第3章 哀しい顔をするなよ、と彼は言った
第6話
今日は、和樹たちが高校入学後の最初の土曜日だ。
二年生と三年生は、希望する生徒に一週置きに補習を行っている。
一年生も、五月から同様の補習が始まるのだが……。
午後1時を回った頃、和樹の家を一戸が訪れた。
玄関で応対したのは、久住さんである。
「こんにちは……上野くんは?」
「ナシロのお母さんも具合が悪いと聞いたから、俺が代表で」
「昨夜、蓬莱さんから電話があって……その直後に、おばさまが駆け込んで来たの。ナシロくんが入浴中に倒れた、って。父が、彼を浴槽から出すのを手伝ったの」
「……蓬莱さんから、
一戸はスニーカーを脱ぎ、家に上がらせて貰う。
昨夜は、『魔窟』から戻ってからが大変だった。
連絡を取り合うと、和樹が浴槽で動けなくなったところを助け出されたと知った。
命に別状が無かったのが救いだが……
「ナシロと話せるかな?」
「うん。おばさまは、お部屋で眠ってるから。ミゾレと一緒に」
「分かった……」
「あったかい飲み物を淹れるね。カフェオレでいい?」
「いや。話が済んだら、すぐに帰る」
一戸は右に在る和樹の部屋のドアを軽く叩き、中に入った。
和樹は、ベッドに横になってスマホをいじっていた。
「……ナシロ、具合はどうだ」
「生きてるよ。ご覧の通り」
和樹はスマホを置き、起き上がろうとしたが、一戸は押し
「そのままでいい。お母さんの具合は?」
「昨夜は、一睡も出来なかったみたいだから……でも、大丈夫だと思う。他のみんなは、無事なんだよね? 前に、君の背中を太刀で打っちゃったから、これでおあいこかな」
「右腕に
「薄く線が残ってるだけ。動かすと、ちょっとだけ痛いけど平気」
「すまなかったな。強い刺激を与えないと『術』が解けなかった。『魔窟』で何が起きたか、覚えてるか?」
「……父さんが居て、一緒に行こうとしたのは覚えてる。父さんは『蓬莱の尼姫』の所に居るのにな……」
「ナシロ……昨夜の攻撃は、今までの敵とは全く違う」
「え……?」
和樹は、顔を傾けて一戸を見る。
「どういうこと…?」
「お前を倒すのでは無く、『消し』に来た」
「……消す?」
「俺は、あの『攻撃』を知っている。上野にも少し話したんだが、『
「幻覚を見せる術?」
「違う。山に現れたお前のお父さんは、コピー…とでも言えば良いのかな。お前は、お父さんのコピーと接触しようとした。接触していたら、お前はあの
「父さんと……母さんと?」
「ただし、お前はこの現実世界から消え、お父さんのコピーは残る。現場に居た俺や上野の記憶にお前は残るが……お前が居た事実は消され、書き換えられる。お母さんとお父さんのコビーは、普通の生活を送るだろう。自分がコピーである自覚も無いままで……」
「父さんのコピーは、母さんと仲良く暮らせたんだ……」
和樹は複雑な表情を見せる。
自分が消えて、父と母が幸せに暮らす世界……
自分は別の世界で、家族と幸せに暮らす……
一戸は、彼の表情に微かな
が、それは危険な夢だ。
甘い毒薬のように、人の心を
一戸は、強い口調で和樹の心に訴えようとする。
「聞いてくれ。俺の霊体の『
「僕の記憶には無い……『
「いや、『
和樹は戦慄した。
毒薬のドス黒い苦さに、一気に体が目覚める。
一戸も、和樹の瞳に生気が戻ったのを知り、少し語気を抑えた。
「『霊体』なのに、殺されたって表現も変だな。だが……昨夜の敵が、あの時と同じ敵ならば、殺してもシレッと転生する俺たちは嫌な奴らだろう。別の世界で幸福に、永遠に暮していただくのが、手っ取り早い。だから、お前を消そうと試みた」
「……上野に、『
「……確証に欠ける記憶だし、まだ言ってない。だが、人が消える事案…」
「蓬莱さんのご両親か!」
「そうだ。ただ、同じ術で消されたなら、処理がお粗末かな。村崎七枝さんの記憶とか、新聞記事とか……。『
一戸の意見に、和樹の目は輝き始める。
頭の中の靄が晴れ、澄みきった空が現れる。
遥か彼方には、小さな銀色の月が見える。
自分は『
『蓬莱の姫君』と見上げた月が、ありありと脳裏に浮かぶ……
「月曜日は、学校に来れるな?」
一戸は立ち上がり、快活な笑みを浮かべた。
「部活、考えとけよ。同好会なら、部活と二股かけても問題なさそうだが」
「うん、ありがとう。一戸。部活費を考えて選ぶよ」
和樹はベッドから降りた。
寝てはいられない。
立ち止まりたくない。
一戸を見送るために部屋を出ると、久住さんも来てくれた。
二人は笑顔で、友を見送った。
母や、友を守りたい。
苦難の道でも、自分たちはそれを選び、歩いて来たのだから……
そして、通常授業が始まった月曜日のお昼休み。
和樹と上野は職員室を訪れた。
1組副担任の『
学級副担任に提出する入部届けと、部活顧問に提出する入部届けだ。
オリエンテーションの後は、下見後に入部を検討する予定だったが、止めた。
これを偶然と見るのは、無理がある。
早めに動いた方が良いと和樹が言うと、上野も入部届けを出すと言ってくれた。
そういう経緯で、二人揃っての入部届けの提出となったのだ。
「あら、今年の『ロボット研究所』は盛況ね」
顧問でもある
彼女はショートボブヘアの、地味メイクの小柄な女性だ。
「今年の新入生の会員数は2桁は確実ね。嬉しい」
「所長さんのインパクトが、すごかったですからねー」
上野は、意味ありげに和樹を見る。
「でも、先生と巨大ロボットって結び付かないですけどねー」
「他に、引き受ける先生が居なかったのよ。ロボットって良く分からないけど、衣装作りのお手伝いぐらいなら出来るし」
「僕が言うのも変ですが、お願いします」
和樹は、姿勢を正して言う。
服作りは得意なのだろう。
「実はね、趣味でお人形さんの服を縫ってるの。『リーナちゃん』人形の」
「そうなんですか」
和樹は、微笑ましい気持ちになる。
昔、久住さんと『リーナちゃん』で遊んだことを思い出す。
「よろしくお願いします、先生」
ふたりは頭を下げ、職員室を出た。
「同好会、ヒマな奴らが集まりそうだねー」
そう言った上野だが、すぐに顔を引き締める。
「ヒマな奴らの中に、敵も混じってっかねー?」
「だろうな……」
和樹も、すれ違う生徒たちに目を走らせる。
会長自体が大いに怪しいが、この中にも敵が居るかも知れない。
そう言えば、上野は一戸から『
自分が殺されたらしい過去の闘いについて……
肝心の一戸は、『剣道・
彼を探しつつ廊下端の階段の近くに来ると、降りて来た
午前中は欠席してたが、また忽然と彼は現れた。
和樹と上野は緊張し、無意識に軽く身構えたが……
「お前らも、例の『研究所』に入るんだろう?」
「よろしく頼むぜ。名前だけの『幽霊会員』だけどな」
「皮肉かね? 実際、あいつは『幽霊』同然の奴だし」
「敵…なのかな?」
和樹は振り返り、
考えつつも教室に戻ると、一戸がすぐに寄って来た。
「顧問の先生、見つかった?」
「ああ。それより、スマホをチェックしたんだが……」
一戸はスマホをかざす。
校則で、昼休みのスマホ使用は認められている。
「今週中にでも、叔父上がナシロの家を訪れたいって……ナシロのお母さんの休みの日を知りたいってメールが来た」
「金曜日は休みだったと思う。今、連絡してみる」
和樹は、教壇横のボックスから自分のスマホを取る。
実は昨日が、父の月命日だった。
だが、一昨日の夕方に月参りを断った。
入院中の
だから昨日は、母と二人で静かに父の魂の無事を祈った。
久住さんも、仏花を差し入れてくれた。
岸松おじさんからも電話が来て、援助は惜しまないと言ってくれた。
色々な人に助けられていると実感し、和樹は
この現実は、捨てたものではない。
そう思いつつ、和樹は母にメッセージを送った。
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