第164話
「何と、
宵の王は気が高ぶったかの如く、高らかな声を発する。
檜扇から放たれる
しかし、雨月は巧みに地から飛び出す根を避け、
着目すべきは――彼女が、その場から殆ど動いていないと云うことだ。
体をその場で反転させても、こちらに近付いたり、跳躍することも無い。
(あれも、根を変形させた
『生首の実』は、もう飛んで来ない。
背後の
地に張った霊符の結界も解け、
だが、邪気を体内に吸い入れた代償は大きいだろう。
邪気を吸収するなど、無謀の極みだ。
布に泥水を浸み込ませるに等しく、後々に完全に身体を清められるか不確定だ。
この状況下で、闘いの後の心配をしているなど滑稽だ――
太刀に貼り付けた霊符の威力が落ちている。
限界が近付いているのだ。
「チロが!」
チロが
本来が霊体の犬だから可能な技なのだろうが……
「馬鹿だよ……!」
彼も、兄の最期を悟ったようだ。
八十八紀の四将の『叙任の儀』で目にした
無数の犠牲の果てに、枯れ野のみが残った。
再生への道筋は見えたが、今までの闘いは何なのかと問う。
費やした月日は、余りにも長い。
「……死によったか」
宵の王も動きを止め、嘲るように背後の御神木を見上げた。
太刀に貼り付けていた霊符は、細かな紙片となって風に舞う。
宵の王はそれを目にも留めず、檜扇を畳み、袴の隙間に差した。
「愚かよ。破滅を望み、その願を叶えた。なれど下賤な情に囚われて隙を成し、放逐した亡者どもに倒された。かくなる愚郎が、我を創ったとは……」
「……人に生まれた者は、人であることから離れられぬのです」
伝わらぬと思いつつも、
宵の王は冴えざる瞳を据え、誰にともなく聞く。
「人ならぬものは、人になれぬか……」
その身から、殺気は消えている。
半身とも云える
けれど
宵の王の視線の先――自分の背後には、
氷の術は放てないが、
「……憎悪より生まれしは、憎悪に還るのみ」
宵の王は
次の瞬間――
突き上げた根が。宵の王の胸を貫通した。
上半身を前に倒した身体は根に持ち上げられ、瞬く間に御神木の幹に捻じ込まれて消えた。
直後に――御神木は、ぐらりと傾いた。
見えない巨大な手で引き抜かれた如くに。
地に張っていた無数の根も剥き出しになり、下から水が溢れ出す。
「まずい!」
「
「無理だ!」
身を呈して、
だが、無事に済む筈は無い。
蒼白な顔色で震えるばかりで、こちらの言葉も届いていないようだ。
溢れる水の量も増えている。
「
呼びかけたが、返答は無い。
浮き上がった御神木は、ほぼ水平に近い状態になっている。
枝は折れ、剥がれ落ちるように幹の皮が割れ、水が噴き出す穴に落ちて行く。
茶室の少女が語った神話が事実であれば、
「御神木には、みんなの魂が封じ込められているんじゃ!?」
だが、
しかも、溢れる出る水が
「うそ……!」
背後から、津波が寄せて来る。
それを認めた瞬間に、月も夜空も掻き消え、灰色の空が現れた。
周囲は海に囲まれ、中洲のような場所に
海風は凍えるように冷たく、容赦なく身体に吹き付ける。
周囲には、岩の一つも無い。
果て無い海が広がっているだけだ。
「『
罪人が堕とされると云う、流刑の地だ。
堕とされた者は凍える海風に晒され、手足を斬られ、海水に浸けられ、熱した鉄棒で皮膚を焼かれる。
しかし朝には傷は癒え、それが無間に繰り返される。
「おいおい、寒中水泳かよ。こりゃ、オホーツクの時より酷いぜ」
水位は上がり、脛を濡らし始めた。
「
「ええ!?」
「
雨月は、
これだけの負傷をした
戻る道中で通る『黄泉の川』に流されたら、いずれは彼の魂は消滅する。
ならば――共に残る道を選ぶ。
「嫌だよ! 悪霊が出て来て闘うなら、あたしが怪我を治す!」
「うるせー。化け猫。猫なら、人間様に従え」
「バカ! アホ!」
が、水位は上がり、寄せる波も近付いて来る。
「
君は生き延びろ、と真摯な瞳が命じている。
――不意に、頭上に影が落ちた。
風の方角が変わり、冷たさも凪いだ。
すると、巨大な何かが真上に在った。
「みんな、大丈夫だよ!!」
聞き覚えのある少女の声だ。
「え……?」
木目の在る巨大な物体が、上に在る――。
その影は、斜め前方にゆっくり移動した。
高度が下がり、上から叫ぶ人々が見える。
「みんな! 無事か!」
叫ぶ
肩に乗っていたチロが飛び降り、
「これは……!」
頭上斜め横を飛ぶそれは――船だった。
広い甲板の縁から、身を乗り出す人々が確認できる。
半円形の船底は、
「黒炎、行け!」
「……ありがとう!」
「行けるぜ!」
黒炎の手綱を取る
「跳べ!」
二頭の霊馬は高々と飛翔し、船の甲板に緩やかに着地した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます