。

 背後から、津波が寄せて来る。

 それを認めた瞬間に、月も夜空も掻き消え、灰色の空が現れた。


 周囲は海に囲まれ、中洲のような場所に雨月うげつたちは立っていた。

 海風は凍えるように冷たく、容赦なく身体に吹き付ける。

 周囲には、岩の一つも無い。

 果て無い海が広がっているだけだ。



「『無月なづきの磯』か……」

 雨月うげつは嘆いた。


 罪人が堕とされると云う、流刑の地だ。

 堕とされた者は凍える海風に晒され、手足を斬られ、海水に浸けられ、熱した鉄棒で皮膚を焼かれる。

 しかし朝には傷は癒え、それが無間に繰り返される。

 


「おいおい、寒中水泳かよ。こりゃ、オホーツクの時より酷いぜ」

 如月きさらぎは、騎乗している二人を見上げた。

 水位は上がり、脛を濡らし始めた。

 

 雨月うげつは、冷静に指示を出す。

美名月みなづき。例の首飾りを使って、現世に戻るんだ。チロも呼べ。どこかを飛んでいるかも知れない」


「ええ!?」

水葉月みずはづきは置いて行くんだ。君とチロだけでも」


 雨月は、水葉月みずはづきの身体に手を掛けた。

 これだけの負傷をした水葉月みずはづきは、現世に戻っても生存は期待できない。

 戻る道中で通る『黄泉の川』に流されたら、いずれは彼の魂は消滅する。

 ならば――共に残る道を選ぶ。


「嫌だよ! 悪霊が出て来て闘うなら、あたしが怪我を治す!」

「うるせー。化け猫。猫なら、人間様に従え」

「バカ! アホ!」


 美名月みなづきは両手を振り、軽口を叩く如月きさらぎを睨む。

 が、水位は上がり、寄せる波も近付いて来る。



美名月みなづき、行け!」

 雨月うげつは叫び、手綱を掴む。

 君は生き延びろ、と真摯な瞳が命じている。


 ――不意に、頭上に影が落ちた。

 風の方角が変わり、冷たさも凪いだ。

 

 如月きさらぎはベレー帽に手を当て、上を見る。

 すると、巨大な何かが真上に在った。



「みんな、大丈夫だよ!!」

 聞き覚えのある少女の声だ。


「え……?」

 美名月みなづきは背を逸らし、頭上の影の正体を捉えようとした。

 木目の在る巨大な物体が、上に在る――。


 その影は、斜め前方にゆっくり移動した。

 高度が下がり、上から叫ぶ人々が見える。


「みんな! 無事か!」

 叫ぶ神名月かみなづきの顔が見える。

 肩に乗っていたチロが飛び降り、如月きさらぎの頭に着地した。


「これは……!」

 頭上斜め横を飛ぶそれは――船だった。

 広い甲板の縁から、身を乗り出す人々が確認できる。


 神名月かみなづき黄泉千佳ヨミチカ、そして雨月うげつが居る。

 半円形の船底は、雨月うげつたちの頭上の高さまで迫った。

 

 

「黒炎、行け!」

 雨月うげつが叫び、彼の横に出現した黒炎は軽々と跳躍し、雨月うげつたちの横に降りる。


「……ありがとう!」

 雨月うげつは素早く行動する。

 美名月みなづきを黒炎に乗せ、水葉月みずはづきを支えつつ、白炎の手綱を取る。


「行けるぜ!」

 黒炎の手綱を取る如月きさらぎは、その脇腹を軽く足で押す。


「跳べ!」

 雨月うげつは力強く手を掲げる。

 二頭の霊馬は高々と飛翔し、船の甲板に緩やかに着地した。

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