第5話

 和樹のまとう『神名月かみなづきの中将』の装束は、切り裂かれるように四散した。

 長髪も断たれ、いつもの和樹のショートヘアスタイルに戻る。

 着衣も、高校の制服姿に変化へんげする。


「これって…!」

 上野が駆け寄り、呆然と座り込んている和樹に声を掛ける。

「おい、神名月かみなづきが現実の姿に戻ってるぞ!」

「……『時映ときうつしの術』か!」


 一戸は叫び、上野は目を丸くする。

「何だよ、その術は!?」

「簡単に言えば幻覚の一種だが……神名月かみなづきが、術に引っ掛かった!」

「オレ、そんな術は知らんぞ!」

「お前は……この術を見ていない筈だ!」

「へ?」

 上野が不審気に訊き返した時、遠くから呼び掛ける声が響いた。


「和樹……そこに居るのか?」

 前方の空間から染み出るように、和樹の父親の裕樹が現れた。

 黄色いレインウェアの下にフリースのシャツを着ている。

 帽子とボトムスはカーキ色で、赤いリュックを背負っていた。

 あたたかな笑みを浮かべ、近付いて来る。

「和樹、探したよ。さあ、家に帰ろう。母さんが待ってる」


「父さん……父さんだ……会いたかったよ…」

 和樹は目を潤ませ、差し伸べる父の手を掴むべく、右手を伸ばした。

如月きさらぎ神名月かみなづきを押さえてろ!」

「分かった!」


 上野は和樹を抱くように上から押さえ込み、一戸は『白峯丸しらみねまる』を構え、刃を敵に向ける。

 裕樹は、一戸たちを見て怪訝けげんな顔をした。

「君たちは、和樹の友達かい? 君たちも帰らなきゃ。ご家族が心配してる。一緒に帰ろう」


「何なんだよ、こいつ……敵なのか?」

 敵の穏和な表情に上野はたじろいだが、一戸は一喝いっかつした。

「敵の造った幻影だが、神名月かみなづきがこいつに触ると、向こうに持っていかれる! 現実世界から消える!」

「えーっ!?」

「ただし向こうの世界で、家族そろって幸せに暮らせるだろうけどな……永遠に」

「マジかよ……」

「ああ……そして、消えた神名月かみなづきの代わりに……」

 一戸は、敵を睨みつけた。

「こいつが、現実世界で復活する! 『神無代かみむしろ 裕樹ひろき』として普通に生活し、仕事もしてるだろう。神名月かみなづきだけが居なくなる。俺たちだけが、それを覚えてる!」


「オレの顔面泥棒より、タチ悪いのが居やがったか!」

 上野は、マントで和樹の頭を覆う。

「見るな! お前のお母さんが待ってるんだろう! ニセモノに騙されるな!」


「……そうか。君たちは道に迷って、混乱してるんだね。もう大丈夫だからね」

 敵は当惑したように言い、そして後ろを指した。

「ほら、山小屋がある。ひと休みしよう」

 すると、開けた平地が現れ、すぐ傍に山小屋が建っている。

 二階建てで、犬小屋もあり、二匹の犬がたわむれている。

 石窯も見え、窯からはパンとチーズの香りが漂ってくる。


「……その方が良さそうですね」

 一戸は返答しつつ、上野と和樹を肩越しに見た。

 和樹の顔がマントで覆われているのを確認し、大股で一歩踏み込み、躊躇わずに『白峯丸しろみねまる』を振る。


 一瞬で、敵の首は跳んだ。

 直後に、敵は影と化し、塵となって風に溶けて消える。

「うえぇ……」

 上野は目を閉じ、和樹をきつく抱く。

 一戸も肩で大きく息を吐き、『白峯丸しろみねまる』の刃を見つめた。

 刃は、曇りなき銀色に輝いている。


「おいぃ……敵は居なくなったが、山が消えねえ……」

 上野は不安そうに、首を半周させた。

 山も山小屋も犬も消えず、パンとチーズの香りは強くなるばかりだ。

 一戸は唇を噛み締め、『白峯丸しろみねまる』を置いて、懐の小刀を出した。

「……動くなよ」

 低く呟き、和樹の後ろに回る。

 上野は意図を察し、喉を鳴らし、和樹の腰をギュッと押さえるように抱く。

 一戸も屈み、和樹の右腕に刃先を勢いよく突き立てた。

 悲鳴が上がり、その直後に三人の体は浮き、ストンと落下した。




「しっかり……中将さま…!」

 声が聞こえ、神名月かみなづきの中将はまぶたを上げた。

「……月窮げっきゅうの君……?」

 顔を動かすと、フランチェスカも涙ぐんでいる。

 どうやら、蓬莱さんに膝枕をされているらしかった。

 震える彼女の手が、右腕上腕部を擦っているのが分かる。

 その辺りが微かにうずくが……何が、どうなっているのだろう?

 『魔窟まくつ』に降り、登山させられたのは覚えているが……。

 右腕を上げてみるとピリッとした痛みが走るが、怪我をしたのだろうか。

 だが、他に痛みを感じる部分は無い。

 いつもの平安朝の装束を着ているし、太刀も装備している。

 

「いったい……何が?」

 心配そうに自分を見降ろしている上野と一戸に訊ねる。

「僕たち、山を歩いてて……敵が出たのか…?」

「あとで説明してやるよ。帰ろうぜ……お前のお母さんも、久住さんも待ってる」

 上野が立ち上がると、巨大な山門が闇から浮き出た。

 しかし、和樹たちの姿は上に吸い込まれて消える。

 ……山門の瓦屋根に立つ人影に気付く間も無く。


「……まったく……くだらない情に流されやがって……」

 巨大な月の光を浴び、『月城つきしろ はるか』は呟いた。

 制服のズボンのポケットに手を突っ込み、無表情で月を見上げる。

 そして瓦屋根から飛び降り、彼の姿も消えた。


 

 

 そんな彼の姿を見降ろす者も、また居た。

 自宅の庭の池に映し出された彼らを、『方丈ほうじょう 日那女ひなめ』は視ていた。

 髪を下ろし、白地に紫の小花模様が描かれた和服姿で、『魔窟』で起きた出来事を観察していたのだ。

 日那女ひなめは腰を落とし、池に指先を入れる。

 すると波紋が立ち、月は消え、池は暗い水溜まりと化す。

 今夜は星も見えず、細い三日月だけが心細げに薄い光を放っている。

「さて……どうしましょうか、お父さま……」

 縁側に腰を掛け、振り返る。

 縁側に面した部屋の障子は固く閉まり、部屋の中は沈黙に包まれていた……。





「和樹くん、和樹くん、大丈夫か!?」

 大声で呼ばれ、和樹は我に返る。

「……おじさん……?」

 目の前に居るのは、久住さんの父親だった。

「奥さん、気が付いたようです」

 久住さんの父親が、安堵の表情を浮かべている。

「私が分かるかい、和樹くん」

「……はい……」

 そう答えたものの、体に力が入らない。


「奥さん、バスタオルを」

 父親はテキパキと指示を出し、和樹の脇に両手を差し入れて立たせる。

 濡れた肩にバスタオルが掛けられ、自分が浴槽からダイブしたことを思い出す。

「……立てます。平気です……」

 和樹は、ゆっくりと浴槽から出た。

 もう一枚バスタオルが頭から掛けられ、久住さんの父親に支えられながら自室に連れて行かれ、ベッドに横たえられた。

 別のバスタオルで濡れた頭髪を包まれ、毛布を掛けられる。


「良かった……和樹……」

 母の沙々子は泣きながら、冷たいタオルを額に当ててくれた。

 奥から、久住さんと、久住さんの母親の声も聞こえる。


「奥さん、救急車を呼びましょうか?」

 父親が訊き、沙々子は答えた。

「……のぼせたのだと思います。時間が経てば治るかも知れないので、もう少し状態を見て考えます」

「それなら良いが……」

「すみません、ご迷惑を……あとは、私ひとりで大丈夫です」

「とんでもない。困った時はお互いさまですよ。まして、和樹くんのことです。何かあったら、すぐに知らせてください」


 見ると、久住さんの父親のスウェットは、かなり濡れている。

 どうやら自分は浴槽内で倒れ、事態を知った久住さんの父親が駆け付けたらしい。

「和樹くん、気分はどうだ? 吐き気はしないか? めまいは?」

「……少し、ぼうっとするけど……吐き気とかは無いです……」

「そうか。とにかく良かった。だが、無理しちゃいけないよ。さ、少し飲んで」

 肩を抱き上げられ、冷たい液体が唇に当てられ、和樹はそれを流し入れた。

「今夜は、ゆっくり休むんだよ。いいね?」

「はい……」


 そして再び寝かされ、和樹はまぶたを閉じた。

 浴槽内で倒れるような、激しい闘いをした記憶は無い。

 それより、今は眠い。

 眠ろう……


 和樹は、周囲に漂うアルコールの匂いに包まれて眠りに着く。

 久住さんの父親は、晩酌中だったのかも知れない。

 うちも、父さんが居たら……


 

 その夜、和樹は夢を見た。

 高校の校門の前で、母と並んで立ち……父はカメラを構えていた。

 父と登山をし、母の作った弁当を食べた。

 その夢の中に入っていけたら、どんなに幸せだろう……

 そう思い、強く願った。

 叶わぬ願いと知りながら。

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