第13話

 一方、着替えを終えた1組と2組の女子生徒たちは、グラウンドの陸上トラックに向かって歩いていた。

「このダサいジャージ、何とかしてくれないかな~」

「制服と一緒に、ジャージも新デザインになると思ったのにガックリ」

第一東だいいちひがし高は新デザインになったよね。紺とグレーのあれ、いいなあ」

 

 女子生徒たちの嘆きも止まらないが、陸上トラックに集合している男子生徒たちを見て、誰かが言った。

「あ~、男子はやっぱり着替えが早いね」


 すると、彼らの姿を見た蓬莱さんは立ち止まった。

 久住さんが振り向いて訊ねる。

「どうかした?」

「……ナシロくんも上野くんも、一戸くんも居ない……」

「え?」


 久住さんは目を凝らす。

 確かに、馴染みの三人の姿が無い。

「ホントだ。トイレかな?」

「……久住さん、ここに居て。嫌な感じがする」

「……まさか、ナシロくんたちに何か!?」

「分からないけれど……私、見て来る。先生が来たら、お腹が痛くてトイレに行ったとでも伝えて! 絶対に、みんなから離れないで!」


 蓬莱さんは、小走りに校舎に引き返した。

 何か、校舎の雰囲気が変だ。

 目に見える変化は無いが、空気が重苦しく感じる。

 只ならぬ事態が起きているような気がする。


 校舎に近付くと、体育担当で新婚ホヤホヤの柴田先生が大股で歩いて来た。

 これから授業だよ、とたしなめられるかと思ったが、何故か無視された。

 グラウンドでの授業直前に、逆方向に向かう生徒を無視する教師など有り得ない。

 異変を確信した時、右肘に薄い布が引っ掛かったように感じた。

「なに…?」

 

 腕を動かそうとしたが、動かない。

 しかも、引っ掛かった肘の辺りが半透明に透けて見える。

 慌てて左腕を見ると、手首の部分が透けていて、しかも動かせない。

 彼女は理解した。

 獲物を捕らえる粘着テープのような罠が、空間に張り巡らされている。

 しかも、これに捕えられると、周囲の人間には存在が認識されなくなるらしい。


(どうしよう……動けない!)

 途方に暮れ、周囲を見渡した。

 久住さんたちの姿は見えるが、叫んでも声は届かないだろう。

 何より、彼女たちを危険に晒す訳には行かない。

(みんな……無事なの!?)

 途方に暮れ、校舎を見つめる。

 『魔窟まくつ』での『癒しの力』は、ここでは全くの無力だ。





「くそったれが!」

 方丈日那女は愚痴を飛ばしながら、体育館裏の水飲み場に走り込んだ。

 ステンレス製の細長いシンクがあり、8本の蛇口が並んでいる。

 グラウンドに生徒の姿は在るが、立ち木に遮られて、こちらの姿は見えない筈だ。

 方丈日那女は全ての蛇口を開き、シンクを水で濡らす。

 濡れたシンクの中に両の手のひらを付き、網の目のように通る『霊道』を通して、敵の位置を探る。

 校舎内に存在する『水』は、全て彼女の神経と一体化し、気配を読むのだ。

 男子生徒たちの移動経路をさかのぼり、正確な位置を割り出して行く。


(……ナシロたちが着替えをしたのは、第二理科室っぽいな……。その真下にある『霊界』に墜とされたか!)

 

 方丈日那女は、三人の位置を特定した。

 まるで、カメレオンの舌が一瞬で獲物を捕らえて巻き込むように、彼らは一瞬で

『霊界』に移動させられたのだ。

(敵は二体で間違いない。空間を歪めた奴と、ナシロたちを捕まえた奴だ)


 全神経を集中し、素早く的確に敵の位置を探る。

 頭の中に二つの光点が浮かび、記憶の中の校内の俯瞰ふかん図と照合する。

(……グラウンドと、体育館か…!)

 背後を見ると、生徒たちが並んで体操をしていた。

 柴田先生が先導して動き、声を掛けて指導をしている。

 あの中の誰かに、敵が憑依ひょういしている。

 体育館に居る誰かが、憑依ひょういされている。


 だが……攻撃に移るのは、やはり躊躇ちゅうちょする。

 道路のように張り巡らされている『霊道』伝いに攻撃すれば、人間に憑依ひょういした『霊体』を倒すことは出来る。

 だが、憑依ひょういされた人間も無傷では済まないだろう。

 一戸の叔父が大怪我をしたように、罪のない誰かが傷付く。



「……御前さま…!」

 呼ばれて顔を上げると……月城つきしろが居た。

 体のあちこちが刃物で切り裂かれたように傷付き、制服に血が染み込んでいる。

 彼は荒い息を吐き、それでもしっかりした足取りで彼女の横に立った。

「よく来てくれた。校門の周囲の結界帯けっかいたいを抜けるのは。大変だったろう」


 だが月城つきしろはそれには応えず、シンクを流れる水を見つめ、訊ねた。

「蓬莱姫が捕まってるようですが」

「……奴らは、あの御方は傷付けない。少し辛抱して頂こう」

「では……どちらを倒します?」

「体育館をやる。ナシロたちを拉致した奴だ。こいつは、奈落ならくに潜んでいるようだ」

奈落ならく……」

「ステージ下の狭い空間のことだ。去年、そこでカラのチューハイ缶が見つかって、風紀担当の教師が毎日、巡回してたよ」


奈落ならくとは、地獄のことですね……?」

 月城つきしろは、下を見て不敵に微笑んだ。

「では……もぐって、ぶん殴ってきます」

憑依ひょういされた者を……無傷で助けられるか?」

「……急所を避ければ、大丈夫です」

「すまん……頼むよ、月城つきしろ……」

「……俺の力が役に立つ、と言ったのは貴女あなたです」

「そうだったな……」


 方丈日那女は、月城の血に塗れた左手を握り、水が流れるシンクに押し付けた。

 ふたりの魂の波動を同調させ、敵の正確な位置を月城つきしろに教える。

 『俗界』と『霊界』は重なり合っていて、『幽体離脱』した月城つきしろが、『霊界』にひそむ敵を叩けば良い。

 だが、憑依ひょういされた者を無傷で救おうとすれば、多大なリスクを背負う。


(制服を五着ぐらい買ってやるか。ストックが必要だな……)

 方丈日那女は、マネキン人形のように静止した月城つきしろを横目で眺める。

 切れた頬からの出血は、まだ止まっていない。

(……これが、お前の贖罪しょくざいか……見守っててやるよ……水葉月みずはづき……)



 


 そして肉体から離脱した『水葉月みずはづき』は、瞬時に『霊界』に移動する。

 彼の眼は、周辺の多数の霊体を捉えた。

 生者の魂も視えるが、死者たちの霊も少なくない。

 『霊界』は死者の魂の通り道である『霊道』が網の目のように走り、死者たちはそこを通って『霊界』に向かうのだ。

 現世に未練を残した死者は、霊道から外れた所に長く佇むと『地縛霊』となる。

 それら多数の霊たちの中でも、『水葉月みずはづき』の姿に気付く霊体は、まれだ。

 俗界でも、地上の人間が地球の全体像を見ることが出来ないのと同じこと。

 並の霊体では、異界の存在である『水葉月みずはづき』の姿は補足不可能なのだ。


 『水葉月みずはづき』は宙を歩き、水飲み場の在る場所に立つ方丈日那女をつけた。

 若草色の水干を着て、長い髪を項の下で束ねて佇んでいる。

 その表情は勇ましく、しかし瞳には悲哀の色が浮かぶ。

 姉と弟をうしなった傷は、時を経ても消えないのだろう。

 

 少し離れた所には、蓬莱の尼姫が立っている。

 墨色の小袿の下に桜色のうちきを重ね、灰色の長袴を履いている。

 髪は肩の下で断たれており、瞳は遥か遠くに向けられていた。


 グラウンドトラック上に居る生徒たちの霊体も視える。

 まるで蛍のように飛び交っているが、その中心には黒い渦がある。

 空間を捻じ曲げている霊体だろうが、体育館に潜む霊体を倒すのが先だ。

 『水葉月みずはづき』は体育館のある位置に進み、そこに居る敵を確認する。


 そこには、スーツ姿の男が膝立ちして、両手をだらりと下げてうずくまっていた。

 黒スーツに黒ワイシャツ、黒ネクタイと黒一色である。

 顔には能面が貼り付いているが、禍々まがまがしい般若はんにゃの面である。

 額からは二本の長い角が伸び、まなこを見開き、歯を剝きだして口角を上げて笑う顔は、怨霊の恐ろしさを余すところなく表している。

 

(古い時代の、恨みを遺して彷徨さまよう霊か。『魔窟まくつ』の霊波を受けて、神無代かみむしろたちをさらったな……)


 だが、おどろおどろしい外見であっても、自分よりは遥かに格下の霊体だ。

 『魔窟まくつ』のせいで怨念が増幅され、過剰な力を得ただけだ。

 しかも、能面にはヒビが入り始めている。

 過剰な力を制御出来ず、消滅が迫っている。

 この状態で消滅すれば、憑依ひょういされた男性も無傷では済まない。


「…あんたたちも利用されただけか……」

 『水葉月みずはづき』はつぶやき、左の拳に力を集める。

 利き腕よりは、力を集中させにくい。

 それでいい。

 利用された霊も人間も、傷付けない。

 それだけが、愚かな自分に残った僅かな矜持きょうじだ……。

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