第149話


 地を爆ぜる振動は、その寝殿にも到達した。

 噴く鮮血のような赤黒い壁が出現し、突き上げる衝撃が母屋を揺らす。


「おい、中に入れ!」

 雨月うげつは、ひさしに固まっている十名ばかりの家来に声を張る。

 許しを得た家来たちは悲鳴を上げつつ、御簾の内の母屋に飛び込む。

 御簾も強風に煽られ、引き千切れんばかりに浮き揺れる。


 床がしなり、天井が軋む。

 立て障子が揺れ、その傍に座る四人の尼たちは抱き合って経を唱えた。


「立て障子を外に投げ出せ! 危険だ! 几帳も文机もだ!」


 雨月うげつが指示し、神名月かみなづきたちや家来たちは調度品を御簾の下から外に放り出す。

 燭台も投棄され、室内は薄闇に覆われる。


 尼たちは顔を隠すように寄り添うが、黄泉千佳ヨミチカは大きなひつに抱き付いた。

「これは捨てちゃ駄目! 黄泉のお姫様から預かった物語の巻物と、サトウキビの苗が入ってる!」


 ひつの四方には隈なく護符が貼られているが、放り出したらどこに飛んで行くか分からない。

 破壊を免れても、生き残った者の目に届かぬ場所に落ちたら無意味だ。


「……好きにしろ!」

 雨月うげつは、中央に座す弦月げんげつ小君こぎみを振り返る。

 弦月げんげつは唇を噛んではいるが、恐れた様子は無い。

 小君こぎみは、その膝に顔を埋めて震えるばかりだ。


 寝殿の壁や柱に護符は貼ったが、その霊力を上回る力に翻弄されている。

 壁や柱が形を崩れないのが不思議なぐらいだ。


「みんな、ひつの周りに集るんだ! 尼君たちも……男の傍は不快かも知れませんが、生き延びることが大切なんです! 小君こぎみ黄泉千佳ヨミチカは、尼君たちを守って!」


「……小君こぎみ

 和樹の父――弦月げんげつは、落ち着いて語り掛ける。

「大将の指示に従うのです。元服前の君なら、尼君に触れても許されるでしょう」

 

「……はい!」

 鼓舞された小君こぎみは、尼君たちに這い寄った。

「尼君さま、ひつに触れていて下さい。四将の方々が、周りを固めます!」


「……はい」

 有明の尼君は頷き、他の尼君たちと共に数珠を持つ手をひつに掛けた。

 小君こぎみ黄泉千佳ヨミチカは、彼女たちの墨染のうちきの裾の上に座り込む。

 僧衣を踏むのは無礼千万だが、礼儀に拘っている時では無い。

 家来たちもひつを囲み、ひたすら祈る。



「抜刀しておけ!」

 雨月うげつが命じ、神名月かみなづき如月きさらぎ水葉月みずはづきも太刀を抜く。

 この厄災の前には、無意味な行為だろう。

 

「はは……こわいね……」

「うん……」


 如月きさらぎ水葉月みずはづきは、互いの震える腕を見る。

 本物のような術は使えず、出来ることは太刀を振ることのみだ。

 

雨月うげつくん、すごいね……本物みたい」

 神名月かみなづきは、険しい顔付きの雨月うげつを見る。


「でも、僕がんばる! 尼君の中に、僕のお嫁さんになる人がいるかも知れない」

「あー!」

「そっかー!」

 

「……ばか」

 頷き合う三人を、黄泉千佳ヨミチカは呆れ目で眺めた。


 しかし、振動は酷くなる一方だ。

 寝殿の下に、まだ地面があるのだろうか――

 はためく御簾の向こうに見える不気味な肉茎から逃れられるのだろうか――



「蓬莱の尼姫は何処に?」

 怯える者たちを見かね、弦月げんげつは誰にともなく訊ねた。

 しかし、全員が首を横に振る。

 主の尼姫は、もう長いこと此処を訪れていない。

 御姿を確認したのは、いつだっただろう――。




「天井が!」

 家来が叫んだ。

 緩やかな三角を描いていた屋根が、引き剥がされた。

 大音声と共に吹き飛び、一瞬だけ見えた夜空は、たちまち肉茎に覆われた。



「そんな!」

 黄泉千佳ヨミチカは、絶望に満ちた眼差しを天に向ける。


 長い舌のようにも見える肉茎は這うように蠢き、四方の内壁を捉えた。

 雨月うげつは自分の無力さを恨む。

 そして悔いた。


 護符で守られたひつの中身を捨てれば、数名は入ることが出来た。

 心を鬼にして、女と男を四人だけ選んで中に入れるべきだった。

 そうすれば……


 

「待って……!」

 

 小君こぎみが衿の合わせ目を開く。

 合わせの下から、純白の閃光が漏れた。


 眩い光は温かく――花の香りを放ちながら、床や壁を覆った。

 振動は止まり、ひるがえる御簾も垂直に静止した。

 光は肉茎を弾き返し、輝く壁となって天井を塞ぐ。


 薄闇は払われ、室内は静寂に包まれ、皆が安堵して顔を見合わせる。

 尼君たちは皆の無事を喜び、黄泉千佳ヨミチカ小君こぎみは姉弟のように抱き合う。

 だが――如何なる力が働いたのか見当も付かない。



小君こぎみ……それは?」

 弦月は訊ねたが、小君こぎみも不思議そうに首を傾ける。


「分かりません……着ていた小袖が、急に温かくなって……」

「小袖が……?」


「貴族の方々が纏う上質の絹で仕立てられています。自分ごときが、かような絹を身に付けていた理由は分かりませんが……」


 すると、早蕨さわらびの尼君が指摘した。

「その絹は、紛れなく王后さまのものでございます。光が放たれた時の香りは、王后さまが好む『侍従香』でした……」


 

「あの御方か……」

 雨月うげつは――ゆっくりと太刀を置き、手を合わせた。

 以前に、王后さまにも尼君たちにも大変な無礼を働いた。

 神逅椰かぐやの命令とは云え、王后さまと尼君たちの住まいに押し入り、監視のために逗留した。

 当時は善悪の判断が出来ない状態だったが、そんな言い訳が通用する筈も無い。



「我らの過ちを……許していただけましょうか……」

 雨月うげつは膝を落とし、寄り添う尼君たちに深く頭を垂れる。

 他の三人も、素直に彼に倣った。

 かつての非礼が重く恥ずかしく、頭を上げられない。


 

「……もう、許されております」

 伊予いよの尼君と撫子なでしこの尼君は、袖で顔を隠しながら声を揃える。

「この寝殿を守ろうとする皆様の御心、確かに拝見いたしました」

「だからこそ、王后さまが護ってくださったのです」



「あの……たった今、思い出しました。御言葉を預かっています」

 小君こぎみは戸惑いつつ、けれど明瞭に発声した。

 

神名月かみなづきは、誇りを持って生きた。こう父上に伝えて欲しいと……この言葉を、お預かりしていました」

 


 息さえも止まったように、母屋が静まり返る。

 それが辞世の言葉であることを、誰もが悟った。


 過去世での出来事を正確に知る者、全てを覚えている者は、此処には居ない。

 たちでさえ、本人たちの最期の時間は知らない。

 だが、少年への言伝ことづては最期の『想い』なのだ。



「ああ……」

 尼君たちは泣き崩れた。

 八十九紀の四将たちが処刑されたことも、転生して闘っていることは知っている。

 だが、その誇り高い最期の言葉は知らなかった。

 

「ニャシロっち……」

 黄泉千佳ヨミチカも両目を擦り、たちも目を拭う。


 そして、現世の父親の神無代裕樹は……小君こぎみを抱き締めた。

 力強く、前を向いて言う。


「確かに受け取りました……。今は祈り、願いましょう。我々は無力ですが、祈りと願いはそうではありません。それが一筋の糸の如く細くても、間違いなく彼らに届くでしょう」


「はい!」

 全員が声を揃えた。

 尼君たちも小君こぎみも、光が注ぐ天を見上げて祈る。

 家来たちは経を唱和し、重なった声は力を増す。


「ニャシロっち、頑張れ!」

 黄泉千佳ヨミチカは立ち上がり、声援を送った。

 四将は太刀の柄を握り、刃の先を天に向ける。


(みんな……頼む!)

 神無代裕樹は、瞼を閉じた。

 その裏に、白磁の光が飛翔するのを感じた。


 それは、無数の祈りだった。



(みんな、生きて帰るんだ!)


(待ってるからな、ひとりも欠けずに戻って来い!)


(夜食も作ったんだから……帰って来てくれるわね?)


(君たちの家は此処だ。此処が君たちの故郷だ)


(ナシロくん……また一緒に学校に行こうよ!)


(ミゾレにゃん……)



 祈りは渦巻き、次第に大きくなる。


(和樹……母さんが待ってるぞ!)

 

 光に向かって、願いの全てを放った。



 ◇ ◇ ◇


 参考までに、この話とリンクする第9話のアドレスを貼って置きます。


 https://kakuyomu.jp/works/16816700428178248114/episodes/16816700428569187892

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