第11話

 暗さを増して行く空の下、白馬に跨った女性が地を駆ける。

 長い髪は項の下で束ね、若草色の水干に白い袴を身に付けている。

 辺りは不毛地帯で、草も生えない荒地だ。

 彼女は、ちらと背後を振り返る。

 誰がいつの時代に建てたのか……巨大な山門がそびえ、それを抜けたここは『黄泉の坩堝るつぼ』と呼ばれる禁忌きんきの土地なのだ。

 先には『黄泉の泉』があり、重罪人はそこに墜とされ、底にある『地獄』で永久に苦しみ続けると言われる。


 彼女も、ここに踏み込んだことは無い。

 周りには霧が立ち込め、前方の景色も霞んで見えない。

 だが、見上げた空には白い月が見える。

 月を正面に見ながら進めば、『黄泉の泉』に辿り着けることは知っている。

 冷え冷えとした風に打たれつつ、彼女の瞳は目指す場所を捉える。


「……白炎びゃくえん! このまま進め!」

 白馬に命じ、手綱を握る手に力を込める。

 

 やがて、視界は突然に開いた。

 直ぐ先に、鈍色にびいろの水を湛えた広い泉が出現し、岸辺に沿って佇む人影が見える。

白炎びゃくえん!」

 女性は叫び、馬を止めた。

 人々は振り向き、衛士たちが声を上げる。

「……水影みかげ御前ごぜん!」

「御前さま…!」


「そなたら……」

 彼女はその場に立ち竦み、重々しく揺れる水面みなもを眺める。


「……くやしゅうございます……御前さま…!」

 壮年の衛士は、ひざまずいてむせびび泣く。

「花弦のおおきみさまと王后おうきさきさまは、御自害を果たされました……。仲間の衛士が、荼毘だびに伏し申し上げましたが……。姫君は……宰相が連れて行きました。今宵、祝言しゅうげんを挙げると……」

「……分かっている……」


 水影みかげ御前ごぜんは目頭を押さえる。

 立ち寄った河原に大勢の衛士が詰めており、それを民が囲み、立ち昇る煙にこうべを垂れていた。

 下馬してひざまずき、お見送りをしてから、ここに駆け付けたのだ。


「そなたらが、三将をここに運んでくれたのか…?」

「はい……」

 衛士は頷く。

 衛士は全部で五人おり、少し離れた所には、少年が水面みなもを見つめて座っている。

「宰相には、三将さまの御遺体を魚捕りの網に入れ、馬で引き摺ってここに運ぶよう命ぜられましたが……出来ませんでした…」

 向こうに置いた、粗末な荷車を見て言う。

「三将の御遺体をむしろくるみ、荷車でここに……。三将さまの御手には、我らの数珠を掛けました……。姫君の御猫も宰相が殺害したので……そちらも首に数珠を掛け、布でくるんで、一緒に水底に葬りました……」


水葉月みずはづきは……どこに?」

「我らと共に、ここに来たのですが……『宝蓮宮ほうれんのみや』を出る前から、もはや正気では無く……宰相に強要され、神名月さまの御首を……」



『……ねえ、どうして、みんな寝てるの……? 起きてよ……』



「子供のように、御遺体に呼び掛けながら……荷車にすがっておられました。御遺体を泉に沈めた後も、岸辺に座り込んで水底を眺められて……」



『あれ? 仔猫もいる……ねえ、僕も一緒に遊ばせてよ……あの時みたいに……』



「……自ら泉に入ってしまわれました……止めることが出来ませんでした…」

 衛士は口元を押さえる。


「そうか……」

 水影みかげ御前ごぜんも膝を付き、鈍色にびいろの水面に目を馳せた。

 懐に挟んでいた宣命書を出し、震える手で破り捨てる。

 処刑中止命令が記された『月帝』の宣命書であるが……間に合わなかった。

 全てが遅すぎた。

「……すまぬ……無念だっただろう……いくら気丈に振る舞っていても……誰が……濡れ衣を着せられて、死にたいものか……!」


 膝を付き、目を凝らしても見ても、底どころか一寸先も見えない。

 重く揺れる水面みなもに零れ落ちた涙も、すぐに鈍色にびいろに染まって消える。

 水影みかげ御前ごぜんは、袖の下から数珠を取り出し、手のひらに乗せ、小刀で手のひらの皮を切った。

 血が染み出した手で数珠を握り、その数珠を静かに水面みなもに滑らせる。

「待っていてくれ……私も、すぐに追い付く……」


 すると、白炎びゃくえんも横に来て、水面に鼻を寄せた。

 水影みかげ御前ごぜんは、そのたてがみの数本の先を少しだけ切り落としし、水面に捧げた。

 たてがみは数珠と共に、鈍色の底へと消えていく。

白炎びゃくえん……お前もご主人の所に行きたいのだな……共に行こう……」


 白炎の手綱を引きつつ、衛士に訊く。

「あのわらわは?」

「三将の皆さまがたの髪を断つようにと、連れて来られた子です。王后おうきさきさまから、礼にと御袖をたまわりました」

 

 それを聞いた水影みかげ御前ごぜんは手招きし、少年は彼女の前に走り寄り、頭を下げる。

「私は『水影みかげ』と呼ばれている。かつての『南門の将』だ。そなたの名は?」

「イザネです……」

 イザネは、鼻を啜りながら言う。

 両手には、真っ白な袖を抱えている。

「都まで送ろう。馬に乗れ」

 イザネを抱き上げて、白炎びゃくえんの背に乗せ、優しく語り掛ける。

「その小袖は、そなたの身を守ってくれるだろう。決して手放してはならぬ」

「はい…!」

 イザネは泣きはらした顔で、しかし力強く答える。


御前ごぜんさま! 我らも、お供させてください!」

 衛士たちは、一斉に地に膝を付く。

「勝てぬことは承知です。けれど、抗う者が居ることを示したいのです!」

「ならぬ!」


 水影みかげ御前ごぜんは、厳しく言い放つ。

「そなたらは故郷を目指せ。少しでも近くに行け! この世は間もなく終わる…」

御前ごぜんさま……」

「私は、宰相と闘わねばならぬ! 闘う理由がある!」


 

 冴え冴えと白く輝く月を睨み、鈍色にびいろ水面みなもを見つめる。

(地獄で会おう……その時、私の過ちを償おう……)

 水影みかげ御前ごぜんは、白炎びゃくえんに跨った。

 前に座るイザネの体温が伝わる。

 いつか、闇の時代を生き抜いた者たちが平和を再建する日が来る。

 それを信じ、力強く手綱を引いた。










「マジかよ!? 月城と一緒に晩メシを食ったのかよ!?」

 バスから降りた上野は、呆気に取られた顔で和樹を眺めた。

 和樹は、コソッと頷く。

「うん。数学の分からない所も教えて貰ったし」

「メシに毒とか入れられてねえだろうな?」

「別にお腹の調子も悪くないから……大丈夫だと思う」

「少しは警戒しろよ。お人好しにも程がある」


「お母さんは、何か言ってなかったか? 彼から危険な雰囲気を感じるとか」

 一戸は冷静に訊ねたが、和樹はノンビリと答えた。

「そう言えば、母さんのスマホにテレビ局からメールが来てた。いつかの芸人さんのスマホが見つかってたって」

「……それで?」

「月城くんは『いい子』だって言ってた。それ以外は何も……」

「……警戒は緩めるなよ。月城の周囲の人間は、ニセ記憶を植え付けられてる」


 一戸は、後ろを歩く久住さんと蓬莱さんにも気を付けるようにと促し、久住さんは頷く。

 そして校門を潜り抜けた時、久住さんたちは足を速めた。

「あたしたち、華道部の部室に顔を出してくるから、先に行くね」

「あ……久住さんの脇に、猫ちゃんの毛玉が付いてる」

「えー?」

「ちょっと待って。取るね」

 蓬莱さんは小さな毛玉を取り、道に捨てずに、ブレザーのポケットに入れた。

 二人は和樹たちを追い抜き、校舎に向かう。


「今のところ、蓬莱さんに『悪霊』は憑いてないよ」

 和樹は、二人を見送る。

 すると、上野がブレザーの袖を引っ張った。

「おい、後ろ見てみろ」


 言われた通り振り向くと、10メートルほど後ろを月城が歩いている。

 髪を肩の上あたりで切り、黒く染めている。

「……昨日は金髪だったよな?」

「うん……」

 和樹は横目でしげしげと眺めた。

 一夜のうちに何があったのだろう?

 カレーを食べたぐらいで、心変わりするとも思えないが……



「よっ、所員たちよ。おはよう」

 白衣をまとった方丈日那女が、どこからか現れた。

「放課後は、部室に集合だ。君たちの白衣も用意した」

「了解です。ほっちゃれ所長♪」上野は敬礼する。

「桜が咲いて良い季節だ。せっかくだから、写真を撮ってやろう。そっちの桜の木の前に集合せよ」

「……お願いします」

 一戸は乗り気でない顔だが、素直に応じる。


「おや、月城くんも居るな」

 方丈日那女は、横を通った月城を引っ張って来た。

「君も、我が研究所の所員だ。彼らと一緒に並びたまえ。記念写真を撮る」

「……結構です」


 月城は戻ろうとしたが、方丈日那女は彼の腕を引っ掴んで、和樹の横に立たせた。

 上野と一戸は微妙な顔をしたが、写真ぐらいで大げさに反対することでも無い。

 上野は「仕方ねーな」とばかりに肩を回して、Vサインを作る。

 一戸は襟元を正し、生真面目に直立した。


「よし、四人並んだな。みんな笑ってくれ。何枚か撮るぞ。はい、チーズ」

 スマホを構えた方丈日那女は、笑顔でシャッターを切る。

「良い写真が撮れたぞ。後で送ってやるからな」


 方丈日那女は言い残し、早足で立ち去った。

「慌ただしい人だねー」

 上野は和樹に同意を求め、和樹は月城に話を振る。

「写真、楽しみだね。後で、アドレス交換しようよ」


 だが月城は、振り切るように無言で場を離れる。

「はぁあ~、冷たいにょ~ん」

 上野は口を尖らせたが、一戸は月城の後ろ姿を目で追っていた。

「どしたん? 奴の背中に『悪霊』が引っ付いてるか?」

「いや……泣いてるように見えた気がした。見間違いかもだが」


 それを聞いた和樹は、昨夜の彼の様子を思い出す。

 まるで、内気な子供のようだった。

 あれが、彼の本来の姿なのかも知れない……。

「……仲良くしようよ。同じクラスなんだし」

 そう言うと、一戸は軽く微笑んだ。

「……それも良いかもな」

「えぇー? 敵の可能性もあるのにか?」

「今さっきの月城の顔……俺たちに殺意を持ってる感じはしなかった。警戒は解かないが、過剰に敵視する必要は無いと思えた」

「……そうだよ。彼は敵なんかじゃ無いよ」


 和樹は微笑み、桜の木を見上げた。

 木々隙間から覗く春の空は碧く、澄み渡っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る