終章(四) 父と子
第142話
「これは……何事か!?」
それが余程に滑稽だったのか――
「ぎゃはははははは! 腑抜け下郎が! まだ分らんのか、てめえらは大昔に死んでるんだよ! 三千年ぐらい前だったかな~? 蝉の抜け殻みたいに、木に引っ付いてギャーギャー泣き喚いてたんだよ!」
その怒声に呼応するように、突風が母屋を通り抜けた。
吹き付けた冷風は肌を刺し、顔面に激痛が走る。
それは庭を彩っていた藤の花を吹き飛ばした。
庭の草花も塵のように舞い上がり、地鳴りのような轟音が炸裂した。
夜空には亀裂が入り、まるで鏡のように割れる。
破片は瞬きながら吸い上げられ、邸の上空に月面の天井が忽然と現れた。
同時に、手入れが行き届いた庭も変貌した。
そこは一面の焦土で、邸を囲む塀も黒く焼け焦げていた。
何より、空の怪異に父親たちは声も出ない。
「公主さま!」
しかし、公主は「大丈夫です!」と気丈に答えて愛猫を抱き締める。
和樹たち四人も足を踏ん張って突風に耐え――やがて、それは凪いだ。
テーブルの上で這い
そして、愕然と目を瞠る。
眼前の息子たちの姿が一変していたからだ。
袍を纏っていたのに、見たことも無い細身の装束に変わっている。
「そなたらは一体……!?」
先ほどまでは、彼は我が息子の姿をしていた。
袍に烏帽子姿の、立派に成長した姿だった。
「アトルシオ……なのか?」
目鼻立ちが酷似しており、自分を見つめる眼差しは――あの日を彷彿させた。
近衛府からの使者と共に、幼い息子が故郷を発った時だ。
「父上さま。『近衛府の四将』に任ぜられるよう、努力します。一族と民のために、優れた剣士になります」
我が子はそう誓い、騎乗して旅立った。
『
けれど、手綱を握るその顔には不安と寂しさが浮かんでいた。
できるなら、この地で伸び伸びと暮らさせたかった。
けれど士族としては、近衛府からの招令を拒むのは不名誉だ。
領家の次期当主として――息子の継母と共に、小さな背を見送った。
――だが、それ以外の記憶が曖昧だ。
いや、我が子は『近衛府の四将』となり、今宵はその祝宴に招かれた。
しかし、ここは帝都なのだろうか?
自分は、いつ故郷を発ったのだろう?
「アラーシュ、どうなっているのだ!?」
宰相も事情が掴めず、四つん這いのままで叫ぶ。
「そいつは、ガレシャなのか!? お前たちの装束は何だ!?」
「だから~、頭の悪い奴は嫌いなんだよ!」
「この世は、とっくに滅んでるんだ! てめえらは、釣り餌として呼んでやっただけなんだよ!」
「……こやつの言葉は
方丈翁の落ち着いた声が説く。
「……そなたらは覚えてはいまい。
「ガレシャ……お前っ!!」
宰相は悲痛な表情で、息子たちを見た。
弟は、父の自分よりも兄を慕っていた。
その弟を殺めたと言うのか――。
だが――方丈家の
何よりも――弟だと云う若者の表情が、全てを語っている。
哀惜と怒りが入り交じった複雑な表情で、自分への非難も読み取れる。
「そうだった~。亜夜月も、俺に逆らいやがったんだ!」
「おい、クソ宰相! てめえが軽蔑していた亜夜月は、真っ先に斬り捨てたぞ~! 身分の低い女を妻にするなど論外だ、とか言ったよな~? 満足か、満足だろ~?」
「……あ……うあ……」
宰相は絶句した。
黒衣の童姿の男は、もはや人ならぬ悪鬼だと悟った。
そして自分が築いた全てが失われたことも。
余りの衝撃に周囲が車輪のように回って見え、今にも床に転落しそうだ。
その分厚い体を、
「謀反人は斬首だよ~!」
「アラーシュはな~、弟だからこそ、俺みずからが首を落としてやったんだぞ!
ついでに、取り澄ました
そうだ……
俺さまに命乞いした
術士にしては正確に、一撃で落としてくれたな~。
ぎゃはははははははは!」
しゃがれた笑いが、
「う~あ~、そいつらを始末した後、俺は
「変だな? 覚えてねえぞ? その後はどうしたんだっけ? 覚えてないよ~」
彼は急に幼稚な声になり、その場で足踏みを繰り返していたが――やがて、仔犬のように走り去った。
廂を駆ける足音はやがて消え、母屋の嵐は去った。
和樹は、重圧が立ち込める母屋を見回す。
脛から下は白い霧が立ち込め、床を覆い隠している。
方丈翁と蓬莱さんとミゾレは、無言でテーブルに座ったままだ。
宰相は額から汗を流して、低い唸り声をあげている。
士族の二人は冷静だったが、しかし床を覆う灰色の霧を眺めて息を荒げる。
霧は、少しずつ上がって来る。
触れたら、身が朽ちることは確実だろう。
それに、狂気の
「……リーオ……」
「私は文字さえ書けぬが……あの
「お
「私は死んでいるんだな? お前と仲間たちは……」
「僕以外は、別の世界に生まれ変わって……この世界を救うために、闘っています。僕は仲間を裏切った罰として、黄泉の川を漂流しました……」
月城は肩をすくませて膝を付き、
「この……馬鹿者が!」
息子が出世した喜びも誇りも打ち砕かれ、顔も上げられない。
「……リーオ、こちらに来い」
父親は俯いたまま、 節くれ立った右手を差し出す。
「この父と共に償おう……お前と触れ合えば、それが出来るんだな……?」
それを聞いた和樹と一戸は震撼した。
やはり、術士を潰す作戦だった。
事実、月城は吸い寄せられるように父親を見つめている。
それが、贖罪だとの考えを捨てきれないからだ。
だが――霧は膝まで上がって来た。
テーブルの上に避難した父親たちを包み込むまで、あと数分だろう。
打開案を打つべく左右を見回すと、上野が横目でこちらを見ている。
彼は腕組みをし、右腕の下に置いた左拳の人差し指で月城を指している。
三人で月城を外に引きずり出そう――
彼の無言の提案に気付き、和樹の背筋は凍る。
過去世の父親を犠牲にしなければ、そうしなければ二つの国を救えない。
現世の父親を救いに来て、過去世の父親たちを見捨てる。
それは、余りに酷い選択だ。
だが――ここで、月城を失う訳には行かない。
「ま……待ってくれ……」
宰相が、虫の息で呟いた。
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