第151話
「やめてっ!」
血飛沫と共に、鉛色の刃は虚空の闇に溶けて消えた。
そして前のめりに
刀は、左下腹を貫いて引き抜かれていた。
鮮血が溢れ、膝元の血だまりが波紋のように広がる。
「……孫なの。私の孫よ……」
祖母君はよろよろと、傀儡に近付く。
深紅の長袴は、それ自体が出血しているように血塗れだった。
進むごとに、地に筆で描いたような血痕が残る。
「あれれれ~?」
傀儡は白目を剥き出して哄笑した。
「ババァが出て来ちゃった~。おーい、こいつらのお母さんはいませんか~? 子どもたちが悪さしてるから、叱ってくださーい」
「……黙れ」
黄泉姫が動いた。
修羅の眼差しで傀儡に背後を取り、刀を振る。
傀儡の首は皮一枚を残し、折れるようにぶら下がり――落下した。
上半身も崩れ落ち、乾いた泥のように砕けて、ひと固まりの残骸と化す。
しかし、首だけは朽ちずに転がったままだ。
歪んだ笑顔のまま――固まって沈黙している。
それを見つめる祖母君は、悲痛な声を上げた。
「あ、あ、あ……」
そして膝を付き、落ちた首に手を伸ばす。
「どうしたの、ガレシャ……ああ、公主さま。どうして、私の孫を……」
身に血が染みることなど構わず――祖母君の両腕を取り、胸に当てて囁く。
「おばあさま……大丈夫です。それは、兄上ではありませぬ」
「……アラーシュ……?」
「はい、おばあさま……」
優しく答え、ゆっくりと祖母君を座らせる。
「おばあさま。兄上は父上と一緒に、月帝さまの御殿に出仕なさっています。もうすぐ、お帰りになられますよ」
「そう……そうだったわね。ああ、
「お
「……ああ……眠いわ……アラーシュ……手を握っていて……」
祖母君は瞼を閉じ――孫の腕に身を預けた。
その身は枯れ行き、塵となって地に落ちる。
しかし、
それは隠れるように、
彼の持つ霊符を探し当てたのか――その一枚に吸い込まれて消えた。
「……うああああああん」
「
「……はいっ」
如月は直ぐに、うずくまる友に駆け寄った。
ベルトに挟んだ数十枚の霊符の中から、迷わずにその霊符を探り当てる。
それは温かく、しっとりと指先に馴染んだから。
「祖母君の魂は、この近辺に囚われていたのであろう。
黄泉姫は――残っていた生首を刀で突き刺した。
串刺しになった生首は崩れ散ったが――しかし、刀身には
「これは……」
彼らが生きた時代より、百年以上前に禁術とされた
名は、自らの血を混ぜた墨で記さなければならない。
その人形を土に埋め、その上で火を焚く。
さすれば、相手は高熱を発して死に至る――と信じられた。
上流階級の者たちが本名を明かさないのは、この
「……出血は止まった」
見ると、刺傷に当てた霊符には、一滴の血も付着していない。
蒼白だった
だが、まだ痛みは残っているようだ。
糸に治癒能力が織り込まれており、回復を助ける。
「……助かった。君のおばあさまのお陰だ」
「いや、別に……すまん」
息を整える
そもそも、刺したのは祖母だ。
だが、
「君のおばあさまの御心が伝わる。最後まで、
「……分かんねえよ……」
「……何で、あんな糞野郎の心配なんか……」
「家族を愛するのは……当然だろう?」
「祖母君は、御家族を愛していらっしゃる。お前は、宰相の父君とも距離を置いていたけれど……」
「だな。宰相も、息子を心配する普通の父君だった」
「敵は、
「……お人好しだな」
「あんた馬鹿だよ、
その両目からは、涙が溢れる。
今まで、必死に偽ってきたものが決壊した瞬間だった。
憎むことだけが、仲間への償いだと思っていた。
憎むことだけが、裏切られた悲しみを忘れさせてくれた。
だが、その必要は失せた。
如月の右横に付いていたお面が、そっと外れ――落下した。
「ワン!」
チロが白炎の背から飛び降り、お面を踏んで着地した。
お面は玉子の殻のように砕け、地と同化して消えた。
「……あ……俺……」
「ひょっとして、前のような『氷の術』が使えないかも知れない……」
「使えなくて当然だ。元々、そんな術は使えなかったんだし」
痛みも消えたのか、眉間の皺も消えている。
「俺は浄化術の、お前は守護術の使い手だった。元に戻っただけだ」
「そうか……」
抱き続けた兄への『憎悪』は――地に吸い込まれて消えたのだろう。
あのお面は、『憎悪』の具現化だったのかも知れない。
それとも、『憎悪』の暴走を抑えるための枷だったのかも知れない。
いずれにしても、
友への負い目、兄の罪への罪悪感と憎悪――
それらが解け、欠けていた最後の一片が嵌まった。
「ねえ、あたしのドレスに付いた血も消えた!」
「魂の出血や痛みは、
「……解かっています」
「我ら全員、現世に生きて帰ります。ジャムパンを食べなくてはなりませんから」
「……そうであったな」
黄泉姫は笑った。
その笑顔は、
……頭上で、真紅の雷が閃いた。
肉茎に囲まれた空洞の中を突風が過ぎる。
糸が解けるように、肉茎が引き千切れていく。
細切れとなった肉茎は突風に攫われ、虚空へと消える。
肉の囲いは全て消え、一同は目を凝らした。
夜空は澄み、中空に金色の月が浮かんでいた。
それは、世の中心であるかの如く、煌々たる光を放っている。
その真下に、白く輝く御神木が佇んでいた。
隙間なく枝を覆う花は風に揺れ、散り、根元に積み重なっている。
舞う花びらに――
返した手のひらの中に、一枚の花びらが収まる。
それは、かつて――妻の髪を飾ったのと同じ花だ。
あの日――墨染めの
最期に見たものは、その人の香しい笑みだった。
「……宵の王……」
黄泉姫が真正面を見据え、虚ろなる声で言う。
月の光。
風の音。
花の香。
雅なる情景を背に、それは姿を現した。
何かを引き摺りながら。
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