第8話

月城つきしろくん、ごめんなさいね。和樹の勉強に付き合わせちゃって。この子、数学が全然ダメだから」

 沙々子はテーブルに鍋を二つ並べた。

 午後の六時半、三人は夕食を囲む。

 一時間ほど前、帰ると言った月城を、沙々子は笑顔で引き留め続けたのだ。


 鍋からは、カレーの香りが漂う。

 片方は肉入りのカレー、片方は肉無しカレーだ。

「うちは、いつも肉入りと肉無しを作るの。私が、お肉が食べられないから。でも、ちょうど良かった」

 沙々子は皿にご飯を装い、肉無しカレーを掛け、月城の前に置いた。

「福神漬と、フライドオニオンは自由に取ってね。辛みスパイスもあるから」


「さ、食べてよ、月城つきしろくん」

 和樹は自ら肉入りカレーを装って、フライドオニオンをたっぷりトッピングした。

 沙々子は辛みスパイスの小袋を開け、振り掛けつつ聞いた。

「らっきょうがあった方が良かったか?」


「いえ……充分です……いただきます」

 月城はスプーンを握り、ぎこちない手捌てさばきでカレーライスを口に運ん

 だ。

「……美味しいです……」

「そう、良かった。テレビ点けようか」


 沙々子はリモコンのスイッチを入れると、フィギュアスケートの国別対抗戦が放送していた。

「フィギュアの女の子って、スタイルいいのよね~」

「身長低くても、手足長いよね」

「月城くんは、スポーツは得意?」


 沙々子が振り、月城は……しどろもどろ応える。

「……見るのも、するのも好きではないです……」

「でも、バスケとかバレーに向いてそう。『桜南さくらみなみ』って、男子の部活はどうなの?」


「サッカーは新設するって聞いた。バレーとバスケは女子部があるから、男子部も新設して、コートを分け合うのかな。でも、男子は少ないし、各部ワンチームの人数が集まるか微妙かも」

「男子って70人だっけ? 月城つきしろくん」

「……そう聞いてます……」


「そうよね~。50人が部活に入って、半分が運動部として、25人じゃあ厳しいね。今年は争奪戦と助っ人合戦だね」

「うん。僕もサッカー部に誘われちゃったよ。茶道部に入るって断ったけど」

月城つきしろくんも、バスケとか誘われたでしょ?」

「あの……はい……」


「あー、4回転失敗。コケちやったよ」

 和樹は、テレビを観ながら水を飲む。

 沙々子は鍋の蓋を開け、月城つきしろの皿にカレーを追加した。

「ほら、カレーたっぷり掛けなきゃ美味しくないでしょ」

「すみません……」


 月城は、申し訳なさそうに頭を下げる。

 和樹は、そんな様子を横目で見守っていた。

 イキがってる時とは、まるで別人だ。

 母の前では、まるで引っ込み思案な子供のように縮こまっている。

 表向きは、市議会議員の息子になっているが……彼には、家族が居るのだろうか。

 他人と食事するのが、苦手に見える。

 授業の半分は欠席しているが、昼休みも姿を見ない。

 食事をしている所を目の当たりにしたのは、これが初めてだ……。


 

 

「今日は和樹の勉強を手伝ってくれて、ありがとう。月城つきしろくん。はい、お土産みやげ

 沙々子はレジ袋に市販のクッキーとポテトチップスとシュークリームを入れ、玄関先で月城つきしろに渡した。

 室内には、まだカレーの匂いが立ち込めている。

「制服に匂い付いてない?」

「大丈夫だと思います…」

「気になったら、ドライヤーを当てて、消臭スプレーを掛けてみてね」


 沙々子は、彼のブレザーの襟元を整えてやる。

「遅くなったから、タクシーを呼ぶね。待ってて」

「いえ、バスで帰ります」

「駄目よ。未成年を、こんな時間に放り出せないでしょ。駅前なら、ワンメーターで行けるし」

「いえ、大丈夫です。帰ります。御馳走になりました」


 月城つきしろは逃げるように玄関を出て、ドアを閉めた。

 エレベーターは1階で停止している。

 目の前の階段を駆け下り、彼はマンションを出た。

 ……これ以上は耐えられない。



 マンションの玄関を出て……彼は開いてる手で胸を押さえた。

 心臓が潰れそうだった。

 額が熱い。

 窒息しかけているように苦しい。

 折れた足を引き摺るように、バス停に向かって歩く。

 通行人は殆ど居らず、行き交う車の音だけが暗い道に轟く。



「……久し振りだね……『水葉月みずはづき』……」

 話しかけられ、振り返ると……セーラー服にカーディガンを羽織った方丈日那女が立っていた。

 彼女はゆっくり近づき、黒い瞳で彼を直視する。

「カレーの匂いがするね。ポテトチップの袋が意外と似合ってるよ」

「…………」

「毎日、コンビニ弁当とかカップ麺を食べてるんだろう? 親の作るご飯って、良いもんだよね」

「…………」


「ま、元気そうで安心した。ちゃんと学校にも来てくれたし」


「……御前ごぜん…さま……」


「みんな、あんたを待ってる筈だよ……誰もあんたを恨んでない。あんたは充分すぎるほど苦しんだ……」


「……まだ……生きてる……」


「あんたの今の力は役に立つ。一緒に闘おう……もう、終わらせよう……」


「……無理です……」


「あんたは優しかった。虫が部屋に入った時、生きたまま掴まえて外に出してやったのを覚えてる。四人の中で、いちばん繊細で傷付きやすかった。……自分だけを責めるな。私が間に合っていれば、結果は違ってた……」


「……あの感触と臭いが……消えない……」


「あんた、ひとりで『宵の王』に挑む気なんだろう? 捨て石になるつもりだよな?絶対に勝てない……彼らが悲しむよ。あの時のあんたと……同じ思いをさせたい?」


神名月かみなづきが言ったんです……そんな顔するな……こっちまで哀しくなるって……」


「まったく……」

 方丈日那女は手を伸ばし、彼の髪を掴んで一喝いっかつした。

「この期に及んでグダグダ言うな、バカ! あんたたちが揃わないと、こっちも哀しいし落ち着かねーし! 戦隊ヒーローは、メンバー全員そろってナンボだろ!」


「御前さま……!」

 彼は、しゃがみ込んで号泣した。

 方丈日那女は、激しく揺れる肩を抱く。

「バカだね……ホントにバカだよ……」


 方丈日那女は夜空を見上げた。

 下弦の月は美しく輝き、星々と共に夜空を飾っていた。

「ご飯なら、いくらでも食わしてやるよ。食いたくなったら、いつでもうちに来い」






『……そんな顔をするなよ……こっちまで哀しくなるじゃないか……』


 彼は微笑み、玉花の姫君を見つめ、瞼を閉じた………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る