第10話

 閃光が宙を裂き、血の臭いが舞い、風に溶け、消える。

 雨月うげつ殿と神名月かみなづき殿は、正面を見据えたまま動かない。

 だが左頬に染み付く血痕の温かさに、雨月うげつ殿は僅かに眉を下げた。

 神名月かみなづき殿は少し顔を上げ、空を見つめる。


 空のあおさは、先程より薄れている。

 初めて、この国に降り立った時は、こんなに美しいあおがあるのかと驚いた。

 故郷の空の昼は白銀、夜は紺碧だ。

 このあおに見つめられながら、命を終えるとは思ってもいなかった。

 

 主君のため、民のため、故郷くにのため、正しきを行おうとしたまでのこと。

 二つの国の戦を止めようとしたまでのこと。

 数多あまたの術士の命を奪い、その力を我が物とした宰相の神逅椰かぐや殿は、もはや人ならぬ存在だ。

 神逅椰かぐや殿を恐れ、怯え、逆らえる者は少ない。

 おそらくは、自分たちが最後の謀反人むほんにんであろう。

 


「よぉーし、王と王后おうきさきを立たせろ! 御神木とやらに吊るせええ!」


 神逅椰かぐや殿は、血の雫が滴る刃を掲げる。

 百鬼夜行ひゃっきやぎょうの鬼たちも腰を抜かして退散するであろう、兇惨な表情だ。

 細い長い絹紐を持った二人の衛士も、ガタガタと震えるばかりで、その手足は物の役には立ちそうに無い。

 ますます苛立ちを募らせた神逅椰かぐや殿は絶叫する。

「貴様らぁ! さっさと紐を木に引っ掛けろ! 貴様らの手足を斬り落とすぞ!」


「ミャア……」

 物陰から、か細い鳴き声がした。

 玉花ぎょくかの姫君が、初めて口を開く。

美名月みなづき…!」


 一同が目を向けると、姫君の背後に立つ衛士の足元に白い仔猫が居た。

 仔猫はトコトコと主人に近寄り、墨染の小袿こうちぎに身を擦り付ける。

 主人を慕い、這い出て来たのだろう。


「この畜生ちくしょうが! こいつも血祭りだ!」

 神逅椰かぐや殿は容赦なく仔猫を引っ掴み、腕を振り切って御神木に叩き付けた。

 嫌な音が空気を揺らし、衛士たちは息を呑む。

 御神木にて殺生を行うとは、あってはならぬ禍々まがまがしい行為だ。

 花弦かげんの王と、雨月うげつ殿、神名月かみなづき殿は顔を伏せ、哀悼を表す。

 玉花ぎょくかの姫君は袖で顔を覆い、肩を震わせた。

 王后おうきさきは、両手を合わせて祈りを捧ぐ。


「くそっ! 湿っぽい奴らだ!」

 神逅椰かぐや殿は仔猫の亡骸なきがらを掴み、転がっている如月きさらぎ殿に放り投げた。

「仲間を増やしてやったぞぉ! 道連れは多い方が楽しいよな~?」


 震撼しんかんの光景に、若い衛士が頭から地面に倒れた。

 もはや、憂さ晴らしの虐殺場と化している。

 


 

「……そなた、弟を斬る時に『せめてもの情け』と申したな……」

 花弦かげんの王が、厳かに口を開いた。

 一同は、耳を取り澄ます。

「そなたにも、まだ一片ひとひらの『心』が残っているでのであろう。そこに、我が言葉を刻んで置くが良い。そなたは今、黄金で飾り立てた玉座に座っている。金襴とぎょくがふんだんに縫い留められた衣を纏い、百個の銀の鈴で飾り立てた王尺を持っている。だが……周りを見回してみよ」


 花弦かげんの王の言葉は、静やかに響き渡る。

「そなたの座る玉座は、砂山の頂上にある。周囲は果て無き砂漠で、草の一本も生えず、虫さえも居らぬ。王尺を掲げても、鳥さえも応えぬ。砂山は、いつか崩れよう。その前に重い衣を脱ぎ捨て、玉座を降りるが良い……」


「はぁあ? やっぱり命が惜しいか~? 額を土に擦り付けて、己の罪を認めたら、お前ら家族の命は助けてやっても良いぞぉ?」


「……王の命は、民と国を護る最後の砦なり!」


 花弦かげんの王は朗々と語り、王后おうきさきと共に、数珠を両の手のひらで握り締めた。

 直後に、ふたりは前のめりに倒れ込む。


「おい、何だ!?」

 神逅椰かぐや殿は慌てて花弦かげんの王の襟首を持ち、顔を覗き込み、口を大きく歪める。

「こいつら、自害しやがったっ! くそっ! 毒針かよお!」

 花弦かげんの王が握り締めた数珠から飛び出した太い針が、手のひらに突き刺さっているのが見える。

「衛士! 玉花ぎょくかの数珠を取り上げろ!」


 神逅椰かぐや殿は姫君の背後の衛士に命じたが、姫君は毅然と言い放つ。

「我が数珠に、仕込んだ物は無し。だが、欲しければ持て行け!」


 姫君は数珠を手前に置き、瞼を閉じる。

 よぎるのは、御父上と御母上と過ごした日々だ。

 御親の後を追えるならば、すぐにでも追いたい。

 だが自分までも自害したら、残された民の虐殺が始まるのは明らかだ。

 狂気に毒された宰相を押し止められるのは、自分だけ……


 悲嘆に暮れつつ、向かい合う雨月うげつ殿と神名月かみなづき殿を見つめる。

 雨月うげつ殿と神名月かみなづき殿は深々と上半身を折り、王と王后おうきさきの魂を見送る。


 やがて、頭を上げた雨月殿は言った。

「王と王后おうきさき御身おんみを、お運び申したてまつれ。荼毘だびし申し、おとむらい差し上げよ」


 すると衛士たちは促されるように進み出、背後の正殿から畳を持ち出して来た。

 探し出した大袿おおうちきで亡骸を包み、畳に乗せて運び出す。


 それは驚くほど手際が良く、神逅椰かぐや殿は唖然と亡骸を見送るばかりである。

 亡骸が運び出された後に、ようやく神逅椰かぐや殿は我に返り、地団駄を踏む。

「てめえら、何やってんだあ!? 何で、こいつの命令に従ってやがる!?」


 狂気の眼差しで雨月うげつ殿を睨んだが、雨月うげつ殿は一蹴した。

「衛士たちは、我が言葉に従ったのでは無い! 己の良心に従ったのだ!」


「じゃあ、俺も良心とやらに従って、てめえの首を落としてくれるわ!」

 神逅椰かぐや殿は刀を振り上げ、雨月うげつ殿は背筋を伸ばし、揺るぎなく前方を見据える。

 

 鈍い閃きの後、雨月うげつ殿は倒れた。

 血痕が、神名月かみなづき殿の髪と頬を打つ。

 神逅椰かぐや殿は、ますます狂乱の渦にはまる。


「ははは……やったぞ。生意気な謀反人むほんにんを成敗したあああ~!」

 笑いながら血の滴る刀を持ち、辺りを歩き回る。

 無表情で座る神名月かみなづき殿の前に来ると、刀の先で頬を叩く。

「あれぇ? まだ一人残ってやがる。水葉月みずはづき~、水葉月みずはづきは何処に行ったあ~?」


 そして、布屏風の向こうで震えている水葉月みずはづき殿の影を見つけた。

「おーい。そんなとこに隠れてんじゃねーよぉ。まだ生きてやがるのが居るぞ~。

でもな~、この刃じゃあ、一刀で首を落とせねえよぉ。二人やっちまったから、血でぬめってるんだよぉ!」


 叫びながら、布屏風の背後に座り込んでいる水葉月みずはづき殿を引きずり出す。

「お前、刀を持ってるじゃないか。それで、お前が奴の首を落とせえええ!」

 

 それを聞いた神名月かみなづき殿の眉がピクリと動く。

 衛士たちも固唾かたずを呑む。

 神名月かみなづき殿の前に引きずり出された水葉月みずはづき殿の烏帽子えぼしが、地に落ちた。

 水葉月みずはづき殿は、両手を地について身を支えているが、顔を上げることが出来ない。

 真正面に座る神名月かみなづき殿を、見ることが出来ない。


「やっちまえよ、水葉月みずはづきぃ。俺の刀で、そいつの首を斬り付けても、絶対に失敗するぞぉ。一刀で落とせないと悲惨だぞぉ? なぁ、水葉月みずはづき~。俺は、田んぼを焼き討ちするのが好きなんだよ! お前の故郷は、どこだったかなぁ?」


 神逅椰かぐや殿の鬼気に満ちた笑いは暫し続き……やがて、水葉月みずはづき殿は、ガクガクと身を揺らしながら立ち上がろうとした。

 が、足腰が立たず、地を這いながら神名月かみなづき殿の背後に回る。

 神名月かみなづき殿の後ろに居た老いた衛士も、顔面蒼白で場所を譲った。


 水葉月みずはづき殿は、操り人形のように立ち上がり、腰に吊るした太刀を鞘から抜く。

 術士である彼は、滅多に太刀を抜かない。

 鍛錬以外の場で、人に向けるのは初めてだ。

 向けた相手は、ちぎりを交わした友である。



「姫君……この神名月かみなづき、許されるならば、永久とわに姫君を御護りしたいと、過ぎた夢を想い描いておりました……」

 神名月かみなづき殿は、口を開く。

 微かに濡れた声で語りながら、玉花ぎょくかの姫君の姿を心に刻む。

「短い時間ながら、この国の美しいものに触れられたことは……至高の喜びでした。私は、掛け替えなき友と共に、この世界を離れます。なれど……いつか、必ず姫君のもとに戻ります。地を這う虫に姿を変えようと……」


 ここで彼は付け加える。

「そうだ……美名月みなづきのお世話も忘れませんので、御安心ください」

「はい…」


 玉花の姫君はうなずき……ひと時の夢を分け合った剣士を眺める。

 彼の眼差しから、彼が最後に求めるものを知る。

 玉花ぎょくかの姫君は袖で目を拭い、袖を降ろして……微笑んだ。

 今、与えられる全てを捧げる。

 剣士の姿を瞳に焼き付け、少年らしさが残る声を耳に閉じ込める。


 神名月かみなづき殿は深く息を吸い、首筋を伸ばし、空を仰いだ。

 さやぐ風が、断たれた短い髪を掻き上げる。

 微かな花の香りが、頬を撫でる。

 

 彼は少し振り向き……蒼白な顔で太刀を構える友に告げた。

「……そんな顔をするなよ……こっちまで哀しくなるじゃないか……」


 彼は微笑み、玉花ぎょくかの姫君を見つめ、瞼を閉じる。

 一陣の風が、背後から吹き抜けた。

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