第147話
和樹たちは、たなびく月窮の君の黒髪を見つめながら、次の寝殿に向かう。
彼らが進む寝殿造りの
歩けども歩けども、同じ景色が続くだけだ。
屋根の上には巨大な月の天井。
左側には、木々の生い茂る庭。
右側には、垂れ下がった
「こりゃ、ゲームのループダンジョンだぜ。果てが無いぞ」
「そうだね……」
上野と和樹は頷き合う。
だが、先頭を行く月窮の君の歩みには迷いが無い。
子気味良い衣擦れの音を鳴らしつつ、振り向きもせずに進む。
「……
上野は振り向いた。
「何で、お父さまが『元・四将』だと黙ってたんですか~?」
「知らない。俺だって、
一戸は、上野の視線を無視して答える。
「ただ……俺なら口外しない。何の自慢にもならないからな」
「ですよね~。お前、真面目すぎ」
上野は、ブイッと唇を立てた。
和樹は、フッと微笑む。
「生まれついた身分のせいで『四将』に選ばれたなんて、誰も思っていなかったよ。それは、同期の童子たちが一番分かってる」
和樹は、斜め前を行く月城に視線を送る。
出自など、俗世の枷に過ぎない。
特に術士は、先天的な資質が重要だ。
だから近衛府は各地を巡り、資質のある子を探していた。
(変だな……やはり、記憶が混ざってる)
和樹は、遠い過去の自分に思いを重ねる。
不意に、過去の知識に触れることがある。
自分の中の魂に刻まれた記憶は、辛くも優しい。
御神木に囚われた中には、自分たちの同期も居るだろう。
『並びの世』ですれ違った人々全員が、この世では御神木に囚われている。
全ての人々、動物や昆虫、植物――全てを苦しみから解放しよう。
解放された彼らは新たな命を授かり、この世を再生していくだろう。
「止まって下さい」
月窮の君が告げ、歩みを止めた。
「
「はい……」
二人は、主たる姫君の指示に従て、移動した。
その直後――月城が叫んだ。
「敵だ!」
――ほぼ同時に、右側の御簾が裂けた。
先端が尖った黒い
一戸が飛び出し、刀で一刀両断にする。
月城が持ち込んだ刀の刃は、浄化の術で清めてあった。
切断された蔦は、たちまちに枯れて廂に落下する。
しかし干からびて千切れた蔦は――まだ蠢いている。
ぐぁ、ぐぁ――と、悲鳴のような音をも発している。
「まさか……!」
すると、月窮の君が近寄って来た。
「ほっほっほっ。
「黄泉姫!」
和樹と上野は同時に叫んだ。
月窮の君の表情が変化している。
顔立ちは変わらずとも、他者を小馬鹿にするような笑みが貼り付いている。
それに、装束もだ。
銀鼠色の長袴は同じだが、透き通る白紗の
形の良い乳房が透けて見えが、抱いているミゾレがうまい具合に肝心な所を隠している。
「……黄泉の
一戸は目を反らして
「ほっほっほっ。良いではないか。最後くらい、
「……止む無きと心得ました」
一戸は嘆息し、枯れても悶えている
紛れも無く、これは御神木に取り込まれた『魂』たちだ。
為すすべも無く
「……助けてあげられませんか?」
上野は跪き、うごめく破片に手を翳し、黄泉姫を見上げた。
今、術が使えるのは黄泉姫だけだ。
「ふん。分かっておるわ」
黄泉姫はミゾレを和樹に押し付け、両の手のひらを哀れな破片にかざす。
すると――破片たちは悶えるのを止めた。
破片は小さく崩れ、光の粒子となり、黄泉姫の手に集まって消える。
「……ありがとうございます」
一戸は会釈した。
和樹たちも姿勢を正して敬意を示したが、黄泉姫は鼻で笑った。
「礼なぞ要らぬ。くだらぬ
黄泉姫は、裂けた
裂け目の向こうは、黒一色だ。
この闇の向こうに、敵の本陣がある。
黄泉姫は――声を絞り、さざめく眼差しを臣下の四人に送る。
「頼みがある。向こうに帰ったら……たまに『じゃむぱん』を食べてはくれぬか? その時だけ……
四人の心に、熱い波が押し寄せた。
黄泉姫は、『蓬莱の尼姫』から分離した人格だ。
高慢だが、心根は邪悪では無い。
前にも自分たちを救ってくれた。
トイレで襲撃された
そして今――黄泉姫は、消えて行く自分と向き合っている。
託された願いを突き放すなど出来る筈が無い。
「オレらがボケジジイになるまで、毎日交代でジャムパンを食いますっ」
上野は敬礼した。
横に付いているお面も、ピシッと唇を引き締める。
他の三人も、穏やかな笑みを持って答えとした。
また、一つの別れが来る。
『蓬莱天音』は消え、『黄泉姫』も消えて行こうとしている。
「ふん。何度見ても、しけたクソ
黄泉姫は、四人を顎で差す。
「間も無く、
「同じようなことを、
和樹は、ミゾレをギュッと抱く。
最愛の人の愛猫だ。
数珠の糸が切れるまで、出来ることは無い。
体を張ってミゾレを守ることが、いま出来る全てだ。
「
黄泉姫は返答し――御簾に向き合い、両手を差し出した。
「
「かしこまりました……」
一戸は刀を構える。
和樹は、その背を凝視した。
体育館で、
人を斬る覚悟の『気』を発している。
あれから、二ヶ月余り。
父の霊と再会してからは八ヶ月。
自分たちの亡骸が黄泉の泉に捨てられ、黄泉の川を越えて流され、転生を繰り返すこと三千年――。
妻となった美しい姫君への想いは、やはり捨てられない。
けれど、現世の大切な人たちと生きていく覚悟は揺るぎない。
「……クソが!
黄泉姫は苦々しく笑い、手のひらに念を込める。
その先に吊り下がっていた御簾が捻じ切られるように四散した。
闇色が逆流し、和樹たちを包む。
景色は一変し、目の前に草原が出現した。
七色の小花、瑞々しい草が風に揺れ、空は艶やかに碧く輝いている。
爽やかな香りが鼻を突き抜け、柔らかで温かい日差しが頬を撫でる。
渡り鳥の群れが頭上を横切り、蝶が花々の間を泳ぐ。
「……
覚えのある声が呼ぶ。
みなが振り向くと――花弦の王君さまと王后さまが寄り添って立っている。
王君さまは裾を曳く真白の
王后さまは白き裳と白き
王と妃の正装である。
おふたりとも、満ち足りた笑顔で幸福な御様子だ。
再開した和樹たちへの眼差しは、果て無く優しい。
だが、一戸は躊躇しなかった。
迷いなく、刀を振る。
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