第148話

 晴れやかな空。

 緑に潤う草原。


 しかし、冷たい風と血の臭いにむせる。


 閃光が二度ひらめき、二つの首が跳ね、消失した。

 地に伏した体も消え、装束だけが残った。

 だが、飛翔した鮮血は一戸の着衣を染め、和樹は顔を背けた。

 

 本来ならば、帯刀していたならば、斬り込むのは自分の役目だ。

 だが、一戸は刀を離さなかった。

 手持ちが一振りの刀なら、大将たる雨月が帯刀するのは止むを得ない。

 だが、帯刀していたとしても――王君さまと王后さまを斬れただろうか。


 

「……礼を言うぞ、大将よ」

 黄泉姫は長袴の両端を少したくし上げ、亡骸となった装束に近寄る。

其方そちらに害を与える前に始末してくれた。其方そなたは正しい」


「……痛み入ります」

 一戸は瞼を伏せて、亡骸に向かって弔意を込めた礼をする。

 

 和樹も上野も月城も、彼に倣った。

 ミゾレも黄泉姫の腕の中から飛び降り、首を傾ける。

 王后さまは、学校祭に現れて自分たちに力を貸してくださった。

 翌日は、朝食まで作っていただいた。

 あの出来事は忘れられない。



「……奴はこの機会を狙って、母上を現世に行かせたのやも知れぬ。其方そちらは、父上と母上には逆らえぬと侮っていたのであろう」


 四人の心情を読み取ったのか――黄泉姫は低く呟いた。

 さすがに御親の亡骸の前では、いつもの高慢さは影をひそめている。

 その表情は、蓬莱天音にも――玉花の姫君にも酷似していた。


 黄泉姫は地に膝を付き、王后さまの衣の内を手探る。

 そして、一振りの刀を持って立ち上がった。


 和樹たちは、声ならぬ驚嘆の息を吐く。

 王后さまは、近衛府で修練を積んだ身であることを、ようやく思い出した。

 油断して近付いたら、こちらの首が飛んでいたかも知れない。


 和樹たちの心を、怒りが駆け上がる。

 あんなにも優しかった御方を、敵は利用した。

 いや、羽月うづき様も亜夜月あやづき様も、八十八紀の四将たちも、心を浸食されて利用された。


 自分たちを処刑した相手だから、驚くべき行為とも言い難いが――今更ながら虫唾が走る。



「……刀が、もう一本手に入ったぞ」

 黄泉姫は哀悼と皮肉の入り交じった笑みを浮かべ、刀を振りかざした。

「なれど、このままでは立ち行かぬな。大将、そこを動くな」


「……はい」

 一戸は、刀を持ったまま直立する。

 黄泉姫は刀を構え、袴の裾を引き摺りつつ近寄り、刀を斜に振るった。

 刀は一戸の身に食い込んだが、斬れはしなかった。


 交じり合った返り血と刃は眩い光を放ち――それは地から空までを覆う。

 空が割れ、地が薙ぎ、大気が怒声を放つ。


 

 偽りの情景は竜巻と共に吸い上げられ、深闇が降り注ぐ。

 滝のような悲鳴が耳を打つ。

 

 だが、内よりの光は放たれる。

 闇に呼応するように、光の鼓動が溢れる。


 和樹の眼前に『白鳥しろとりの太刀』が出現した。

 迷わずに、その柄を握る。

 神名月の中将の、闘いの装束が身を包む。

 玉花の姫君から贈られた、二枚の袿に袴に烏帽子。

 髪が伸び、背で一纏めに括られる。


 横に居る一戸も、いつもの僧兵装束に変化へんげした。

 傍らに、白馬の百炎も出現する。


 上野もマントとズボンとベレー帽の画家風装束に変わり、愛犬のチロがお面にしがみ付いている。

 そして月城も、上野と色違いの装束を纏っている。

 上野のマントとベレーは黒だが、月城は灰色だ。


 黄泉姫の装束も、動きやすい水干姿となる。

 赤紫色の水干、白い切袴、黒い烏帽子に沓を履き、腰には刀を穿く。

 ミゾレも人間化し、真紅のロリータドレスのスカートが揺れた。



 天地の異変も収まり、一同は空を見上げた。

 月は空を覆っているが、それ以外は闇しか無い。

 果ても視認できず、進むべき方角も分からない。


「……ラスボスの城に辿り着いたってことで合ってます?」

 如月きさらぎは小声で黄泉姫に伺い、同じ装束の月城を見た。

「モディリアーニくん二号か~。ちょっと嬉しいかもだぜ?」


「術士同士で揃えてやったぞ。此方こちに感謝するのだな」

 黄泉姫は、顎を突き出して笑った。


「でも……数珠は、そのままですが?」

 水葉月みずはづきはシャツの袖口に嵌まっている数珠を見やると、即座に黄泉姫は答えた。

「案ずるな。必要な時に『それ』は放たれる。大将、そなたの太刀は水葉月みずはづきに返せ。如月きさらぎ其方そちには、母上の刀を与える」


「えっ」

 如月きさらぎは尻込みして手を振ったが、黄泉姫は持っていた刀を押し付けた。

「術士と云えど、刀は扱えるであろう。其方そちの『氷の術』と『写しの術』にも限界があるのは知っておる。その時が来たら、振るうが良い」


「では……拝領いたします」

 如月きさらぎは貴族らしく膝を付き、黄泉姫から刀を受け取る。

 すると、剥き出しの刃には光が纏わり付き、白磁の鞘となった。

 水葉月みずはづきの刀にも鞘が付き、二人は腰のベルトにそれを差す。


 

「さて……そろそろ出て来るな……」

 黄泉姫は鼻で笑い、垂れ込める闇を見渡す。

「身を伏せよ。下から来る。離れるな。猫と犬、お前らは馬に乗っておれ」

「はい!」


 フランチェスカは、急いで白炎に飛び乗った。

 チロも言葉を理解し、鞍に縋るように身を沈める。

「大丈夫だよ、守ってあげるからね!」

 手綱を握ったフランチェスカは、チロと白炎に語り掛ける。


 他の者たちは地面に片膝を付き、神名月かみなづき雨月うげつは抜刀した。

 『白鳥すくようの太刀』と『宿曜すくようの太刀』の刃は、呼応するように震え、さんさんと輝く。


 神代より伝わる刃と、星の界よりもたらされたと云う刃――。

 それは『願い』を負った二人に託された希望だ。


 水葉月みずはづきも霊符に浄化の念を込め、如月きさらぎはそれらを複製する。

 僅かな時間も無駄に出来ない。



 そして――それは出現した。

 

 咆哮が四方より、津波のように押し寄せた。

 視覚では捉えられない怨嗟が吹き荒び、身を打つ。

 気を緩めたら、たちまち吹き飛ばされるだろう。

 

「ふん、その程度か? 墜ちたものよ」

 黄泉姫は失笑し、腰に差していた刀を抜いた。

此方こちを舐めるとは心外である! 蓬莱ホウライのクソ尼のような偽善者ギゼンモノとは違うわ!」.


 怒声と共に刀を振り下ろすと――寄せる怨嗟は真っ二つに割れた。

 一同を包囲する闇も割れ、脳裏で鐘が鳴るような破壊音が地からせり上がる。

 

 


 それは、巨大な壁だった。

 

 血管を編み込んだような壁だった。


 その赤黒い壁は一同を取り囲んでいる。


 一同が立つ空洞の直径は、五十メートルはあろうか。


 しかし、かつて無い圧迫感があった。


 壁の厚さが、空洞の直径を超えていることを感じ取れた。


 壁が、罪なき命を編んだ織物であることも。



「……御神木の今の姿か」


 雨月うげつの大将が呟いた。

 

 皆は無言で覚悟を固める。


 ここは、敵の心臓だ。


 神逅椰かぐやの本体が、どこかにいる。


 そして……

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