第4章 傷付つくのは自分だけでいい

第12話


「おはようございます」

 居間に入り、正座をして挨拶をした一戸は座卓に付く。

 座卓にはすでに祖父と妹の瑠衣るいが付いており、祖父は新聞を広げていた。

「お兄ちゃん、おはよう」

 瑠衣るいは、礼儀正しく頭を下げる。

 『赤毛のアン』のような三つ編みツインテールヘアの、丸顔の女の子だ。

 兄と同じ中学に入学し、祖父の書道教室で学ぶかたわら、学習塾にも通い始めた。

 

「……気に入らん。派手な制服だ」

 祖父は一戸の制服を眺め、小馬鹿にしたように鼻で笑った。

 瑠衣るいは、隣に座った兄を見て……祖父に言う。

「でも、最近はこういう制服も多いよ。普通なんじゃないかな」


 しかし、祖父は無視を決め込む。

「お前が落ちた『北杜きたのもり』は、黒の学生服だったな」

「はい……」

「来年、そっちに編入しろ。間違っても、お前の父親と同じ道は歩むな。剣道部に入るなら道場の方は止めても構わんが、部活で結果を出せないなら、部活は止めろ」

「……努力します」


 一戸は頭を下げ、膝に手を置く。

 祖母が朝食を運んで来て、食器を並べ終えると、自らも座布団に付いた。

 ご飯、味噌汁、焼き魚、海苔に納豆と言う、伝統的な和食だ。

 厳格な祖父の下、三人は黙々と箸を動かす。

 パティスリーを経営している両親はすでに出勤しており、週の六日は祖父母と孫だけで朝食を摂る。

 けれど両親が加わっても、食事風景に大差は無い。


「……蓮、ちゃんと正座をしろ。足をゴソゴソ動かすな。見苦しい」

 祖父の叱責が飛び、一戸は茶碗を置いて座り直す。

 祖母は心配して、孫の顔をうかがった。

「剣道で足を痛めたんじゃないの?」

「いえ、平気です」

 一戸は箸を持ち直し、味噌汁をすすった。

 





「あなたのスマホは、駅から185m離れた空き地で見つかったのですね?」

「はい、その通りですっ。空き地でサッカーをしていた中学生たちが見つけて、交番に届けてくれたそうですっ!」

「間違いなく、あなたのスマホでしたか?」

「はいっ。元カノがデコってくれたケースに、まんま入ってましたっ。間違いありません。本当に見つかりましたっ!」


 芸人のキジ春氏は、黒ずんだケースに入ったスマホをかざす。

 クレオパトラメイクに高松塚古墳の婦人像コスプレ姿の占い師『岸川沙都子』は、水晶球を撫でながら微笑んだ。

「私の水晶球は、すべてを見通せるのです」

 正面カメラが、黒髪アップヘアの彼女の上半身を映す。台詞のテロップも、白の太文字でデデ~ンと出る。



「……すっかり忘れてたのにな」

 イチゴジャムを塗ったトースト、ゆで卵とハムとホウレン草のソテー、紅茶の朝食を摂りながら、和樹はボソッと呟いた。

「朝っぱらから、こんなの生放送するって、他にネタが無いのかな…」


「キジ春のスケジュールの都合かもな。ピン芸人グランプリで準優勝したから、忙しいんだろ」

 向かい合ってバタートーストを食べる上野は、あっけらかんと言う。

「でもテレビ出たら、おばさんも客が増えてウィンウィンじゃん?」

「冷やかしの客しか来ないよ…」


 和樹は紅茶をひと口飲み、上野を見て溜息を漏らした。

「何で、お前が居るんだよ……」

「心配して、朝早くにわざわざ来てやったんだぜ? おばさんが、夜中にテレビ局に出掛けるって聞いたからさ」

「朝メシぐらい食って来いよ……」

「お前ひとりで食っても美味しくないかな~、って気を使ってやってんだぜ?」

「……早く食べろよ。あと20分でバスが来る」

「はーい、ボス」


 上野は紅茶をクイッと飲み干し、二人で手早く食器を洗っていると、玄関チャイムが鳴った。

 スクールバッグを持って玄関を出ると、久住さんが待っていた。

 上野を見て、目を丸くする。

「あれェ? 上野くん、どうしたの?」

「おばさんが昨夜から出掛けてるから、心配で早く来てみた」

「そっか。ナシロくん、テレビ見たよ。お母さま、やっぱりカッコいいね」

「そうかな……」


 曖昧にうなずきながら、三人は下に降りた。

 エントランスでは蓬莱さんが待っていた。

 見たところ、彼女に異変は無い。

 和樹は安堵し、四人は平穏に登校した。

 

 今日は、『桜南おうなん巨大ロボット研究所』の新入所員歓迎会がある。

 活動を開始している部活もあるが、他の部活と重ならない日を選んだ結果だ。

 茶華道部も、華道は昨日が初日だったが、茶道は来週が初日となる。

 和樹も、来週はそちらに顔を出す。

 



 かくして四人が登校し、教室に入ると、一戸はすでに席に着いていた。

「あれ? 早いねえ、同じバスに乗ってくれると思ってたのに、冷たいにょ~」

「顔色が良くないけど……具合でも悪い?」

 

 上野と和樹が声を掛けると、一戸は頬杖を付いたまま答えた。

「ちょっと寝不足で……」

 そして横目で久住さんと蓬莱さんを二度、眺める。

 三人だけで話をしたい、との意図を察した二人は、そろりとうなずく。

「じゃ、後で」

 和樹は囁き、自分の席に向かう。

 

 

 そして四時間目の授業となった。

 本日は体育で、『桜南さくらみなみ高校第一体操』を覚え、長距離走のタイムを計測する。

 隣の二組との合同授業で、生徒たちは男女に分かれて着替えに向かう。

 女子は更衣室があるが、男子は空き教室で着替えをするのだ。

「何度見ても、だっせえジャージだよな~」

 上野は、ジャージの上着をしげしげと眺める。

 明るい青地に、白く太いサイドラインが一本入っている。

「制服はソコソコなのに、このセンスぱねぇ」

 すると、他の男子の賛同が続く。

「運動会番組の芸人が、こんなの着てね?」

「今日もハーフパンツにするよ。たけが短い分、恥ずかしさも半分だ」

「冬はどうするんだよ。罰ゲームだぜ、こりゃ」


「はぁ~、オレもハーフパンツ履くわ」

 上野は半袖シャツにハーフパンツを履き、長袖ジャージを着る。

 和樹と一戸は、真面目に長袖長ズボンのジャージをフル装備した。

 着替え終えた和樹は、ソロッと周囲を観察する。

 やはり、月城つきしろの姿は無い。

「ジャージが嫌で休んでんだろ。オレも休みてえよ」

 上野が耳打ちした。

 確かに、彼はスポーツが好きではない、と言っていた。

 それに、彼は体育の授業には出たことが無い。

「心配しなくても、昼メシを食いに来るだろ」

 上野は他の生徒たちの着替えが終わったのを確認し、教室の引き戸を開けた。

 が、そこに廊下は無い。

 真っ暗な何も無い情景が広がり、しかも正面には『魔窟まくつ』で見慣れた山門がある。


「これは!?」

 一戸は叫び、振り向いた。

 しかし、教室も生徒たちの姿も消えている。

 見渡す限りの暗闇が広がっているばかりである。

「どういうことだ!?」

 三人は顔を見合わせる。

 三人とも、ジャージ姿のままだ。

 『魔窟まくつ』に潜行したなら、いつもの戦闘用の衣装に変わる筈だ。

 だが、それの現象は起こらず、和樹と一戸は太刀たち薙刀なぎなたを所持していない。

 丸腰で、異界に引き込まれてしまったらしい。


「攻撃されてる!」

 一戸が周囲を見回す。引き戸も消え、そして上空に巨大な月が出現した。

「嘘だろ…?」

 上野が生唾を飲み込んだ時、胸元がゴソゴソと動いた。

 ジャージの首元から、チロがちょこんと顔を出す。

「チロ! お前、居たのか!」

 チロを抱くと、チロはワンワンと吠えた。


「……チロが見えると言うことは、ここは現世では無いな」

 一戸は冷静に分析する。

「だが、あの月は『魔窟まくつ』で見る月よりも、少し小さい。前にナシロが紛れ込んだと言う、和男くんの幽霊が居た『霊界』に近いのかも知れないが……問題は、俺たちが自力で脱出できるか、だ」


「……蓬莱さんが気付いてくれれば……何とかなるかも」

 和樹は答え、上野は相槌を打つ。

「オレが観た迷路に放り込まれる映画だと、その場から動かないのが正解だったぞ」

「……そうだな。闇雲に動くのは危険だ。今の俺たちは『雨月うげつ』でも『如月きさらぎ』でも『神名月かみなづき』でも無い、無力な高校生らしい。しばらく様子見しよう」

「運良く元の世界に戻れて、浦島太郎状態でないことを祈ろうぜ」

 上野はチロの頭を撫で、その場で胡坐あぐら座りをした。




(……まさか……!)

 教室を移動中だった方丈日那女は、その異変を察知して立ち止まる。

 天井を見上げ、二つ上の階で起きた事態に目を吊り上げて叫んだ。

沢渡さわたりくん! 悪いが、これを持って先に教室に行ってくれ!」


「え?」

 物理の教科書やノートを押し付けられた友人の沢渡さわたり愛奈まなは、目をパチクリさせる。

「どしたの? 方丈さん」

「急に腹が痛くなってきた。遅れたら、先生にもそう伝えてくれ!」

 そして返事も聞かずに、きびすを返してダッシユした。

 授業どころではない。

 彼らを助けなくてはならない。

(くそっ! 奴ら、差し違える覚悟か! 教師や生徒を巻き込みやがって!)



 それと時同じくして……校門の手前で、月城つきしろはるかは立ちすくんだ。

(空間が……じれてる!)

 彼の眼はくっきりと、奇妙にゆがんだ空間をとらえた。

 人間の目が、しぼってじれたタオルの形を認識できるように、肉眼ではとらえられぬ空間の歪みがえる。

 彼は校門を潜り、走り出した。

(……空間をじってる奴はどこだ!?)


 迷路のように捻じれた空間の隙間を縫い、その中心を目指して一心不乱に進む。

 じれてめくれた空間の中心部に、彼らは閉じ込められている筈だ。

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