序の章 黄泉月の記億/近衛府の四将 (残酷描写あり)

第9話

 白い小花は強風に晒され、宙を舞い踊る。

 見上げた空は澄みきった碧だ。

 天上から穏やかな光が差し、さえずる鳥たちが群れを作って飛び去って行く。



 『花窟はなのいわ』の国に、『月窟つきのいわ』の国軍が攻め入ったのは、十五夜ほど前のこと。

 賢明なる花弦かげんおうは、民に都を脱出するよう命じた。

 王都を守る衛門府えもんふにも、民の脱出を助けるよう命じた。

 けれど、敵の進軍は早く、都の王宮『宝蓮宮ほうれんのみや』も敵軍に包囲された。

 花弦かげんおうは、民に危害を加えぬことを条件に『宝蓮宮ほうれんのみや』を無血開城した……。





「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ……」

 狂気じみた笑いが響き渡る。

 四方を回廊に囲まれた『宝蓮宮ほうれんのみや』の中庭の中央には、御神木のナギの木がそびえている。

 それを囲むように白い布屏風が張り巡らされ、外側には武装した衛士たちが、隙間なく立っている。

 衛士たちは『月窟つきのいわ』の国の者たちであり、弓と刀を携えているが、恐怖と絶望に蒼ざめている。

 

 これから、花弦かげんの王と王后おおきさき、そして玉花ぎょくかの姫君の処刑が行われるのだ。

 王后おおさきは『月窟つきのいわ』の月帝の妹であり、うら若き姫君までも処刑すると宣告した月の近衛このえ総大将の神逅椰かぐや殿の非道さとおぞましさに、臣下の衛士たちも怯え切っている。


「月の帝国にあだを為す罪人が! 王どもは木に吊るして、からすのエサにしてくれる! 王族は吊るして処刑するのが決まりだからなぁ~!」


 布屏風超しに揺れる男の影と哄笑に、若い衛士のひとりが立ったまま嘔吐した。

 別の衛士は瞬きも忘れ、左右に体が揺れるほどに震えている。

 この男を放置すれば、いずれは月の帝国にも、災禍は及ぶことは見えている。

 だが、もはや止める術は無い。

 月帝げっていは病に伏し、もはや目は見えず、立つこともままならず。

 それに乗じた神逅椰かぐや殿は、自ら宰相さいしょうを名乗り、月帝に代わって『月窟つきのいわ』の帝国を意のままに動かしていた。



 

 しかし布屏風の内にて、地に置かれた半畳に座らされた囚人たちは、微塵たりとも高潔な心を失ってはいなかった。

 

 花弦かげんの王は白き衣を重ね、白き長袴を履き、墨染の薄い表着を羽織る。

 御髪おぐしは高僧の手で剃られ、白い帽子もうすを被っておられる。御手の中には、星月菩提樹の木から彫られた数珠がある。

 それを握り、ただ静かに祈る。

 

 その左に座す王后おおさきさも白きうちきに、黒き長袴、墨染の小袿こうちぎを重ね着ていらっしゃる。

 長い御髪おぐしは、やはり高僧の手で、肩の下で断たれている。

 御神木を眺め、数珠の珠の数を数え、『大いなる慈悲深き御方』に魂をゆだねる。

 

 その隣に座す玉花ぎょくかの姫君も、御母君同様の装束を纏われている。

 御親と同じ数珠を握り締めていらっしゃるが、御髪おぐしは断たれてはいない。

 艶やかで豊かな黒髪は半畳の下に零れ落ち、それを飾るのはどこからか舞い落ちてきた白き花びらたちだ。

 御母君の御手で御髪おぐしを断っていただきいと望んだが、よこしまなる神逅椰かぐや殿は、それを阻んだ。

 民の命をはかりに掛けられ、姫君は心ならずも承諾せざるを得なかった。


 

 最期の時を心静かに待つ王族の方々に向き合う形で、やはり処刑を待つ若者たちがいた。

 彼らはわらの上に座らされ、粗末な生成りの上衣と袴を身に付けている。

 腰に届くほどの長さの髪は、ひとつに束ね、背に垂らしていた。

 二十歳を越えていない若者たちは、月帝げっていを護衛する武官『近衛府このえふの四将』のうちの三将だった。


 中央に座すのは四将の長を務める『北門の大将』の雨月うげつ殿。

 花弦かげんおうと対峙して座すのは、『西門の将』の如月きさらぎ殿。

 玉花ぎょくかの姫君と対峙し、無言で見つめ合うのは、『東門の将』の神名月かみなづき殿である。

 

 彼らは数珠を持つことも許されず、重罪人として処刑される。

 しかし、彼らの瞳の静謐せいひつな輝きは失せてはいない。

 取り乱すこと微塵も無く、誇りを見失うこと無く、背を真っすぐに伸ばし、両膝に拳を当て、穏やかに自らの運命を見つめている。


 六人の囚人たちの真後ろには、抜き身の太刀を携えた衛士たちが立つが、その中の誰一人として、この処刑を望んではいない。

 囚人たちの気高き様を見るにつれ、己の恥が募るばかりだ。


 

 だが、衛士たちの不穏なる気配に苛立った神逅椰かぐや殿は命じた。

「クソガキ、出て来い!」

 すると、背後の布屏風の陰から少年が現れた。

 生成りの貫頭衣を着て、わらで編んだ草履を履いている。

 髪は後ろでひとつに結び、その手には鉄製のハサミが握られていた。

 少年は肩を縮め、恐怖に耐えながら進み出る。

「ガキ! この謀反人むほんにんどもの髪を断て!」


 しかし、少年は動けない。

 恐怖のせいだけでなく、髪を断たれるのは屈辱的な刑罰だと知っているからだ。

 高僧の手で断たれる『受戒じゅかい』と異なり、貴人が庶民に髪を断たれるのは、死罪にまさるさらし刑なのだ。

 

 だが、その場を動けぬ少年に、神逅椰かぐや殿の眉間が吊り上がる。

 少年を蹴り上げようと足を踏み出した時である。


「……おい、ぼうず」

 如月きさらぎ殿は表情を弛め、少年を手招きした。

「カッコよく切ってくれよ……出来るな?」

「……はい」

 人懐こい笑顔に誘われ、少年は泣き笑いして進み出た。

 花弦かげんの王と、そして雨月うげつ殿、神名月かみなづき殿の表情も緩む。


 少年は手を震わせながらも、如月きさらぎ殿の髪をうなじの所で切り落とした。

 雨月うげつ殿も少年を招き、「ごめんな。大変な役割をさせて。頼むよ」と声を掛ける。

 少年は顔をクシャクシャにして頷き、雨月うげつ殿の髪を振える手で断つ。

 雨月うげつ殿は手櫛で髪をき、如月きさらぎ殿と顔を見合わせて微笑んだ。

 

 そして神名月かみなづき殿は……前に立った少年に訊いた。

「名前は…?」

「イザネ…です」

「いつか君が……僕の父上に逢えたなら、伝えて欲しい。『神名月かみなづきは、誇りを持って生きた』と……」

「はい……はい……」


 イザネは何度も頷き、神名月かみなづき殿の髪を落とした。

 衛士たちが三人の断たれた髪を拾い集め、篝火かがりびに投げ込む。

 風に揺れる神名月かみなづき殿の短い髪を、玉花の姫君は唇を噛み締めて見つめている……。



「イザネ……こちらへ」

 王后おおきさきがほがらかに笑み、墨染の小袿こうちぎの袖を外した。

 イザネは目を擦りながら、膝立ちで王后おおきさきに近付き、ひれ伏す。

「顔をお上げなさい……イザネ」

 王后おおきさきは、白い袿の右袖を引き裂き、イザネに差し出した。

「大儀であった。これを受け取っておくれ。何かの役に立つであろう」


「……王后おおきさきさま……」

 イザネは号泣し、衛士たちの啜り泣きが聞こえ始めた。

「早く、お帰り。そして達者で暮らしなさい」

 イザネは何度も頷き、処刑場から姿を消した。

 しかし、嗚咽は止まず。膨れ上がるばかりである。


 

 


「さあてえぇ! このゲスな謀反人むほんにんどもの処刑を始める!」

 神逅椰かぐや殿は長髪を振り乱し、天まで届けとばかりの声を上げる。

 衛士たちは固唾を呑む。

 忌むべき惨禍が近付いている、そんな予兆をひしひし感じる。

 

 しかし、神逅椰かぐや殿には、彼らの危惧など届かない。

 真紅の玉を束ねた首飾りを鳴らし、金糸の紋様が浮かぶ紫の表着うわぎの裾を引き摺り、囚人たちの手前に立ち、満足そうに見降ろした。


「我が衛士ども、よく聞け! 花弦かげんの王は、我らが『月窟つきのいわ』と結んだ盟約を一方的に破棄した!」


 神逅椰かぐや殿は、王后おおきさきを血走ったまなこで睨む。

「すべては、この性悪女が仕組んだことだ! 月帝閣下の実の妹でありながら、夫の花弦かげんをそそのかし、『月窟つきのいわ』への侵攻を計画した!」


 神逅椰かぐや殿の、狂気めいた独説は続く。

「さらに! 『月窟つきのいわ』と『花窟はなのいわ』の両国の王の血を引く娘の玉花ぎょくかを両国の王に据え、二つの国の支配を目論もくろんだ! そして玉花ぎょくかは三将どもに色目を使い、たぶらかされた三将は月帝閣下のお召し物に毒を塗った! その毒のせいで、月帝閣下は重い病に伏せられたのだ! そうだな~、みずはづきぃ~?」


 振り向き、蒼白な顔色で地面に座り込んでいる水葉月みずはづき殿に歩み寄った。

 『近衛府このえふ四将』のひとり……『南門の将』の水葉月みずはづき殿は、青に染まった唇を微かに動かす。

「……はなしが……ちがう……」


「はぁ? 何か言ったか? 謀反人むほんにんは斬首、と法典に書いてあるぞ?」

「……………」


「何を怯えている。呪われるとでも思っているのか? こやつらの死骸は『黄泉の泉』に投げ込んでくれる。あそこに投げ入れられると、魂すらも浮かび上がらん。

地獄で、虫けらとなって転生を繰り返すのだ。潰されては死ぬ、を永遠に繰り返すんだよ!」

「………………」


 しかし、水葉月みずはづき殿は息も止まらんばかりに震えるばかりだ。

 叱責された仔犬のように長身を縮め、全身を戦慄わななかせている。


「安心しろ。お前には、しかるべき地位を与える。謀反人むほんにんどもを差し出した功労者だ。全軍の右大将でどうだぁ? お前の出世に、故郷の奴らは大喜びだろう?」



「なんと、哀れで矮小わいしょうな男よ…」

 王后おおきさきは辛辣な言葉を発せられ、神逅椰かぐや殿は目玉が飛び出んばかりにまぶたを見開く。

「このぉ……出しゃばりクソ女が!」

 腰に吊るしていた小刀を抜き、王后おおきさきの目尻に当てる。

「おい、玉花ぎょくかっ! この女の目玉をほじられたくなければ、着ている物を脱げ! 乳を揺らして舞ってみろおお!」



「まっ、お下品♪」

 背後から浴びせられた嘲笑ちょうしょうに、神逅椰かぐや殿は醜悪に歪んだ顔を向ける。

 真後ろに座していた如月きさらぎ殿が、腕を組んで笑っている。

「なんだあ!? 如月きさらぎ、この兄を愚弄ぐろうするかあああ!?」


 だが、如月きさらぎ殿は、全くひるまない。

「御無礼をお詫び申し上げます、兄上。しかし、どうやら色本の読み過ぎとお見受けいたします。昼夜を問わずの乳しぼりで、御頭おつむの芯まで白く濁っている御様子……」


 衛士たちの血の気が、音を立てて引いた。

 しかし如月きさらぎ殿の不敵な笑顔は消えず、その瞳の奥には凛とした光が宿る。


「こっ……この……そいつをよこせぇ!」

 神逅椰かぐや殿は小刀を捨て、王后おおきさきの背後の衛士の太刀を奪い取り、実弟の背後に大股で進み寄った。

「仲間どもの生首を見る前に殺してやる! せめてもの情けだ!」

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