第7話
和樹と上野が『
和樹の母の沙々子は息子を送り出し、リビングを軽く整理整頓し、客人を待った。
午前11時ちょうどに、宇野笙慶氏は現れた。
僧衣を着てはいるが、左腕を黒いアームホルダーで吊っている。
左手には、菓子折りの袋を下げていた。
「あの……和樹くんは、シュークリームは食べられますよね?」
「ええ……気を遣っていただいて、恐縮です」
沙々子は菓子袋を受け取り、リビングのソファーに座るよう勧めた。
そして、『つぼみ屋』の菓子折り袋を傍らに置く。
「お寺の皆さまでお召し上がりください。今、お茶を
沙々子が席を空けている間、宇野氏は仏壇のある和室を眺める。
襖は開いており、沙々子の両親の遺影が天井下に吊り下げられ、夫の裕樹の遺影は、仏壇横の低い木製テーブルに飾られている。
仏壇には黄色と紫の花が飾られ、ドライフルーツ。カステラ、大福などが供えられている。
宇野氏は仏壇の前に座り、左手を掲げて祈りを捧げた。
「宇野さま、ご無理はなさらずに。まだ、リハビリに時間が掛かると聞きました」
お茶と和菓子をリビングのテーブルに置き、宇野氏の横に正座をする。
すると宇野氏は仏前座布団から降り、畳に座り直して頭を下げようとした。
しかしそれよりも早く、沙々子が畳に肘を付いて深々とお辞儀をした。
「宇野さまを息子たちの闘いに巻き込み、お怪我をさせてしまい、心からお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした」
「……え……」
宇野氏は狼狽して、声を上げる。
詫びるべきは自分であり、今日はその為に訪れたのである。
「
「責任は、母である私にございます。情けない話ですが、私には頭を下げることしか出来ません。なにとぞ、お赦しいただきたく存じます」
「申し訳ありませんっ…」
宇野氏も左手を着いてお辞儀する。
「自分の過ちは、はっきり覚えております。ご主人に助けられなければ、私は和樹君たちを傷付けておりました。あの場で、命を奪われていても当然でしたものを……」
「……甥の蓮くんからも、主人のことは聞いていらっしゃるのですね…?」
「はい……」
宇野氏は、さらに深く首を垂れる。
「ご主人の魂は、『蓬莱の尼姫さま』なる高貴な御方の
「……他人が聞いたら、『イカれてる』と思うでしょうね」
沙々子はクスリと笑った。
「私たち、真面目に『あの世』で起きた事を話してるんですよ。『蓬莱の尼姫』なる御方など、誰が知りましょうか……」
「
「息子たちの闘いは人知れぬ場所で起こり、終わりが見えません……。まだ高校生になったばかりなのに……」
「修行した御山の寺に戻り、そこで生涯を閉じようと思いました……」
宇野氏は頭を上げ、呟いた。
「けれど、昨夜……不思議な夢を見たのです。私たちほどの御年の、夫婦のように見える御方々が現れ、私を見つめておられるのです。平安時代風のご衣裳をお召しで、菩薩さまのように微笑んでおられました……」
沙々子は、はっとして宇野氏を見つめた。
『
その視線を受けた宇野氏の口調は、少し熱を帯びる。
「その夢を見た時、『私の罪は赦された』と感じたのです。そして、気付きました。御山に籠もるのは卑怯で、逃避でしか無いのだと。和樹くんたちの闘いを知る大人のひとりとして、力になるべきだと。いえ、『力になる』など
「ありがとうございます……」
沙々子は、顔を覆って泣き……宇野氏も袖で顔を拭う。
涙は祈りとなり、昇華していく……。
そして『
「とりあえず、届け出は出した。だが、俺は段ボール工作には参加しないぞ」
一戸は念を押し、剣道・薙刀部が使用している道場に向かった。
名前からして怪しい
久住さんと蓬莱さんは、茶華道部に入ることに決めたらしい。
茶道と華道を一回置きに行うとのことだ。
和樹は、部活の方は決めかねている。
遠征費などが不要な文科系にしようと決めてはいたが……
(歌は得意じゃないから、合唱部は×。文芸部は無いし、美術部も道具代が掛かる。茶道部は、お茶と菓子代+道具代ぐらいで年間1万円程度か……)
華道部と茶道部は合体した形だが、どちらか一方を選択することも可能なのだ。
入部届け提出期限までまだ10日あるし、月曜日には茶道部部室で新入生を対象にしたデモンストレーションがある。
とりあえずは、そちらを見学するつもりだ。
そんなわけで、今日は独りでの帰宅だ。
久住さん・蓬莱さんは華道部のデモを見に行き、上野も美術部に顔を出すと言う。
できるだけ蓬莱さんには密着していたいのだが、蓬莱さん
そう言われて和樹は帰宅を決め、生徒用玄関に向かう。
それに敵は、蓬莱さんには取り憑けども、本気で危害を与える気は無い様子だ。
(『蓬莱の尼姫』の居る王宮に辿り着いて、そこに居座る悪の親玉を倒せば良いんだよな? その途中で上野の顔面も回収して……最後に父さんを助ける……それで終わるんだよな?)
だが、一抹の不安と疑問は残る。
蓬莱さんは、自分の『運命の恋人』で、その本体は『蓬莱の尼姫』だ。
敵の親玉を倒したら、『尼姫』と蓬莱さんはどうなるのだろう?
幾度となくこの疑問に立ち向かってはいるが、結論は出ない。
「あれ…?」
和樹は思わず声を出した。
ちょうど
確かに、彼は6時間目の数学Ⅰの授業には出ていた。
すでにクジ引きでの席替えが行われており、和樹は教壇正面列の最後尾、
彼は頬杖を付き、前を向いてはいた。
和樹も含めて生徒全員が必死に板書をノートに書き写していたのに、彼は鉛筆に触れてもいないようだった。
数学の『小畑先生』は、一方的に喋りながら、数式を板書し、そして消す。
先生の話を聞く余裕など無く、板書を写すだけで精一杯だ。
そして授業が終わると、板書は消さずにサッサと教室を出て行く。
生徒の多くは、消されなかった板書を必死に書き写すことになる。
和樹としては、生徒を指さないのは歓迎だが、授業がさっぱり頭に入らない。
当面は、自宅で復習をするしかないのだが……。
「
和樹は声を掛けた。
「あの、一緒に帰らない?」
しかし振り向いた
だが、和樹は食い下がり、ピッタリと後ろに付いて歩く。
「あの……せっかく同じクラスになったんだし……同好会も同じだし。それに、この間は君から話しかけてくれた」
「……気まぐれだ」
「……それでもいいよ。ずっと喋らないのも疲れるよね」
「疲れねーよ」
「ごめん……」
「……バカか、テメーは」
「……君は、どこに住んでるの? バスで通ってる?」
「……駅前の新築マンションだ」
「それなら、僕の家の窓から見えるよ。すごい所に住んでるんだね」
「……くだらん」
「……どっかで、何か食べない?」
「いらん」
「でも……お昼御飯は食べた? 僕はお弁当食べたけど、もうお腹すいちゃって」
「……うるさいな」
「……
「アタマの悪いやつだな。脳ミソが白くなってんのか」
だがその直後……彼は立ち止まった。
和樹は横に並び、彼の顔を覗き込む。
彼は、青ざめていた。
まるで、一瞬心臓が止まったような顔だ。
「……
「……オレに近付くな」
「バスが来たよ。駅前なら、一緒のバスで良いんだよね」
「……お前とは一緒に乘らん」
「でも、喋ってくれてる」
和樹は笑い、月城は鋭い眼差しを向ける。
だが、和樹は引き下がらなかった。
「僕の家に寄ってかない? 今日の数学を教えて欲しいんだ。僕、数学ダメだから」
「お帰りなさい、和樹。あら……お友達ね」
息子と、その後ろに立つ制服姿の少年を見た沙々子は微笑んだ。
「いらっしゃい。さあ、入って。飲み物を淹れるわね。シュークリームとエクレアがあるのよ。ちょうど良かった」
「母さん、同じクラスの
「そう。和樹が新しいお友達を連れて来るなんて、何年振りかしら」
「……お邪魔します……」
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