間章 夜干玉(ぬばたま)の夢

第152話

 ――足音が響いた。

 

 足元の地は、変哲なき只の土に見える。

 だが、靴音が異様に大きく反響して聞こえる。


 己の存在を知らせる如き音だ。

 全員が、音の方向を探る。


 音は紛れなく――真正面の御神木方向から放たれている。



 御神木の白い輝きの中から、人形ひとがたの黒い影が現れた。


 影の二本の足が動き、ミディアムロングの髪がなびくのが見える。


 神名月かみなづきたちはゆっくり瞬きをし、その姿を鮮明に捉えようとした。


 動く人影から、黒が取り払われた。


 近付いて来るのは、桜南高等学校の制服姿の少女だ。


 蓬莱天音と同じ容姿の少女だ。


 少女はふと立ち止まり、風になびく髪を押さえる。


 その表情は少し哀し気で、目の前の少年たちへの少しの非難が見て取れる。



 ――どうして、ここに来たの?

 ――私は、今のままでいたい。

 ――この世界を、壊さないで。


 

 少女の黒い瞳が、たどたどしく哀願する。



「……この地のあるじたる御方とお見受けいたします。我らは、月帝さまにお仕えする近衛府『第八十九紀の四将』にございます。御名をお聞かせ願えますか?」


 雨月うげつは、穏やかに語り掛けた。

 四将たちは、片膝を付いて拝礼する。

 

 すると、彼らの衣装は、高校の制服に変化した。

 雨月うげつ神名月かみなづきの太刀はそのままだが、如月きさらぎ水葉月みずはづきの刀は消えた。

 二人が腰を探ると、霊符はそのまま残っている。

 彼らの最強武器を消すことは不可能だったのだろうか。


 

「そこのクソ……教えてやれ」

 見守っていた黄泉姫が、少女を顎で差す。


 少女は顔を伏せ、両手を合わせて祈るような仕草をした。

「……名乗れば、あなたは消えますのよ? 蓬莱の比丘尼びくにさまも」


 その非情な言葉に、美名月みなづきは戸惑いを隠さない。

 主であった玉花ぎょくかの姫君と同じ顔の人物だ。

 だが、この口から発せられた言葉は、好ましからざるものだ。


「ふん。クソ尼は、ここに隠れているのか? 恥ずかしくて、顔を出せぬか?」

 黄泉姫は怖じた気配も無く、自嘲する。

「お前たち、その女と行け。すぐに取って食う気も無さそうだ」


「はい。茶室を用意いたしました。私が、亭主を勤めさせていただきます」

 少女は、姿勢を正して微笑んだ。

「茶室の傍に、小さな馬屋もあります。わんこちゃんのベッドも用意しました。美名月みなづき、あなたは私の手伝いをして」


「え? でも、あたしはお茶とか全然分からない……」

「気にしなくても良いの。内々のパーティーだから」


「……はい……」

 美名月みなづきは理解できぬままで返答し、すると彼女の衣装も制服に変わった。

 美名月みなづきは制服のスカートを膝上まで持ち上げ、少しの笑顔を取り戻す。

 現世での御主人の久住千佳が、初めて制服に袖を通した時に、何度も鏡を覗き込んでいたのを思い出したから。


「とっても可愛いわ、美名月みなづき

 

 少女は微笑んだが――すぐに視線を四将に戻した。

 懇願するように、彼らを見つめて止まない。

 


「では、御招待に預かります」

 雨月うげつは太刀を持って立ち上がり、一礼する。

 他の三人も、異を唱えなかった。

 

 今、流れに身を任せることは、決して間違っていない――。



「黄泉の御方おんかたさま……御世話になりました」

 雨月うげつは振り向き、深々と頭を垂れる。

 目の前の、不可思議な姫君との別れの時だ。


 善意に満ちた人格では無くとも、自分たちを助けてくれたことには変わりない。

 彼女の助けあればこそ、ここまで到達できた。

 後は――祈るのみだ。


黄泉千佳ヨミチカを助けて下ったこと、心より感謝しています」

 神名月かみなづきも太刀を持ったまま、感謝の言葉を送る。

 

 そして、この瞬間――黄泉姫の背後に、『果てなる者』が視えた。

 その御顔は、全ての不安を払拭させるような慈悲を讃えている。



「……行こう」

 神名月かみなづきは、皆を促した。


 如月きさらぎは軽く手を振り、水葉月みずはづきは拝礼にて、黄泉姫への別れを告げる。


 蓬莱天音の姿を映した少女は、一同の別れの儀が済んだと見取り、踵を返して歩き出す。

 

 四人は振り向かず、しかし白炎の手綱を引く美名月みなづきは何度か振り返った。

 名残り惜しそうに瞳を潤ませ、唇を噛み締めて――。




 やがて、一同の姿は御神木の輝きの中に消えた。

 足音も呼吸音も、風の音さえ閉じられた。


 宵闇の無音の中で、黄泉姫は目をつむり――呟く。

「……ぺったんこ~、か……」

 

 だが――気配に気付き、体の向きを変えた。

 そこには、比丘尼びくにが居た。

 亜夜月あやづぎにも、水影月みかげづきにも似た、人生の半ばを生きた齢に見える。


 張り詰めていた気力が失せ、体が大きく揺れ――

 そして、比丘尼びくには、その魂を両腕で包んだ。


「……辛かったであろう。だが、其方そなたは立派だった。精一杯、やり遂げた」


 『大いなる慈悲深き御方』の、慈しみに満ちた声が染み込む。


其方そなたは、もはや『蓬莱の姫』の影にはあらず。その心は、ひとつの光である。ひとつの魂である。しばし、眠るが良い。目覚めし時には、小さな指の先にて金色の稲穂が揺れているであろう……」


 

 ――『大いなる慈悲深き御方』の胎内に、その光は還った。

 

 残ったのは、寂淵たる月景色のみ。

 

 そのうちで――最後の闘いは始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る